毛筆で手紙を書く時の特別な感じ、自分と対話するようすが伝わってきて素敵だなぁと思いました(海のところ、スキ〜)。
課題を勘違いしたおかげで、たくさんの「お返事」が溜まって、しかもそれを両親に贈るなんて…いい子だなぁ…。
きっと10年前もひとりぼっちだったのかな。自分を好きになるって難しいよね。
雨と紫陽花と墨のコントラストが良かったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「良くない小説」を目指して書きました。
例えば宛先を全て書き直さなくても、纏めて出せばいいですし、郵便局でもそう勧められるはず。
そういったリアリティのなさを散りばめ、手毬の心理や行動もシンパシーを感じにくいものにして。
この物語に込めたのは、不必要であろう「私の作品」というオリジナリティだけ。
それでも、こんな物語があってもいいハズ。ですよねー。
好きな箇所、見つけて頂けて嬉しいです。
手癖で書いてこのクオリティ。ひぇー。
もう達者の域ですね。
父母はこの世にはいないのだと想って読みました。なんとなくこの手毬さんは生まれた時からみなしごマインドのような気がして。
宇宙からきた銀河人。孤独を抱える人のことをこう呼ぶのが好きです。
真正面きって自分のことが大好きだと云い切れる人はわたしの友だちにはなれないわ(笑)
かといって手毬さんとも友だちにはならないでしょう。互いに海を抱えて、互いに墨をすり、互いにあてどなく言葉を綴っていることでしょう。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
手癖で書くことの欠点は、すぐに何を書いたか忘れることでしょうね。何を書くか考える時間が極めて短いですから仕方ありませんが。
十歳というのは、ギャングエイジ(徒党時代・集団形成時代)の真っ只中です。そこで多分同級生たちの輪に上手く入れなかった手毬は、ひとり自分の思考の海に漂っていたのでしょう。だから「どうして一枚だと縁起が悪いの?」という謎に意識が持っていかれて、勘違いしたんでしょうね。
朝吹さんと手毬。存在は意識していて、認めていて、それでも深い関わりは持たず、たまにどうしているのか気になるだけ。そんなワーグナーとヴェルディみたいな関係になりそうです。
いや、ワーグナーとヴェルディが実際そういう仲だったかは知らないんですけどね。