08 行路Ⅰ

「揺~られ~てい~くよ~♪ 真~白~い尾根越えて~♪」


 ガタガタという微かな段差を乗り越えていく音。流れる窓の景色は鮮やかで、絵になるというのはこういうことを言うのだろう。

 青葉繁る森林に、緑萌える広々とした草原。あいにく青空は頭上を流れる黒煙の所為で台無しだが、それも列車でしか見られない趣と捉えれば、また一興。

 列車の景色という物は、世界によらず清々しい物だ。


「見~つめ~るそのひとみ~♪ ま~ぶた~に焼き付けて~♪」


 向かいの席のピネルも上機嫌に歌っている。それは故郷の歌だった。基地では歌えないその歌をおおっぴらに歌唱できているのは、周りにいるのも同じ小隊員ばかりだから。


「嗚呼~♪ 雪のな~か~で~、しゃ~りん~がま~わる~♪

 いま~♪ 山をゆ~き~て~、お馬が進むよどこまでも~♪」


 しかし、歌を聴いている隣のホリーの表情は芳しくない。何かを堪えるような、耐えるように顔を顰めている。通路を挟んで向こうの席にいるフラクネートたちも苦々しい顔だ。

 無理もない。何故なら、


「子豚の瞳はうるうると~♪ 夜のよう~に美しく~♪

 零れる涙は変わらない~♪ だからぼくらと、同~じなのさ~♪」

「ピネル、その歌は止めてくれない!?」

「え、なんでッスか!?」

「出荷される家畜の歌でしょうが!」


 ……こちらの世界でいうドナドナなのだから。

 そしてわたしたちは馬車ならぬ機関車に揺られて、どこかに運ばれていく途中なのだから。



 ※



「護衛……ですか」


 某日。執務室に呼ばれたホリー、そして副長として同伴のわたしは辞令を受けていた。

 そういえば機会がなかったので言わなかったが、わたしはカラキラー小隊の副長だ。ちなみに階級は伍長。正直ホリー共々小隊を率いる身分としては階級が低いのだが、そこはレーゲル人の悲哀である。これでもエースとして出世した方なのだ。

 閑話休題。そんなワケでこうして辞令を受ける際、わたしとホリーは一緒にいる。


「そうだ。お前たちカラキラー小隊は明日五時に到着する列車に同乗し、物資を護衛しろ」


 そうでっぷりと太った腹を突き出しながら命令するのはこのゴズ要塞の司令、トランペット大佐だった。見るも見事な禿頭についた眼差しは、模範的なエルゴバキア人らしくわたしたちを露骨に見下している。


