白球を追いかけろ

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一年生編

初回 プロローグ...岸部 勉の人生

はぁと大きくため息をつく岸部勉基僕はバスが凄く混んでいた、学校の人数が多いとは聞いてきたがこんなにも多いなんて聞いてない。

 僕は行きたい高校に行けなっかた僕は滑り止めでもあった北明高校に進学した。僕にとっては正直どうでもよっかた。というか落ちたことに嬉しさすら覚えた。僕の両親はいわゆるエリートだ、だから僕を東大に行かせるよう勉強をさせてきた。僕の唯一の楽しみであった野球は親に「辞めろ」と頭ごなしに否定されてきた。

 だから僕は学校で勉強してきたと嘘をついて友達と河川敷でキャッチボールをしてた。その友達は野球部で中学の時にはキャプテンを務めてたらしい、僕にとってはどうでもよっかたから覚えてないけど。

 その友達はスポーツ推薦で岩見沢実業高校所に行ったらしい、あまり高校野球を見ない僕でも知っている強豪校だ。

 はなしは変わるが、僕は祖母の家から学校に通うことにした。正直に言ってあの親(クズ)と別れてよっかた。祖母はとても厳しい人だが優しい人でもある。何処かの高校の教師をしてたらしい今はないが北斗高校とか言ってたな、立派な先生だったらしい。

 

 北明の話をしようどうやらできて50年弱の高校だそうだここらへんで二番目に大きい高校だ全校生徒は千人くらい、最も一割くらいは学校にも来てないそうだがともかく、これから入学式だ僕は後ろの席の小林君に声を掛けられた。

 どうやら小林君は中学時代野球をしてたそうだ、聞いてもないのに言ってきたぼくは勉強だけをしてきたと正直に話すと小林君はフーンとうなずいた。その後ろの佐藤君に話しかけ始めた。僕は前の嘉山君に話をかけた嘉山(かやま)君も勉強漬けだったようでそれも家族全員が優秀で自分もと頑張ったらしいどこか僕と似ているように感じた。

 放課後は小林君と一緒にバッティングセンターに行ったバットを持ってない僕を見た管理人さんは僕にバットを貸してくれた。小林くんは自前のバットでさも当然のように当てていた。僕は訳も分からず打席立っていると管理人さんが教えてくれた僕は初めてだからビビっていたそれを見て常連であろうおじさんが笑った。僕は不快に思ったが次に発したおじさんの言葉でハッとした「始めたか?おおんそりゃ初めてじゃなきゃビビらんもんなぁバットにボールを当てればええんや」僕は訳がわからない。

 僕はボールをバットに当てることだけを考えて振ったら当たったが小林君やおじさんみたいに高くは舞い上がらなかった、僕の打った球はコロコロと前に転がった。そして僕はきずいたボールが来るとにまったくビビってないことにおじさんにお礼を言うと帰っていた時間が6時を回り始めたから僕はバッティングセンターから帰った。

 どうやら小林君とはご近所さんだったようだ。聞いた話だがバッティングセンターにいたおじさんは大野さんと言うらしい元プロ野球選手だったそうだがけがに苦しみ引退したそう、その後は僕の通っている高校である北明高校で野球部の監督をしているそう、僕は大野さんの人柄や小林君の影響で初めて本気で取り込みたいと思った。

 僕は小林君と同じ野球クラブで野球をしてた美馬君と一緒に野球部の入部届をもって大野さんのもとに行った。大野監督は大きな声で「岸部君気もやる気になったのかよろしく!!」

