『ゴースト・バイアス・エクソシスム』4
「おまたせ、用意できたぞ」
それからどれくらい経ったのか、志塚さんが応接室に戻ってきた。その左手には、何故か裁ちバサミが握られている。
「私のほうも、確認し終わって、名前書きました」
「ん」
志塚さんは右手で書類を受け取ると、署名欄に視線を落とし、
「
と、読みかたを確認するように言った。
「はい。……あの、志塚さん、一個訊きたいんですけど、良いですか?」
「なに?」
「そのハサミ、一体なにに使うんですか?」
「なにって、あんたとアレの縁切りに使うんだよ」
そんな安直な。
反射的に思ったことを口に出しかけて、素人がそんなことを言っては失礼にあたると、慌てて口を噤む。が、そんな逡巡は志塚さんにとっては見え見えだったようで、
「安直で良いんだよ」
と言う。
「大事なのは想像力と連想力だ。なにかを『切る』のに『ハサミ』はもってこいだろ?」
「そういうものなんですか」
「そういうもんなんだよ。まあなんだ、寺生まれのTさんの実力を信じろ」
寺生まれのTさんとは、怪奇現象が起こったとき、寺生まれのTさんなる人物が解決してくれるという、インターネット上で有名な話だ。
「志塚さん、寺生まれなんですか? でも志塚さんはSさんでは?」
「下の名前が『
「へえ……。……ふふっ」
除霊してもらう為に、片道二時間ちょっとかけて、田舎町へ来て。
動画に出てきた霊が目の前に現れ、襲われかけて。
実はアレは生霊で、これからそれと縁を切る為の儀式を始めようかというときに。
寺生まれのTさんの話が出るなんて予想外過ぎて、思わず笑声が溢れた。
「それじゃあ、志塚さんも『破ぁ!』って言うんですか?」
笑いを抑えられないまま、冗談交じりに尋ねた私に、志塚さんは、
「言わねえよ」
と、ばっさり切り捨てるように言った。
言わないんだ。ちょっと残念だ。
いや、もし儀式の真っ最中に『破ぁ!』なんて言われようものなら、私は抱腹絶倒しかねないから、言わないならそのほうが良いのだろうけれど。
「少しは緊張が解れたか?」
志塚さんは、小さい子ならこれで必ず笑う鉄板ネタでも披露したあとのように、誇らしげな笑みを浮かべていた。
「え? あ、ああ、はい。おかげさまで」
とはいえ、これはインターネット上のネタ系に精通している私だから大ウケしたのであって、今どきの若者が相手だったら、きょとん顔だったと思う。それも踏まえて『寺生まれのTさん』ネタを披露したのだとすれば、なかなか肝が据わっているといえよう。
「それじゃ、始めるぞ」
志塚さんは、持っていた書類を、業務用タブレット端末と一緒にテーブルの隅に置き、私の背後に回った。
しゃきん、と裁ちバサミの刃の擦れる音がする。それが儀式の始まりの合図のように思えて、私はごくりと唾を飲んだ。
「安心しろ、これであんた自身を切ることはない。清めてきたこのハサミで、悪縁を切るだけだ」
志塚さんの声は、それだけだと、とても穏やかな声音になって聞こえる。きっとその表情は、険しいそれか、皮肉げなそれだろうに。不思議なものだ。
「目を閉じて。アレと縁を切ることに意識を集中してくれ。そうだな、雨露を払うイメージ。或いは、蜘蛛の巣を払うイメージ。身体に纏わりつく鬱陶しいものを、振り払うようなイメージだ。拒絶と言っても良いかもしれん」
志塚さんの指示に従い、目を閉じ、想像する。
再び背後から、しゃきん、と音がした。
それから、聞き取れないほど小さな声で、志塚さんがなにかを呟く。私が廃屋前でアレと遭遇したときに放った、呪文の類だろうか。わからない。だから今は考えない。私がすべきことは、既に言われている。
振り払え。
そして、拒絶しろ。
「――――」
志塚さんが僅かに声量を上げて、なにか言った。
続けざまに、裁ちバサミの音がする。
しゃきん、しゃきん。
その音だけで、私が普段使っているハサミよりも鋭い切れ味なのだとわかる。それ故に、成功を確信させてくれる。
「……終わり。もう目を開けて良いぞ」
言われて、私はゆっくりと瞼を上げた。
身体が軽くなったとか、気分がすっきりしたとか、そういうことはない。
「窓の外、見てみろよ」
志塚さんは、いつの間にか窓際に移動していた。ブラインドの隙間から外の様子を見て、なにやらにやついている。
「……消えていってる」
志塚さんに倣い、外を見る。
事務所の外、道路を挟んだ茂みの近くに、アレが居た。しかしその姿はぼろぼろと崩れ落ち、あっという間に視えなくなっていく。
「あんたへの執着を問答無用で断ち切ったからな。存在理由を失ったアレは崩壊し霧散する。動画に映ってるのも、直に消えるだろうよ」
確認してみな、と志塚さんに促されるまま、私は自分のタブレットから件の動画を開いた。アレはまだ視認できる状態だが、存在が希薄になっていることは明白だった。アレが画面いっぱいに迫った場面は、こちらを見つめる目がわからなくなり、画面が暗転したようになっていた。
「時間差はあるけど、動画からも消えるってことで、良いんですよね?」
念押しの確認をする私に、志塚さんは、
