1-3:芳市の実験

 あれから今日で一週間。未だに答えは出せていない。

 芳市が学校に来ない日は続いている。日中から彼は公園でカラスと一緒に過ごし、相手の持つ力を試そうとしているようだった。


 放課後になると芳市に会い、『実験』という名目の遊びに付き合うことになっている。正直関わりたくないとは思う。でも、放置しておく方がずっと危険だった。


「よし、じゃあ今度はこの問題解いてみろ」

 芳市は木の棒で土に数字を書く。足し算や掛け算の計算式と、その答えの候補となる三択の数字。芳市が問題を出し、カラスは正解だと思われる数字の上にジャンプする。


 今のところ、結果は全問正解。人間でも暗算の難しい二桁同士の掛け算まであっさりと解いてしまっていた。


 直斗はジャングルジムに背中を預け、ぼんやりとカラスの姿を見つめる。

 本で調べた結果によると、このカラスは『ハシブトガラス』と呼ばれる種のようだった。基本は山や森に住むタイプの鳥で、虫や小動物を捕食して生きる。近年では都会にも進出するようになり、ゴミを荒らすなどのトラブルをよく起こしている動物だ。


 性別はオス。正確な年齢は分からないが、体の大きさからすると完全な成鳥。相変わらず他のカラスと群れることはなく、一羽のみで公園で過ごしている。


 このカラスは根本的に何かが違う。

 明らかに今までの常識に収まらない存在だ。なぜ人間の意識を操ることができるのか。それはどういう原理に基づくものなのか。


 そして、このカラスと遭遇した自分は、一体どう対処するべきなのか。


「よし、計算はこの辺でいいか」

 芳市が腰を上げる。持っていた棒を投げ捨て、自分の肘に飛び乗るようカラスに促す。


「次の実験をしよう。いくつか用意しておいたパターンがある」

 左手を自分の顎に当て、芳市は怜悧な科学者のような物言いをする。

 また何かやるのか、と腹の奥に冷たい物が走るのを感じた。


「直斗の気持ち、よくわかるぞ」

 うんうんと首を縦に揺すり、芳市は微笑みを向けてくる。


「こいつが何者なのか、わからなくて不安なんだよな。こいつの力がどういうものなのかわからないから、この先どうなるか予想がつかない。だから心配なんだろう」

 直斗は曖昧に首をひねる。


「だから、とにかく実験が必要だよな。こいつの力の有効範囲はどれくらいなのか。それをちゃんと理解しておかないと。それがやっぱり人類としての義務だと思うんだ」


「まあ、そうかもね」


「だよな。やっぱり、大事なのは理解することだよ。何かを始める前にはまず説明書を読む。それがないなら色々試してみてスペックを理解する。それが現代人の知恵だよな」

 うんうん、と芳市は自身の言葉に頷く。


 直斗はだるさを感じながら腰を上げる。ジャングルジムによりかかりながら、ぼんやりと芳市の表情に目線を向ける。


 しばらくの間、芳市は一人で笑みを浮かべ続けていた。口元で何かぶつぶつと呟き、時折大きく頬を緩めてくる。


 そんな奇行をひとしきり続けた後だった。芳市は姿勢を正し、揚々とした声を上げる。

「じゃあ、これから早速実験開始だ」




 結論から言うと、芳市の実験は有意義なものだった。


 カラスには人の心を操ることができる。芳市が命令を出し、カラスがそれを聞き入れ、目の前の人間が実際にその通りの行動を取り始める。


 芳市は街の中を移動し、何人かを実験台にしてカラスの能力を検証していった。


「まずは、あのマンションにいる人間。そこにいる奴らが全員屋上に出て、空を仰ぐ」


 視界の先にある建物を指差し、カラスに指示を出す。

 結果は今まで通りだった。建物の屋上に次々と影が出現し、空へ向かって手を広げた。


 これによって『建物の中にいる相手にでもカラスの力は通用する』と証明できた。カラスは力を使う度に鳴き声を上げていたが、その声が届くかどうかは問題ではない。


 これによって、カラスの力の正体が『音波』のような物ではないことが確かめられた。耳を塞いでいれば意識を操られないで済むという類のものではない。


 人類にとっては、これは大きな懸念事項だ。いざこのカラスが人間に牙をむいた時、どうすれば防ぐことができるのか。


 そして『一度に複数の人間を操ることもできる』ということも判明した。


「次は車だ。そこを走ってく車の運転手に、急停止するように命令を出してくれ」

 大通りに出たところで、芳市は目の前を行くスポーツカーを指差す。法定速度よりもかなりオーバーした速度だった。轟音を上げて目の前を過ぎていく車を止めさせる。


 これもやはり成功。ちょうど後ろに車がいなかったので事故も起きなかった。

 これにより『ある程度の速度で動いている対象も操れる』ことが判明した。


「じゃあ、次はちょっと変則的な実験をしてみよう」

 芳市は嬉しそうだった。カラスが次々と課題をこなすので、胸が躍っているようだった。


「今度はテレビの中の奴だ。一応説明しておくけど、これはテレビって言って、遠くにあるものを画面の中に映すものなんだ。別に中に誰かが入ってるわけじゃない」


 芳市はカラスを連れて自分の部屋の中に入って行った。

 芳市の部屋はピンクが目立つ。絨毯もきらびやかなピンク。カーテンもピンク。八畳ほどの部屋で隅にベッドがあるが、シーツが白いだけで掛け布団も薄いピンク。ベッド脇のタンスの上にはピンク色のゴリラやクマのぬいぐるみも飾られている。


