催眠アプリが効きません!
塗木恵良
1 恋に薬はありません!
ほんとうに?
ほんとに、みんなこんなことやってるの?
手ががくがくして、足がぶるぶるして、涙腺が壊れそうで、体中あつくて、耳のうらがわでずっとなにか壊れる音がしてる。たぶんわたしの、心臓の音ってやつ。走り出したい、逃げ出したい。でも、もう今更だ。
昼休みの校舎裏は、想像してたよりも情緒がない。薄暗くて、涼しくて、なんか虫とかいそうで、それがちょっとだけわたしを勇気づけた。だからわたしは、お腹に力をいれた。
一瞬だ。一瞬だけだ。
それで終わる。
「いい、い、石神先輩、ずっと前から、す、すきでしたぁ!」
「ごめんね」
石神先輩はちょっとだけ申し訳なさそうにしながら、ぺこっと頭を下げた。
たった今初恋が終わったところ。
「う、うわああぁぁぁぁん」
「おかえり」
「おお、よしよし」
喚きながら教室に駆けこむと、アイリちゃんと夕夏が出迎えてくれた。
校舎裏で涙はぜんぶ出し切った。もう泣いてない。きちんとトイレで目元冷やしたし、目元は赤いけどもう腫れてはないはずだ。
でも、体中をめぐってるエネルギーがどうしようもなくて、声を出さずにいられなかった。そのままアイリちゃんに抱きつくといやそうにされる。
「うるさいんだけど。……その様子じゃ結果は聞くまでもないね」
「うう、フられちゃった」
「どんまいどんまい、そういうこともあるって」
「今日はいっぱい泣いていいよ~」
夕夏が両手を広げて見せたのでわたしはよろこんでそっちに行く。ぎゅうぎゅうと抱きしめると夕夏はきゃっきゃと笑った。
「これからもあたしたちと遊べるね~」
「別に彼氏ができたからってうちらと遊ばなくなるわけないじゃんこの子が」
「でも頻度減るでしょ~」
「……そっか、彼氏できると夕夏たちと遊べなくなるのか」
「なに、考えてなかったの?」
「うん……」
「実際、付き合ってみないとわかんないもんねえ」
「ん、っていうか、付き合うとか想像してなかったかも」
アイリちゃんが呆れたように机に片肘をついた。
「今あんた何しに行ってたんだっけ」
「石神先輩に告白しに行ってました……」
「付き合いたくてコクったんじゃないの?」
「わ、わかんない」
「なにそれ」
アイリちゃんは、お化粧もばっちりで持ち物もおしゃれだし、話を聞く限りたぶん今まで何人も付き合ったことがある。だからわたしのぼんやりした返事はお気に召さなかったみたいだった。
「好きだー、ってなって、なんか、もうどうしようもなかったんだもん」
「え、なにそれかわい~」
夕夏が力を強くして抱きしめてくる。ふかふかの胸に埋もれながら、そっか、うまくいったら石神先輩と彼氏彼女になっていたのか、と今更考える。
……やっぱり想像できない。
「そういうの、きちんと考えてなかったからふられたのかな……」
「違うでしょ。普通に知らない相手だからじゃん」
「逆にオーケーされなくてよかったんじゃない。次の恋がんばればいいよ」
夕夏が慰めてくれるけど、次の恋という言葉に胸がどうしようもなく痛くなった。さっき枯れるまで泣いたと思ったのに、性懲りもなくまた涙がふつふつとこみ上げてきた。
石神先輩にフられてしまった。
告白するときも思った。みんなほんとに、こんなことしてるのかって。
あんなに心臓が大騒ぎして、自分も大騒ぎしたくなるようなこと。体じゅうが熱くなったり寒くなったり、どう考えても下手な風邪よりよくない。っていうか悪い。絶対悪い!
もしかしなくても恋って体に悪い。
そして今も思っている。今すぐもう家に帰って、布団の中に閉じこもってわんわん泣きじゃくりたい。どす黒いものが腹の底にたまってて、それをどうにかしないことには二度と眠れない気がする。なんかもう、全部全部めちゃくちゃにしてやりたいと思っちゃう。それが嫌。そんな自分が嫌いになりそう。
もしかして失恋って心に良くない?