「ああ。間違いなく消える」
と、応接室から出ていきながら、けろりと答えた。
「麦倉さん、お疲れさまでした。慣れないことに巻き込まれて、疲れたでしょう?」
私も荷物をまとめて応接室を出ると、笹森さんが笑顔で出迎えてくれた。
「ま、まあ。だけど、おかげさまでなんとかなったみたいなので、良かったです」
力なく笑う私に、笹森さんはすっと右手を差し出した。
「これ、あげます。一年間、肌身離さず持っていてください」
そうして強引に私の手の中に押し込まれたそれは、お守りだった。紺色の布地に白い糸で菖蒲の刺繍を施された、シンプルでありながらお洒落な作りだ。どこの神社のものか確認しようとしたが、神社名はどこにも見当たらない。
「もしかして、手作りですか?」
「あ、バレました? 二人が応接室に居る間に、私がさくっと作ったんですよ。外側はさておき、中身は志塚さん特製の御札だそうなので、効果は保証しますよ」
「へえ……すご……」
私が志塚さんに事情を説明し、書類に署名をし、縁切りの儀式を終えるまで――正味一時間弱ほど。手のひらに収まるサイズとはいえ、よくその短時間で、これほど完成度の高いものができたものだと、私は素直に感心していた。
「それと、これを家の玄関ドアに貼っておけ。魔除けになる」
言いながら、志塚さんも私の手のひらに、一枚の御札を押し込んできた。それは素人目にも霊験あらたかそうなもので、私は目を丸くし、
「こ、これ、追加料金おいくら万円ですか?!」
と、裏返った声で言った。
「これも料金内だから。そんな焦るな」
「ええ……」
改めて見積書の金額を思い出す。確か志塚さんはそれについて、雑経費は少なく、ほぼ人件費と言っていた。……この便利屋さん、本当に商売が成り立っているのか、学生の身でありながら心配になる。
「あの、今回の件、詳細を伏せつつ動画でまとめて投稿しようと思ってるんですが、この便利屋さんの名前を出しても良いですか?」
果たしてそれがお礼になるかはわからないが、少しでもこの人たちの助けになればと思い、私はそんな申し出をした。
「別に構わねえけど、顔は映してくれるなよ」
玉砕覚悟だったが、志塚さんはほとんどノータイムで了承してくれた。
「それはもちろん。プライバシーには全力で配慮します」
お世話になった人たちの個人情報を、ネット上に漏洩させるわけにはいかない。その辺りは完璧に編集するつもりだ。
「志塚さん、笹森さん」
手の内にあるお守りと御札を握り締め、居住まいを正して、私は言う。
「この度は、助けていただいて、本当にありがとうございました」
そうして、ゆっくりと頭を下げた。
彼らにとっては仕事の一環であっても、私にとっては一大事といって過言ではない事態から脱却させてもらったのだ。感謝の言葉は、きちんと伝えておきたかった。
「どういたしまして」
「いえいえ、どういたしまして」
志塚さんも笹森さんも、笑顔で答えてくれた。
仕事だからと一蹴にはせず。
きちんと真正面から、感謝の言葉と気持ちを受け取ってもらえた。
それが、それだけのことが、何故だろう、途轍もなく嬉しく感じる。
そうして心の底から安堵したからだろうか、私のお腹から、ぐうう、と大きな音が鳴ってしまった。
「……まだ十一時にもなってねえぞ」
時計を確認し、志塚さんは苦笑いを浮かべていた。
「いや、あの、今日五時起きだったもので……」
言い訳をしながら腹部を抑えるが、空腹を訴える音は止んでくれない。
「五時?! 麦倉さん、どこから来たんですか?!」
ぎょっとした笹森さんに、私が来た都道府県名を伝えると、がしりと私の両肩を掴んだ。
「美味しいもの食べに行きましょう。遠路はるばるここまで来て、立ち寄ったのがウチだけなんて悲しすぎます。ここ、ご存知の通り田舎ですけど、美味しいお店はたくさんあるんですよ」
「それなら、『ひととせ』に行こうぜ。俺、あそこのコーヒー好きなんだよ」
切実に語る笹森さんに、志塚さんが軽い調子で提案した。
「良いですね! 私のお気に入りはオムライスなんですっ! さあ、麦倉さん、ウチのお会計を済ませて、さっさと行きましょう! もちろん車は出しますよっ!」
るんるん気分で言う笹森さんに若干気圧されながら、さきほど提示された金額ぴったりを支払う。笹森さんは慣れた手つきで領収書を作りながら、
「『ひととせ』はちょっと不思議な喫茶店でですねー。お店側が看板メニューを掲げてないってのもありますけど、お客さんによってお気に入りのメニューが全然違うんですよ。志塚さんのいうコーヒーも、ブレンドを人によって変えてるらしいですし。私の友達は自他ともに認めるラーメン好きですけど、『ひととせ』ではいつもたまごサンドを頼むんですよ」
と言う。
「そういう意味では、全メニューおすすめです。麦倉さんもお気に入りになるようなものと出会えると良いなあ――っと、はい、こちら領収書です」
そうして笹森さんは、手際良く作成した領収書を私に渡してくれた。
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