 と言ったこっちが若干恥ずかしくなったが野球部の部活を見るだけにした。

 部活の風景は何とも泥臭く必死になって練習をしていた特にサウスポーのピッチャー名前は確か三鵜島 洋平(みうしま ようへい)先輩はキャプテンだそうだ。

 翌日同じクラスの三鵜島さんに聞くと三鵜島先輩は三鵜島さんのお兄さんだそうだ。

 僕は三鵜島さんによろしくと言うと三鵜島さんもよろしくと言った。

昨日は学校案内に一日をお費やした。無駄に後者がデカい為足がくたくたになった。一昨日は入学式だったから自己紹介はしていない。

 と言うことで今日はクラス交流をするそうだ、小林君は小林 倫太郎(こばやし りんたろう)と言うらしい嘉山君は嘉山藤具(かやま ふじとも)と言うらしい何とも強そうな名前だ後三鵜島さんは三鵜島紗紀(みうしま さき)さんと言うらしい。

 そして授業を難なくこなす。ではなくほぼ自己紹介と授業の進め方の説明だけで終わった。

 そして部活ってわけではなくどうやら一年生の部活動解禁は4/13日らしい今日は4/10だ。その間倫太郎と藤具と美馬君と一緒にバッティングセンターに行った管理人さんは美馬君のお父さんらしい美馬君のお父さんは康彦(やすひこ)さんで、美馬君は康孝(やすたか)と言う名前だそうだ。

 康彦さんに聞き手を聞かれた。どうやら僕は右利きなのに左打席に入ってたそうだ。

 藤具と一緒に90キロの球を打っていた。その間凄い甲高い音がバッティングセンターに鳴っていた。そこを見ると康孝がものすごい球を飛ばしていた。

 球速を見たら130キロ僕らより早い球を打っていた僕はこっそり100キロに球速を上げた僕は初球を目で追うとバットに当てる感じで打つとヒット性?のあたりが出た。

 その後休んでいると康彦さんは監督の同級生で監督の下の名前を充と言うそうだ。大野監督は熱心すぎて監督に叱られるくらいの熱意があったそうポジションは4番キャッチャーだったそう康彦さんはエースで三番を打ってたそう出身は北斗高校だったそう。

 祖母の名前を言うと元気ですか?と聞いてきたどうやら祖母が担任だったそうで怒ったらとても怖い先生として恐れられてたらしい、一つの武勇伝として当時荒れていた一年生を2年生の後期から生徒会長た。と言っていたちなみにだがその人はどうやら大野監督のことらしい(笑)

 それくらいの熱意がある人だから覚悟をしなよとのことでした。藤具も話を聞いていたそうでちょっとビビってたのを笑ってしまったのはここだけの秘密ww

 四人でラーメン屋に行くと三鵜島先輩達がいたので挨拶だけでもと思い挨拶をした。

 三鵜島先輩はどうやらとても甘えを許さない人で覚悟しとけとのこと。藤具は「巻き込まれただけ」と帰る際伝えていた返しに「入って来いよ!!」と言われたのを見ていた僕等は、笑っていた。

 三日たって僕らはついに部活解禁され野球部のグラウンドに集まった。そこに藤具もいた。監督らは一年に一年間びっしりと練習させることを説明した。その後初心者はどうやら僕と藤具だけだった藤具は軸が強く足がそれなりに早いという理由でショートに回されていた。

 僕は方が強いという理由でまずは投手か外野手のどちらかを選べと言われた正直初心者の僕にとっては全く分からなった。

 部活帰りにふとバッティングセンターに行ってみた。康彦さんに相談してみた康彦さんは速攻で答えを出した。「お前さんはないをだれから言われようと投手に決まってる。だから充は投手と外野どちらがいいか聞いたのだろう。」と僕は初めてこんなにも嬉しい肯定に自然と笑みがこぼれた。その後、康彦が帰ってきて彼にピッチャーをやる旨を伝えると「俺はキャッチャーなでぇなお前の球を受けるのを楽しみにしてるぜ」と言っていただから僕はこう返した「おう、お前に予想もできない球を投げてやる。」と、なんだかんだで僕らに少し距離があったがそれが無くなったように感じた。

 これから僕の青春(野球人生)が幕を上げた。

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