2-8:この町の未解決事件

 本当にいいのだろうか、と迷いだけは燻っていた。


 芙美の家は、古びれた木造のアパートだった。二階部分の一番奥に住んでいるのだと告げられる。


 アパートの中はそれなりに広かった。ドアを開けてすぐに四畳程度の台所があり、その先には部屋が二つある。左手の部屋は芙美の自室らしく、堅くドアを閉ざしたまま決して中を見せてくれようとはしなかった。


 右手の部屋は、畳敷きの和室。中央に炬燵と兼用の卓があり、部屋の隅には白いパソコンデスクが置いてある。中は整頓されているとは言えず、机の上や卓の周辺に無数のファイルや書籍類が山積みになっていた。「ちゃんと片付けときなって言ったのに」と芙美は小さくこぼしていた。


「君が、昨日転校してきたというクラスメートか」


 卓の前には白いワイシャツ姿の男が座っていた。年齢は四十半ばくらいで、厳しそうな雰囲気のある人物だった。眉はくっきりとして目付きは鋭い。頬も細く、かすかに不精髭を伸ばしている。髪は短く刈られていて、わずかに生え際に白髪が浮いていた。


 彼は直斗が部屋に入るのを見ると、すぐに向かいの席に座るように勧めた。恐縮しながら座布団に腰を据えると、相手はまじまじと容姿を観察してくる。

 芙美はすぐに湯を沸かし、二人分の緑茶を出してくれた。


「ひとまず自己紹介をしよう。私は現在フリーでジャーナリストをしている。専門は社会事件だったが、最近は少し休業中で、あまり人様に誇れる状況じゃない」

 彼は名刺を差し出す。作法はよくわからなかったが、とりあえず両手で受け取り、表面に書かれた文字を見る。


 笹原ささはら吉嗣よしつぐ、という名前があり、横には大手の新聞社の名前が印刷されていた。


「現在の名刺はないから、昔の職場のなんだ」

 彼ははにかんだように口元を緩め、湯呑みに口を付ける。


「では、早速本題に入っていいかな。場合によっては失礼な質問をする場合もあるかもしれないが、その時は許して欲しい。君の親類について、二、三聞きたいことがあってね」


 湯呑みを卓に置き、吉嗣は鋭い視線を向ける。「ええ」とだけ直斗は答え、ちらりと傍らにいる芙美に目配せをする。芙美はピンクのエプロンを付けて傍らに正座しており、すまなそうに苦笑いを浮かべていた。


「それではまず奇妙な質問をするが、君は、この町が何か変だとは思わないかい?」

 温度の籠らない声で、吉嗣は問いを発する。


「え?」と短く疑問の声をあげる。


 急速に、背筋が冷える。


「いや、すまない。来たばかりの君にこんなことを聞いても仕方ないな。まだこの町に来て日は浅いからわからないかもしれないが、ここではどうもおかしな事件がよく起こるんだ。昨日の放火事件もそうだし、他にもおかしな症状を出して病院に運ばれる者が出たり、なぜか異常なくらいに鳥や野良猫が町に溢れていたり」


「はあ」と曖昧な声を漏らす。


「それなのに、誰もそのことを騒ぎ立てることはしない。人が殺されても警察はろくに捜査もしないし、マスコミだってなぜかこの町で起きた事件についてはろく取り上げようとしない。まるで政府機関から圧力でもかかっているかのように、ほんの数日でこの町の問題に立ち入るのをやめてしまっている風がある」


 吉嗣はくっきりした眉を寄せ、鋭く表情を窺ってくる。「はあ」とだけまた答えた。


「私はもう新聞社を辞めた身だから、かつての同僚がどういう観点からこの町の事件に価値はないと判断したのかは知りようがない。たしかに、メディアの世界にいれば、とりあげづらい問題があるというのはわかっている。大手の広告主の不祥事は忌避されるし、本質的に記事にすると厄介なことになる集団というのも日本には少なからずいる。だが、この町の問題に関してそういうものが絡んでいるとはどうしても思えない」


 卓の上で拳を握り、吉嗣は力説する。何度も頷きながらそれを聞き、背中に冷や汗が浮かぶのを感じていた。


 千晶の説明では、警察とマスコミは赤いカードによって事件に疑問を持たないようにされていると聞いていた。

 だが、この男のようにフリーで活動している人間はどうなのだろう。


 溜め息をつきたい気分だった。


 自分はトラブルに巻き込まれる体質なのだろうか。千晶の勧めで学校に編入し、隣の席になった少女と親しくなった。その少女の父親がジャーナリストで、町の事件に興味を持っている。


 正直、出来過ぎだとすら思える話だ。そんなものに巻き込まれる自分は、相当運が悪いのではないのだろうか。


「ねえ、お父さん。前置きはその辺にしたら」

 今までじっとしていた芙美がわずかに腰を上げ、父の前で小さく手を振る。


「ああ、そうだね。すまない、興奮してつい話が長くなった」

 ハッと目を見開き、照れた風に小刻みに頷く。


「では、改めて本題だが、君が一緒に住んでいる坂上千晶くんという少年について、聞かせて欲しいと思っていたんだ」


「千晶、ですか」

 また冷や汗が浮く想いがした。


「そう。でも、勘違いしないで欲しいのは、別に君の親戚が何かの犯罪に関わっているとか疑っているわけじゃない。ただ、こちらが知りたい情報を持っているのではないかと、希望を抱いているという程度の話なんだ」


 吉嗣は表情を和らげる。


「町が変だと考えているのには色々と理由はあるんだが、その中でも特に目を付けている事件があってね。私がもともと追いかけていたのは、この町で活動していた詐欺グループの問題の方だったんだ」


「ええ」と短く返す。


「有明拓郎という男がかつてこの町にいて、詐欺行為を働いて生計を立てていた。そいつのことを追いかけていたんだが、今から一年以上前に、突然そいつが殺される事件が起こった。まあ、ろくでもない男だから誰かの恨みを買ったんだろうとは思えるんだが、そこでもまた、この町の妙な感じが絡んできてね」


「有明」と相手の言葉を反芻する。


 その男が殺害されていた。


「その人と、千晶が何か関係があるんですか?」

「その辺りはよくわからない。でも、有明が殺害された後に、あの少年が有明の住んでいたマンションの近辺をうろついているのを何度か目撃している。有明の死そのものはたいした謎ではないんだが、さっきも言ったような、この町特有の不穏な動きが見られてね。また例によってマスコミも警察もその件をろくに取り上げないという事態になった」


「そう、なんですか」

 目の前が少しグラグラする。頭の中でパズルを組み立てようとするが、その度に空中分解してしまいそうなもどかしさを感じる。


「そういうわけだ」

 葛藤する間に吉嗣は更に言葉を畳みかけた。


「だから、出来れば情報が欲しい。あの千晶くんという少年が、有明殺しについて何かを知らないか。そういうことをうまく聞き出せないか、良かったら協力してくれないか」

 彼はいったん表情を緩め、柔らかく微笑みかけてきた。直斗は迷いを覚えつつ、それに合わせて口元を緩める。


 これこそ、即答しかねる問題だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る