「あの……質問をよろしいでしょうか」

「ほう、レーゲラナ風情が一丁前に口答えするのか?」


 口を開いたホリーを鋭く睨んでくる。大佐は煙をくゆらせる葉巻を手にしながら、ギシリと音を立てて椅子から立ち上がった。


「それとも何だ? それを知らなければ命令に従えないとでも言うつもりか?」

「いえ……そういうワケでは」


 上背がある大佐が目の前まで来るとわたしたちの小柄さがより際立つ。見下ろす冷たい視線に怯みながら、ホリーは食い下がった。


「今までに例のない任務です。詳しい情報があるとないとでは生存率が大きく違います! ですのでどうか、詳細をっ……!」

「貴様らレーゲラナがいくら死のうと、どうでもよいわ!」


 苛立ちが頂点に達した大佐の掌が唸る。それが届くよりも早く、わたしは二人の間に身を割り込ませた。

 小気味いい音の張り手が打ったのは、わたしの頬だった。


「っ、ベル!」

「貴様……『灰兎』か」

「……申し訳ありません、大佐。隊長の護衛も、副長の任務なので」


 ヒリヒリと痛むがそれだけだ。基地の中でふんぞり返ってるだけの腕力じゃ傷にもならない。


「フン……偶然でエースを討ち取って勲章を受けようと、所詮レーゲラナはレーゲラナだな。育ちの悪さが目に良く表れておるわ」


 わたしがジッと見つめ返すと、大佐の矛先はわたしに向いたようだ。


「忌々しい金輪の瞳め。一つくらい潰してやろうか」


 そう言って大佐は、手にした葉巻をわたしの目へと近づけた。赤熱する先端が、わたしの視界を半分埋める。


「ベル……!」

「……お好きにどうぞ。しかし……」


 眼球で熱を感じる程に近い。だけど怯まず答える。


「片目を失えば、流石に切り裂き魔は止められなくなるでしょう」

「……チッ」


 流石にそれは困るのだろう。

 興が削がれたという風に大佐は背を向けた。


「……質問は却下だ。さっさと失せろ」

「承知しました。任務了解です。では、失礼いたします」

「ああ、さっさと行け」


 しっしと追い払われるようにして、わたしたちは執務室を後にした。


 廊下に出て、しばらく歩く。司令の部屋から十分に離れたところで、ホリーがわたしの頬を挟み込んできた。


「へぷぅ」

「大丈夫!? 目、火傷したりしてない!?」


 万力のような強さでわたしの頬を押さえつけ、顔を覗き込んでくるホリー。い、痛い。さっきの大佐の張り手より痛い。


「へ、平気だって。ちゃんと両目とも見えてるよ」

「……そう。よかった」

「ぷへっ」


 わたしの青い金輪の瞳が両方共健在なことを確認したのだろう。手を離してくれた。


「ふぅ」

「でも、気をつけなさいよ。……目は、パルダイトでも治らないんだから」

「分かってるって」


 パルダイトは人体を治癒してくれるが、複雑すぎる臓器は治せない。例えば心臓や、脳。それから、視神経。

 いくら神秘のパルダイトでも瞳の水晶体が焼かれれば、もう二度とその目に光は灯らないのだ。


「もう、それにしても……!」


 再び歩き出した基地の廊下で、ホリーはまだ肩を怒らせていた。

 その矛先は、幸いなことにわたしではなく大佐だ。


「おかしいと思わない!? 列車の護衛を、列車に乗りながらするなんて!」

「しーっ! ホリー、ここまだ偉い人のいる区域だから!」


 基地司令の執務室があるだけあって、現在いる廊下は基地内でも中々に立派な造りになっていた。時折高価そうな調度品すら見かける。当然普段はボロい長屋に押し込められているレーゲラナを見る目は厳しく、堂々と歩いているだけでも難癖をつけられかねない。そんなところで大声を出しながら話すワケにはいかなかった。


「それに、物資の護衛でしょ? 列車じゃなくて」

「尚更おかしいわよ。敵なんてどこにいるの」


 確かに、それはそうだ。

 ルチドリア王国に侵攻する我が軍の補給線を、エルゴバキアは占領したルチドリアの鉄道をそのまま利用することで賄っていた。ゆえに国境に一番近く、鉄道の始発点――ルチドリアからすれば終点――となるゴズ市は戦略上大変重要な役割を担っていることになる。本国からゴズまでは自動車や馬車などで運んで、そこからは鉄道で運ぶ。これがエルゴバキア軍の補給線だ。

 軍の血脈と言っても過言ではない鉄道は、それゆえに軍に徹底的に管理されている。民間利用なんてもっての外。運用から何まで、全て軍の鉄道部が采配している。アリ一匹侵入する隙間もない程に。

 なので、護衛というのは基本的に必要ない。そりゃ、列車の見回りくらいは置くだろうが……。


「じゃあ、なんで?」

「分からない。判断する材料なんて与えられないし……」


 ホリーは深いため息をついた。


「最近、不可解な指示が多すぎる。特に今回の任務はベルがゴズを離れることになるし。そうなれば、誰が切り裂き魔の相手をするの?」

「それは、そうだね」


 さっきわたしが大佐に根性焼きを見逃してもらえたのは、偏にわたしが切り裂き魔に対抗できる有用なカードだからだ。

 切り裂き魔は強い。普通の部隊が狙われれば被害は馬鹿にならない。なので最小のコストでそれを止められるわたしは、ゴズ要塞にとっては有り難い存在……のハズだ。うぬぼれでなければ。

 だけど、絶対に必要なワケじゃない。


「でも他のエースでも足止めしようと思えば足止めできるよ」


 ゴズ要塞には他にもエースがいる。それもわたしみたいなパルダイト器官で賄っているなんちゃってエースじゃない、パルダイト機関を背負った本物のエースが。

 切り裂き魔は強い。だがその強さは瞬発力と格闘戦能力に偏っている。遠距離からの牽制に徹すれば撃破される可能性は低い。


「いつもそれをしないのは、単に貴重な自軍のエースを万が一にでも損失させたくないってだけだし」


 それでも絶対はない。

 パワードスーツのアシストがあるとはいえ、人間でも背負える程小型化したパルダイト機関は貴重品だ。そしてそれを運用できる人材も。特に重要拠点とはいえ最前線とは言えないこのゴズ要塞では、補充できる宛ても無いだろうし。それに心理的影響も重要だ。パルダイト・エースはプロパカンダされて人気があるからね。