「ゆうか~……」
「そろそろ授業だよ~」
「なんか寒い。わたしの後ろ、おばけいない?」
失恋してから、体が冷たくなっていた。体中の血の気が引いたみたいだって思ってたけど、今はなんていうか氷を背負ってるって感じだ。背中が異常にさむくて、なんにもしてないのに体がぶるぶるしはじめた。
「え? あんた熱出してない?」
「たしかにこがねちゃんの体、いつもよりあっついかも。熱中症?」
二人がぺたぺたとわたしの首やらおでこやらに触る。自分でも触ってみたけど、ふしぎなことに自分の手が冷たいと思った。もう七月で、指先が冷える季節でもないのに。
「そうかも、日陰で待ってたけど、外暑かったし」
「やばそうなら保健室行く?」
「だいじょぶ!」
二人が心配するように顔を覗き込んできて、ちょっと申し訳ないような、でもうれしいような気持ちになった。強がってるわけじゃないけど、ブイサインを作って見せる。
むりやり笑うって苦しいな、って気持ちになっちゃったのは、ごめんだけどゆるしてほしい。
体が重たい。
関節が痛い。鼻水が止まらない。頭やばい。割れる。寒すぎる。服着てるのに、中に嵐の目があって北風がびゅうびゅう吹き込んできてるみたい。体に力入らなくて、今ならマリオネットの気持ちになれる。
「ただい、ま……」
わたしは帰ってくるなり玄関先でぶったおれた。
そのあと帰ってきた絶賛反抗期中の弟に蹴っ飛ばされながらひいひい言いつつ自分の部屋のベッドで転がって、そのまままた意識を失った。寝たんじゃない。気絶。絶対これは気絶だった。
お母さんが帰ってきてから、おかゆを食べて薬を飲ませてもらった。
三十八度超えの熱に、お母さんは大騒ぎだった。生まれてからずっと健康優良児だったから、こんな熱を出したのは初めてだった。救急車を呼びそうになっていたので、あわてて止めた。
だってこの熱、失恋のせいだからだ。
お医者さんに、恋破れて熱病ありなんて言いたくなかった。自分のことばかだばかだと思ってたけど、流石にそこまでばかになりたくない。ばかはいいけど、ひと様に迷惑をかけるばかはダメだ。
熱のせいで頭がぜんぜん回らなくて、「明日なおるからへいき」とおろおろするお母さんをなだめてわたしは寝室にこもった。
布団の中がさむい。でも、薬がきいてきた気がする。まだ飲んだばかりだろ、とアイリちゃんなら突っ込みそうだな、ともうろうとする頭で思う。
熱の視界ってへんだ。
ぜんぶがなんかぼんやりしていて、ぐんにゃりしている。電気の消えたくらいわたしの部屋。ピンクのカーテン、べんきょう机。白いチェストとたな。ぜんぶぜんぶ、ぐにゃあってしててなんだかおもしろい。
頭はいたいけど、それがどうでもよくなるくらいなぜか面白かった。くすくす笑ってると、目からなにかすごく熱いものがこぼれてきた。
「うえ……っ!?」
熱いものは、目のはしっこから耳のほうに流れて、髪のけに染みこんでいった。手でさわると、いがいとぬるい。涙だった。手でぺたぺたやっているあいだも、次から次に流れてくる。
悲しい、という感情が、涙のあとにやってきた。
それを不思議だな、と思ってるわたしがどこかにいた。
かなしいから涙がでるんじゃないんだ。涙がでるからかなしいんだ。どっちでもいいのに、こまかいところにこだわる。
そういうことを考えてないと、体がばらばらになっちゃいそうだった。
わたしは布団をあたままでかぶって、こえをおしころした。
すきだった。
石神先輩のこと、わたしほんとにすきだったんだ。
先輩の顔が見られたらうれしくて、先輩がなにしてるか考えるだけで楽しかった。ちょっと聞こえてきたうわさに一喜一憂して、女の先輩と楽しそうに話してるだけで苦しかった。たぶん、先輩はわたしのこと全然知らないんだろうなって我に返ると苦しくて、あのひとの好みになりたくてもうまくいかないのがしんどかった。
それで、これだ。終わってみたらこんなにかなしいんだ。いいことより、悪いことのほうがずっと多かった!
やっぱり恋って、よくないのでは?
……恋が悪いわけじゃないと思う。たぶん、わたしがしたのがよくない恋だった。入学式のあとちょっと話しただけの、二個上の先輩に分不相応な恋なんてしたからだめだった。つらいばかりの恋っていうのがあるなら、きっと楽しいばかりの恋もあるはずだ。
だから、次の恋。失恋の薬はあたらしい恋だ。
頭では分かってるのに、考えるほどに落ち込んだ。
胸がくるしい。呼吸ができない。
いやほんとに呼吸できないな。
涙と一緒に鼻水もどっとあふれてきて、このままだと窒息しかねない。わたしは重たい体をどうにか縦にして鼻をかんだ。すっきりした。そのまま顔もタオルでちょっと拭く。
おでこに冷えピタは貼ってあるけど、泣いたせいで顔がほてっていた。ベッドサイドの窓を少しだけ開く。風がぬるい、ってか暑い。熱帯夜だった。あわてて閉める。硝子に顔を押し当てても、透明な板の向こう側は熱があるなあ、って感じるばかりでちっとも涼しくない。
でも、わたしはしばらくそのままの体勢でいた。だってちょっとだけ空が見えたのだ。わたしの知ってる星なんて、オリオン座と金星くらいだから夏の大三角形がどれかも分からない。でも今は、ちかちかしている白かったり青白かったりするちっちゃい星を見てたい気分だった。
「つらーい」
弱音を吐いた。失恋のうえに、体験したことのない熱。もう体のどこにも元気がないのに、このまま走り出したくてたまらない。
「なにがつらいのかわかんないくらいつらいよー」
石神先輩とどうなりたかったんだろう。付き合いたい、って考えてなかった。そこまで想像できてなかった。じゃあなんで言ったの? 好きだったから。好きで好きで、身動きできなくなってたから。どうにかしたかったから。石神先輩にそれをどうにかしてほしかった。
ある意味で、石神先輩は期待に応えてくれたのだと思う。恋をぶち壊されたおかげで、わたしはあの暴走状態じゃなくなった。でも、つらい。
ああ、そうだ。ほんとはそんなこと、全然望んでなかったよ。
「すきなひとが、わたしのことすきになってくれたらいいのに」
どこかの少女漫画でもう百回は描かれてそうなことばだった。そのことばを借りてみて、なんだかそうだった気がしてきた。わたしは石神先輩に好きになってほしかったのかも。わたしとおなじくらい、すきだって。
ほんとうにそうかな。好きな人がこんなつらいきもちだったら、わたしなら耐えられないよ。ああでも、両想いだったらこんなにつらくはないのかな……。
だんだん思考がぐるぐるして、靄がかかったみたいになる。そのままわたしは眠ってしまったらしい。
朝、布団をまともにかけてなかったせいで熱が三十九度まであがり、お母さんはびっくりして救急車を呼んだ。
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