2-7:隣の席の少女
学校に行ったら、またすぐに憂鬱になった。
教室の中には『空いている席』が出来ていた。転校生が来るためのものではなく、昨日までは当たり前に主人のいた机だ。
幸い、花が置かれることはなかった。どうにか一命を取り留め、体に火傷を負った状態で病院に運び込まれたそうだった。
おかげで、授業にもあまり集中はできなかった。せっかく机をつけて芙美に教科書を見せてもらっているのに、ノートを取る手もろくに動いてくれない。
そんな直斗を、芙美は不思議そうに横から見つめてきた。
「どうかした?」と心配そうに問われるが、「いや、別に」と小さく首を振るしかできなかった。
彼女はただのクラスメートだ。ただから巻きこむことは出来ない。
そう思いながら午後も授業を受ける。数学の時間は退屈だった。カリキュラムが違っていて、既に一学期に習い終えた因数分解を再びやることになった。不必要だと思ったおかげで、余計に授業にも身が入らなくなる。
そんな気配を察したのか、突然芙美は教科書を自分のもとへと引き寄せてしまった。
しかし、少ししたところでまた教科書を差し出された。
芙美は顔を上げ、目線を合わせてくる。そしてシャープペンの先を使い、教科書の余白部分を示してきた。
『放課後、時間ある?』
少女らしい丸っこい文字で、余白には文字が書かれていた。
「どうなの?」と耳元で囁かれる。直斗はひとまず曖昧に頷き、当面をやり過ごした。
本当に、どうしようか。
「問題ない。行って来いよ」
千晶はあっさりと許可を出してきた。
「言ったろ。周りと仲良くしておくのはいいことだって。もちろん、言うまでもないことだけど、くれぐれも秘密は守れよ」
千晶はあっけらかんとしている。これ以上は無意味かと思い、直斗も教室に戻る。
元の席に戻り、残った五限目の授業を受ける。
「じゃあ、行こっか」
鞄に教科書を詰め、芙美がすぐに帰り仕度を始める。最初に会った時と同じように朗らかに笑い、直斗の袖を引くように教室の外へと誘導してくる。
どこへ、とは問う余地がなかった。芙美はぐいぐいと先を行ってしまうので、ただそれについていくしか出来なかった。そのまま昇降口を出て、校舎の外を回って行く。
彼女はそのまま校舎裏のスペースへと誘導してきた。
すぐ間近には白いコンクリートの壁があり、校舎との間には二メートルほどの幅しかない。校舎の窓の下には灰色のガスボンベが立ち並び、足元も雑草が伸びている。湿った雰囲気のある場所で、あまり人の立ち寄りそうな気配はなかった。
「少し、聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
日陰の空間を半ばほどまで進み、芙美が体の正面を向けてくる。
「昨日の夜だけど、坂上くんと一緒に火事の現場にいたよね?」
「うん、まあ」とおずおずと返す。
頭の奥がひやりとする。
「町の中を、案内してもらってたんだ。千晶が気に入ってる公園があるとか言って、それでしばらくそっちの方にいたっていうか」
一緒にコーラを飲んだ公園を思い浮かべつつ、あの火事現場には偶然通りかかっただけなのだと暗に示唆する。
ふうん、と芙美は目線を逸らさずに鼻を鳴らす。
「じゃあ、別の質問だけど、坂上くんとは、仲がいいの? 親戚だって聞いたけど、あんまり似てないよね。あと、どうして急にこんな時期に転校してきたの? 家族の事情があったって聞いたけど、何があってこんな町に急に来ることになったの」
「それは」と口ごもり、目線を右へと泳がせた。
なぜ急に、こんな込み入った話をしてくるのか。
「あ、ごめんね。急にこんなこと聞いたら、なんなのかって思うよね」
不審の念が顔に出たのか、芙美も慌てて態度を和らげる。顔を俯かせ、もじもじとした様子で謝罪を口にする。
「昨日、ウチのお父さんが火事の現場で写真を撮ってたの。それを見せてもらったら坂上くんと瑞原くんが写ってたから、なんか気になっちゃって」
「そうなんだ」と相槌を打つ。
まだ何か腑に落ちない。
「千晶とは、親しいの?」
芙美は曖昧に首をかしげた。
「どうだろう。親しいっていうほど、直接話したことはないかな。なんとなく坂上くんって、孤高な感じというか、ちょっととっつきにくい感じあるから」
「そうかな」と小さく呟く。
「うん。それは別にどうでもいいの。ただね、坂上くんてなんだか前から裏がありそうっていうか、町のあちこちを動き回ってる感じがあって。それで、なんというか、ミステリアスな感じがするというか」
芙美はすぐに大きく頭を振った。
「なんだろう。うまく説明できない。でもとりあえず、重要な話なの。これからって、時間あるんだよね。良かったら、今からウチに来ない? ウチのお父さんなんだけど、良かったら会って話をしてみて欲しいの」
彼女は唐突に手を取ってくる。直斗の右手を両手で掴み、縋るように顔を見上げた。
「うん?」と小さく首をかしげながら、ようやくそれだけ返すことが出来た。
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