3-5:千晶の絶望

 町の歴史を知ること。それがやはり今は最重要課題だと見えた。

 そしてそれを知っている人間は、身近に一人しかいない。


「有明が裏で何をやってたのかは、さすがに全部は把握してない」

 夜に梅嶋家の子供部屋で向かい合い、直斗は質問を投げかけた。


 机の上にはコカコーラの缶が置かれている。少し前に入浴を済ませてきたところで、千晶は髪を濡らした状態のまま部屋で炭酸飲料を口にしていた。


「とりあえず、また町の話を聞かせてよ。宍戸のこともあるし、どんな人がいたのか知っておきたいから」


 直斗はベッドの下段に腰を収め、彼に依頼する。「そうだな」と缶を片手で持ち、千晶はあっさりと承諾してきた。


 まずは髪を乾かしてから、と千晶は一度席を立った。





 有明拓郎が町に残したものは、彼の死後もずっと生き続けた。


 一番目立っていたのは、動物たちの言葉づかいだった。


『人類の代表』として動物たちと付き合いを続ける間も、有明は詐欺稼業を続けていた。「おめでとうございます」と電話をかけるなり告げ、当たってもいない懸賞の話を老人に伝える。そして相手の住所や口座番号を聞き、商品を受け取るための条件だとして架空の請求を繰り返していた。


 そんな彼の行動を傍で見ていたため、動物たちは間違った言葉を覚えてしまった。

 人に話しかける時は、まず『オメデトウ、ゴザイマス』と言う。


 千晶は鳥類学者の鈴木俊太郎と共に、動物たちに言葉を教えた。挨拶の言葉ももちろん教えたが、有明にすりこまれた勘違いだけは、どうしても修正できなかった。


 こればかりはもうどうでもいいかと、二人は苦笑し合い、是正を諦めた。


 そうする間にも、次々と新しい人間は送られてきた。


 どんな人間を選ぶかは、動物たちが常に決めた。ランダムに選ばれているように見えて、動物たちの中には『適性』として明確な基準があるらしかった。


 今まで選ばれた人数は十二人。


 十三人目と十四人目に会った辺りで、ようやく動物たちの『基準』が見えてきた。

 連れて来られた一人は証券アナリストの槇田まきた恭一きょういち

 もう一人は町の選挙区から当選した現職国会議員の安田やすだ剛二郎ごうじろう


 動物たちは『広い視野で社会を見る人間』を求めたようだ。


 だが、この二人もハズレだった。


 槇田は動物たちの力で株価操作を行おうとし、私服を肥やそうとした。

 安田は所属する党が政権運営に失敗していた。選挙での票集めに動物たちを利用しようとし、結果として粛清された。


 この辺りが大体の、この町の歴史のターニング・ポイントとなっている。


 次に連れて来られたのは阿川あがわ房江ふさえという七十代の人類学者。

 阿川房江は穏やかな女性で、千晶も好感を持てた。彼女もまた動物との対話を大事に考え、鈴木俊太郎と三人で彼らの真意を読み取ろうとした。


 この時期は、なかなか悪くない状態だった。このメンバーならば、いずれは問題も乗り越えられるのではないかと千晶は希望が抱けてきた。


 けれど、変化は起こってしまった。


「なあ、千晶くん。彼らの力は本当に、人のために使ってはいけないのかな」

 しばらくは平和な時間が続いていた。だが、同時に心労も蓄積されていた。

 何人かの粛清を見たあと、鈴木は自分らの行いに疑問を訴えるようになってきた。


「動物たちの力は、社会のために使ってはいけないのかな。犯罪をなくしたり、差別や貧困をなくしたり。そういうことのために使うものなんじゃないだろうか」


 限界が来ている、と感じざるを得なかった。


「しばらく、休んでいてください。俺と房江さんで探究は続けますから」


 千晶はそう言ってなだめたが、鈴木は聞かなかった。まだ中学生だった千晶や高齢の房江に責任を押し付けることはできないと。


 その数日後、彼もまた『脱落』となった。


 ちょうどその頃、鈴木は親に虐待を受ける子供と知り合っていた。彼は町に来てから、社会福祉団体でボランティアをするようになっていた。そうやって動物たちの手先になることに折り合いをつけようとしていた。


 そんな中で子供たちと知り合い、制度の中で救えない子供を守ってやろうとした。そして動物たちに命じ、彼らを虐待する親たちを矯正しようとした。


 だが、許されないことだった。


「ばかやろう」と千晶は彼の姿を見て、力なく呻いた。

 これまで会った人間の中で、鈴木は唯一尊敬できる相手だった。この男ならきっと道を踏み外さず、最後まで自分と共に居てくれるだろうと思っていた。


『穴埋め』で呼ばれて来た人間たちも、輪をかけてろくでもなかった。


 補充にやってきたのは、宗教家である後藤田ごとうだ茂雄しげお


 そしてもう一人、動物学者の宍戸義弥が現れた。鈴木が鳥類学者だったので、『動物に理解のある人間』という形で呼ばれたのだと想像される。


「これはなんとも、興味深い話だ」

「神というものは、実在するのかもしれないな」


 宍戸も後藤田も、明らかに歪んだ人間だった。今までの人間たちは事実を知った後に必ず怯えた表情を見せた。しかしこの二人は違い、動物たちの力を見て愉悦の色を浮かべた。


 二人は次々と、町の人間を実験台にしていった。


 千晶はこれを見て、理不尽な思いを抱かずにいられなかった。

 力で人を救うことは許されない。それなのに、面白半分に人を弄ぶことは問題ない。


 幸い、後藤田はすぐに脱落してくれた。


「これからこの世には、新しい神が生まれることになる」

 後藤田はそう主張した。


 彼は既に、町の外でも新興宗教を立ちあげていた。多くの信徒を獲得しており、すぐに彼らを町に呼び寄せようとした。

 これから、この地を拠点に一大宗教団体を作り上げる。


「私がこの世界を支配しよう!」彼は高らかに宣言した。

 そして、即座に粛清された。


 千晶は安堵した。後藤田も収容施設に入れ、この男が集めた信者たちも記憶を消して家に帰らせた。


 でも、悲劇はそれで終わらなかった。

 鈴木の粛清や、その後の宍戸や後藤田による人体実験の数々。それらは阿川房江の心に大きな傷を刻んでいた。


 ある日、彼女が宿泊先で首を吊った。遺書はなかったが心労が原因だと十分にわかった。

 千晶は彼女の遺体の前で膝を折り、絶望で叫び出したい気分になった。


「……ちくしょう。ふざけやがって」


 それでも、絶対に諦めるわけにはいかなかった。自分には守るものもある。重ねてきてしまった罪もある。このまま何もかも投げ出すわけにはいかなかった。


 唯一の希望となったのは、一つアイデアを閃いたことだった。


 後藤田の行動を見る中で、『宗教』というものが使えるのではないかと考えた。後藤田は自身の権力欲を満たそうとして自滅したが、動物たちを神と崇めさせる案そのものは悪くないと思った。


「なあ、今から俺の言う条件の奴を連れてこい。そいつを房江さんの補充にしろ」

 千晶は思い立ち、連絡係のボッティチェリに訴えた。自分から『仲間候補』を選ぶのは初めてのことだった。


 これからこの町を中心に動物信仰を作り上げる。だから、その手の分野に詳しい学者を連れてくるように指示を出した。


 そして、願いは聞き届けられた。


 それから一週間後、榊英彦が連れて来られた。地方の大学で教鞭を取る准教授だった。


『人類代表』は、彼でついに十八人目。千晶がウォッチャーと出会った日から、もう二年近い月日が経過していた。

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