 そのベッドに腰掛け、芳市はテレビのリモコンに手をかける。直斗はそれとは距離を取り、壁際に立って行動を見守る。並んでベッドの上に座るのだけは勘弁願いたかった。


「じゃあ、今度はこいつを操ってくれ。三十秒間息を止める」

 夕方の六時少し前で、ニュース番組が流されていた。アナウンサーが今日起こった事件について流暢に解説している。それに干渉するようにと芳市は指示を出した。


「カァ」とカラスは素直に言うことを聞く。

 今度も成功。テレビの中では放送事故が起こり、アナウンサー本人も共演者たちも取り乱した様子を見せていた。


 おそらくこのカラスはテレビ局の位置など把握していない。それなのにこの結果を出せたということは、『相手の位置がわからなくても操れる』ということになる。


 直斗は口元に手を当てる。自然と舌先に苦味が走ってきた。

 いくらなんでも、あまりにも万能過ぎる。どこにいたって自由に人間の意識を操れる。建物の中だろうが、遠くにいようが構わない。相手の位置を把握することさえ必要ない。

 頭の中に思い浮かべるか何かすれば、ただそれだけで自在に意識を操作できる。


 危険、などというレベルの話ではなかった。

 だから、ここらが潮時のはずだった。


「芳市、そろそろ終わりにしようよ」

 テレビのリモコンを手に取り、直斗は番組を消す。部屋が静かになったところで、はっきりと制止の言葉を口にした。


「ん?」と芳市はきょとんとした表情を向けてくる。横目でカラスに視線をやり、ベッドの上に移動させる。


 直斗は一度深く息を吸い込んだ。


「もう、十分わかっただろ? 実験みたいなのはもういいんじゃないかな。さっきのアナウンサーだって後から大変だろうし、やっぱり人を操るようなことは、他人に迷惑がかかることだからやらない方がいいと思うんだ」


 眉を下げながら一息に語る。芳市は驚いたように目を見開くが、すぐに意味を悟ってうなだれる。不服そうに唇を尖らせ、眉根に皺を寄せていた。


 そっと隣にいるカラスに目を向ける。ガラスを思わせる無機質な瞳で見つめ返された。


 こいつには人の言葉がわかっている。だから、下手なことは言わない方がいい。

 そう判断し、オブラートに包んで話を進める。


 一番怖いのは、このカラスが『学習』をしてしまうことだ。


 芳市が実験をすることにより、カラス自身が自分の持つ力の大きさに気づいてしまう。自分にはどんなことが出来るのかを理解し、更にその使い道まで把握する。


「なんというか、やっぱり怖いじゃないか。人の心が自由に操れるなんてさ。パッと見は平気そうに見えてるけど、今まで実験台にした人だって、何か後遺症が出る可能性だってあるはずだし。やっぱりほら、人間の脳って繊細だしさ」


「まあ、それはわかってるよ」

 芳市はうなだれたまま返してくる。

「じゃあ」と直斗は努めて笑顔を作る。


「でも、もうちょっとだ。もうちょっと、実験した方がいいんじゃないか」

 だが、芳市は首を振ってきた。


「もうちょっとなんだよ。何かこう、引っ掛かってる物があってさ。それがわからない内はすっきりしない感じがするんだ。こいつが何者かだって、まだわかってないだろ」


 芳市は顔をあげ、カラスの方を手で示してくる。「そうだよ」と自分の言葉に頷き、何度も顎を揺する。


「やっぱり、大事なのは正体だよ。もう少し、こいつと一緒にいれば何かわかると思う。もちろん、直斗の言うことはわかってる。変に人を操るのは俺もいけないんじゃないかってことくらい、ちゃんとわかってるよ。だから心配しないでいいからさ、もうちょっとだけ、こいつのことを調べてみないか」


 早口にまくしたて、何度も瞬きを繰り返す。責められて困惑している時の芳市の癖だ。


「約束する。安全優先。尊厳も優先。どっちかっていうと、俺もそれを確認したくて実験してたんだよ。こいつが人に危害を加えないかどうか、ちゃんと確かめたいっていうか」


 手振りまで加えて主張を続ける。


「でも」と直斗は呆然と口を開く。

「心配するなって。俺がそんな奴じゃないってわかってるだろ? 信用してくれよ」


 今度は直斗がうなだれた。


 もう、これ以上の議論はできない。

 これ以上何かを言おうとすれば、自分は不信感を吐露しなければならなくなる。そうすればきっと、こいつは怒り狂う。


 だからきっと、もう何を言っても無駄なのだ。

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