第五章 幼年期の終わり
5-1:「それは、誰から、指示されたの?」
有明拓郎が第一に手掛けたのは、情報の隠蔽だった。
彼は赤色のカードを使って警察と報道関係者を制御し、町で起こる事件がすぐに沈静化できるようにした。
更に、水色のカードで医療機関を支配し、動物化した人間を隠す収容施設も構築した。
しかし、彼にとっての一番の問題は、『動物たち』自身の存在だっただろう。
有明がどんなに事実を隠そうとしても、この町には『彼ら』が集まり過ぎていた。当の本人たちの姿が目立ち過ぎるせいで、いくら努力しても町の異様さが隠しきれない。
そこで彼は『三枚目のカード』を用意した。
その力を使い、町の人々が動物たちの姿を気にしないよう設定した。
もちろん、これには下心があっただろう。数の多さを隠すためだと大義名分をちらつかせ、自分の手でも自由に人間を操れる状況を生み出した。
直斗は事実を反芻しつつ、町の中を闊歩していく。宍戸はニタリと口元を歪めたまま、黙って隣を歩き続けていた。
思い返してみると、違和感のある事実はいくつもあった。
緑のカードのシステムは、あまりにも広範囲過ぎた。そして、緑のカードを見せるだけで人を操れるという発想は、『あまりにも簡単過ぎる』ものだった。
当然、似たような代物は町の中にも存在する。それを目にしてしまった人間が、偶然意識を操られる状態になることもあっただろう。
駅の反対側にある国道のカーブ。この曲がり角の近辺には、緑色の企業看板が立っていた。通りから離れた場所にあるため、ドライバーの目にはカード大の大きさに見える。
芙美と買い出しに行ったスーパーでは、緑色のポイントカードが使われていた。会計の際にこれを見てしまうことで、店員が小銭を取り落とす事態が頻発した。
他にも、不審な点は思い浮かぶ。
『動物の守護霊』を生み出すプランの際、千晶は明らかに不合理な行動を取った。
宍戸が幽霊騒ぎを起こしているのだから、幽霊の見える人間たちに守護霊が憑くようにすればいい。それなのに千晶は、なぜか別の人間を被験者にすると決めた。
彼にはわかっていたのだ。緑のカードの命令を受けている以上、人々には『残り一回』しか操作を加える余裕がないことを。
更に彼は、ボッティチェリに指示を出す時にこう言った。
『回数に余裕のある奴』限定で、と。
千晶は一人に対して一回までしか操作を加えたくないと口にしていた。それなら、カラスに指示を出す時には、『まだ操作を受けていない人間』と言わなければ不自然だ。この言い方では一回命令を受けた人間たちも除外対象とはならなくなる。
この町に連れて来られた人間は、ほとんどが『粛清』を受けて脱落している。初期から残っているのは千晶一人で、有明と直に会ったことがあるのも彼だけだ。
動物たちの『三回目のルール』というのも誰にとっても脅威だ。そのため、誰かの心を操作しようと思っても、普通は同じ人間に続けて二回の操作を施すのは抵抗がある。
だから、今までの人間の中で、『緑のカード』の存在に気づく者はいなかった。
だが、例外が一人現れた。
普通の人間とは異なる感覚を持ち、自分自身の精神にすら操作を加えてしまえる異常者。宍戸義弥という男だけは、平気で『二回の操作』を実験対象に加えることもできた。
そうして、なぜか二回目の段階で動物化する人間が相次いだ。
普通ならここで、恐怖を覚えて手を止めてしまう。しかし宍戸は構わずに実験を強行し、町の人間がたった二回の操作で動物化する事実に気づいた。
あとはもう、推理の必要もない。
最悪な精神を持った人間だからこそ、千晶がずっと隠し通した『町の秘密』に辿り着くことになってしまった。
「……うん、近くまで来てるんだ。学校で渡そうと思ったんだけど、タイミング掴めなくて。良かったら、外まで出てきてくれないかな」
携帯電話を耳に当て、直斗は用件を伝える。「え?」と戸惑いの声をあげられるが、「頼むよ」と重ねて頼み込んだ。「まあ、いいけど」ともごもごとした声を返される。
目の前の家を見上げると、二階のカーテンがわずかに開けられるのがわかった。電話を切り、直斗は小さく手を掲げる。
本当は怖い。不安で仕方ない。でも、逃げてはいけないと思った。
目の前には小綺麗な二階建ての家がある。橙色の三角屋根に白い外壁。家の前にはレンガ模様の塀があり、黒いアーチのついた門が設えられていた。
電話を切って一分もしない内に、玄関の戸が開けられる。内側から黒い鉄の門も開け、芙美が小走りに駆け寄ってくる。
とっくに着替えは済ませたらしく、制服は着ていない。上半身は灰色のパーカー。その下はブルージーンズというラフな姿だった。突然呼び出されて不思議そうにしつつも、親しげに微笑みを向けてくれる。
「どうしたの? 急に」
いつも通りの気さくな調子で問われる。記憶を操作される前と、ここは何も変わらない。
こんな少女と普通に学園生活を送れていたら、きっと楽しかっただろう。
でも、今は感傷に浸っていられない。
「芙美、これを見て欲しいんだ」
直斗は彼女と一歩距離を詰め、緑色のカードを目の前にかざす。芙美は一瞬きょとんとし、カードを両目でまじまじと見た。
次の瞬間、明らかな変化が出た。
目線は前を向いたまま、芙美の顔から表情が消える。
「質問に答えて欲しい。芙美はこの緑のカードを見た時、どんな命令も聞くようになっている。それは間違いないね」
喉の奥から言葉を絞り出す。喋るほどに息が乱れ、胸の中がざわつく。
「はい」と間もなく彼女は返事をする。
直斗は一度俯き、大きく息を吸い込んだ。
「芙美は、前にも誰かから、このカードで命令を出されたことはあったかい? そう昔じゃない。この数ヶ月くらいのところで、誰かから何かを言われなかったかい」
カードを持つ手が震えそうになり、唇を噛みしめて耐える。
「ありました。この家に前から住んでいたように思い込めと、命令されました」
彼女は直近の経験を語る。「そうだね」と直斗は平静を保ちながら呟いた。
「他には、何かなかったかい。それより前、僕が転校、してくる頃には」
頭の中に波が生まれる。脳の中だけでなく、喉元や肺の奥にまで押し寄せて、吐き気に似た感覚が込み上げる。
芙美は瞬きもしない。変わらずに光のない目を向けていた。
「はい」とやがて肯定を口にする。
「それは、どんな内容なの?」
聞きたくなかった。否定して欲しかった。すべては単なる偶然で、これまでの時間はすべて、成り行きによって生まれたものだったのだと思いたかった。
だが、芙美はそれを許してくれない。
「指示を、受けました。隣の席に転校生が来るので、仲良くするようにと。お父さんと一緒に付き合いを続けて、一緒に町の秘密を追いかけろって」
感情の籠らない声で、芙美は事実を証言した。
言葉が認識された瞬間、力が抜けそうになった。
膝が震えてくる。背筋からすっと何かが霧散していき、その場でへたり込みたくなってきた。カードを持つ手の先も、小刻みに振動を続けていた。
「ちなみに、それは、誰から、指示されたの?」
左手で右腕を押さえ、最後の質問を発する。ぎゅっと大きく目を瞑り、眼球が渇いてくるのに必死に耐えた。
そして再び目を開けた時、芙美はゆっくりと唇を開いた。
「……坂上、千晶くんです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます