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 ロッシュ・デュボワ社の二十七階を武装した犯行グループが占拠したのは、四月最初の月曜の夜だった。

 二〇四八年四月六日。場所はメルボルン海上都市フロートの、摩天楼の一角。


 頭上でヘリのエンジンが唸っている。

 開け放たれたカーゴドアの外では、眼下に広がる都市がまばゆく煌めいている。機内灯が消され限りなく闇に近いヘリの中とは、真逆といってもいい。そして夜の街の明かりは、ヘリの速さに合わせて後方へと流れていく。

 そこで僕はヘルメットとボディアーマーを身に纏い、戦闘行動用のグラスウェアを掛け、同じ格好をした数人の班の仲間とともに狭い座席に体を押し込めていた。武装は各々、消音器サプレッサー付きのサブマシンガンか短銃身のアサルトライフル。背中には大きな荷物を背負い、そして全身の装備には、体の前面にびっしりと並んだポーチの一つひとつに至るまで、幅広い環境で効果を発揮する迷彩パターンが描かれている。

 今ヘリが目指すのは、ワンフロアが占拠されたビルの屋上で、僕らは現在進行中の事件を制圧する任務を帯びた、民間企業の特殊部隊だった。

 ドーハム&ヘンダーソン社、安全保障事業部セキュリティ・サービス・ディビジョン、第四作戦部。

 そこに僕は所属している。

「諸君、最新情報だ」

 コディが共有チャンネル越しにそう言った。彼はこの中で最先任の大尉として、班の指揮を任されている。

「市警のSWATがビルの二十六階と二十八階に展開して、情報収集と突入の準備をしてたが、俺たちが出張ることになって今は待機中らしい」

 僕らが掛けているグラスウェアの骨伝導スピーカーは、どんなに騒がしい環境でも通信の音声を比較的クリアに僕らの聴覚へ届けてくれる。マイクは皆、シート状のものを喉に直接貼っている。

「いきなり待てと言われて、市警の連中相当イラついてるだろうな」

 そんな僕の感想に、何人かが小さく笑った。もっとも急な命令変更は、僕たちにだってそう珍しくない。というのは、国や組織の種類を問わず、いつも現場を振り回すものだ。同情を禁じ得ない。

「それから突入のタイミングについて、まだお偉方が議論中。結論がいつ出るのかもわからない」

「政治判断で急かされるより百倍マシ」

 隣に座るモーズレイが吐き捨てるように呟いた。僕と同年代の彼女は、僕なんかとは違って以前は正規軍にいた経歴を持っている。

「なら、下準備の時間はたっぷりありそうだ」

 そう僕は付け加えると、黙ってこの作戦のブリーフィング内容を振り返ることにした。

 内装工事の業者に偽装した武装集団が、ロッシュ・デュボワ社のビルに押し入って一時間と少しが経過。今のところ、身代金などの要求はなされていない。占拠されたフロアには、事件発生当時まだ社員が残っていたことが確認されていて、人質となっていると思われる。

 立て籠りが起きているフロアの防犯カメラは、犯人たちが真っ先に破壊して全滅。占拠された二十七階以外のフロアに被害は無く、防犯カメラについても回線を切り離したため、犯人たちは建物内のほかのカメラに干渉できない。おかげでこちら側の動きを悟られずに済む。

 もっとも、犯行グループの一部がビル内の別の場所に潜んでいる可能性や、ビルのどこかに何らかの罠が仕掛けられている可能性は、まだ残されている。

 そして市警が配置につく中、作戦の主体が僕らドーハム&ヘンダーソン社の第四作戦部に移された。犯行グループの規模やこちら側が投入できる装備のことなどを、州政府が検討して下した判断らしい。

 基本的な考え方として、国内で発生するテロやそれに類した事件はあくまでも犯罪の範疇に入るから、その対処は警察の管轄となる。だから軍の特殊部隊や、あるいは僕らのような民間の特殊部隊が、能力や契約さえ結べば即活動が可能であるという使を買われて、テロの制圧やその支援に投入される場合でも、あくまで警察当局の指揮下で活動をすることになるし、射殺よりも逮捕が優先される。

 僕の所属するドーハム&ヘンダーソン社の第四作戦部は、そうした領域の案件を担う専門の部署だったから、普段から州政府の依頼で活動することが多かった。

 今夜の任務において、人質の無事が最優先事項だった。強いていえば、いまだに犯人からの要求がないことだけが、僕には気がかりだった。

「到着まであと三分」

 ヘリの機長の声が、共有チャンネルを通して僕ら全員の耳に届く。

 いよいよだ――気を引き締めながら、僕はいつでも飛び出せる体勢を取る。

「先行中の〈黒イルカ〉によれば、屋上の状況はクリア。対空火器らしき影も見えない」

 手順通りの副操縦士による目標地点確認に対し、僕は「もしも地対空ミサイルをロックオンでもされたら、ぞっとしないな」とこぼす。市警も展開している状況で、今更屋上に危険が残されている可能性は限りなく小さかったが、それでも「小さい」というだけで、下手をすればまんまと罠にかかってしまう。だからプロは、勝手に手順を省略したりしない。

 弱気な僕とは対照的に、コディは自信に満ちていた。

「このMH-75の耐衝撃設計は優秀だからな。もしも対戦車ロケットでテール・ローターを吹き飛ばされても、 中の人間はかすり傷で済むさ」

「でも、そうならないに越したことはないだろう?」

 僕が反論したところで、ビル上空を旋回中の無人攻撃偵察機からのデータが、グラスウェアに飛び込んできた。搭載されたカメラによるビル屋上のライブ映像が、視界の隅に出現する。

 飛んでいるのは幅広い翼に流線的なデザインの胴体を持つ無人航空機で、そのフォルムと暗灰色の外見からもっぱら〈黒イルカ〉という渾名で呼ばれている機体だ。今、その〈黒イルカ〉が二機、翼の下にたんまりと武器を抱えながらゆっくりと旋回飛行している。

「訓練を重ねてきたんだ。実力を見せてやろう」

 コディが班の面々を鼓舞した。

 その言葉の背後には、世間からの風当たりもあるのだろうなと、僕は勝手に想像する。いまだ世間には、安全保証事業者という存在への批判的な風潮があった。州や中央の政府、あるいは国連の安全保障省との契約に基づき、正規軍と同様の行動をする民間企業。かつての大国ほど力を失い、多国籍企業体によって政府の機能が肩代わりされるようになった時代が産んだビジネス。一昔前の民間軍事会社とは違い、正規の軍人と同じ扱いが受けられるようルールが変わったとはいえ、まだまだダーティなイメージを抱かれがちなのだ。

 そんな安全保障事業者への逆風に対して、少しでもプロ意識を見せられればと、僕も思う。これまでもいつだって、真面目に仕事をしてきたつもりだ。

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