 だからいつもは死んだとしても安価ゆえにそれ程惜しくもない、心理的影響も少ないわたしが矢面に立たされる。

 しかし逆に言えば、それだけだ。


「司令の癇癪で消耗するのは勿体なくても、絶対にいなきゃいけないワケじゃない。その程度の人材なだけでしょ」

「……だとしても、大事な自軍エースを危険に晒してでもあたしたちに任せたい任務ってことでしょ」

「それは……そうかも」


 確かに、わたしが離れればその分だけパルダイト・エースが損失する可能性は上昇する。

 つまりわたしたちが運ぶのはそれだけ重要な物資ってこと? それとも……。


「この間の市街勤といい、何かの作為を感じる」

「何かって、何さ」

「……例えば危険なところにエルゴバキア兵の代わりにレーゲラナを詰めておこう、とか」


 あり得る話だ。

 命を落とす可能性があるような危険な任務にわざわざエルゴバキア兵を就ける必要はない。それよりももっと命の安い、失ってもあまり痛まない手駒がいる。だから防衛戦でもレーゲラナは危険な場所に置かれるのだ。

 仮にもエースであるわたしを任務に就かせるのも、他のエースにやらせるよりはマシという話なら頷ける。

 でも、だとすると。


「上層部は列車に何かがあると分かってるってこと? いやそれだけじゃなく、この間のデモからの発砲の時も予め分かっていたってこと?」


 ホリーの予想が正しければそういうことになる。だって先のことが分かっていなければ予め配置しておくなんてことは無理だ。


「……可能性はある。その場合、情報が漏れていたってことになる」

「情報か。ルチドリアの動きを察知していたから、対応としてわたしたちを盾として置いた」

「あるいは、逆」

「逆?」

「うん」


 ホリーの思考は止まらない。もうとっくにわたしを置き去りに、もっと深いところまで考えている。


「エルゴバキア側が意図的に漏らしていたとしたら……? それなら敵の動きをコントロールすることはできる。でもわざわざ情勢不安にさせて一体何のメリットが……上層部の判断ではない可能性……」

「ホリー、ホリー」


 思考に耽っていたホリーを、肩を叩くことで呼び戻す。


「取り敢えず、明日の準備しなきゃ。危険が待ってるなら尚更入念に、さ」

「……そうね。うん、そうしよう」


 わたしたちはしっかりと準備をし、次の日を待った。



 ※



 そうして列車に乗り込み、現在。

 ガタガタゴトゴト揺られながら、暇しているというワケだ。


「この列車、どこに行くんスか?」


 脚をプラプラと揺らしながらピネルが問いかけてくる。それ、正面の席に誰も座っていないからいいけど、いたら邪魔だぞ。ただでさえ君の脚は小柄なわたしたちより長いのに。

 当然、隊長としてその辺は把握しているホリーが答える。


「現在の最前線、アージャ平原の最寄り駅までよ」

「あれ、結構前の最前線もアージャって言わなかったッスか?」

「膠着してるのよ。もう長いことね」


 元敵国で要地ではあるとはいえ後方に変わりないゴズ要塞では最前線の最新情報はやはり届くのが遅い。それがわたしたちレーゲラナであればより入手は困難だ。そんなわたしたちでも把握できるくらい、エルゴバキア軍の先鋒はアージャより動いていなかった。


「広く深い戦場で大量の両軍が衝突しているものだから、お互いに突破できないらしいわ」

「加えてエルゴバキア軍は戦線が伸びきって物資が届くのが遅れるから、弾薬も不足してるんだってさ」

「ベル、詳しいわね。どこ情報?」

「ピロートーク」


 ツンとわたしが言い捨てる斜め前で、ピネルが感心してる。


「はぇ~、つまりウチらが運んでるのも、その前線に運ぶ武器弾薬類ってことッスか」

「そのハズよ。ま、例によって中身は知らされていないけど」


 ホリーは肩を竦める。結局あの後も何度か掛け合って任務の詳細を教えてもらおうとしたけれど、取り付く島もなかった。おかげで今運んでいる物の詳細どころか、どんな形でどれだけの量があるかも分からない。


「案外、膠着した戦線を打破する為の新兵器だったりしてね」

「ほう、鋭いじゃないか」


 振ってきた声に驚き、わたしたちは一斉にそちらを向く。何故ならそれが男の声だったからだ。

 この車両にはカラキラー小隊、つまりレーゲル人の女しか搭乗していない。

 で、あるならソイツは部外者。更に言えば、敵かも知れない。

 だからわたしたちは殺気立ちながら振り向いた、が。


「え、エルゴバキア兵!?」


 真っ先にピネルがホリーを庇う位置に立ち、そして硬直した。男の軍服を見たからだ。


「憲兵……!?」


 次にホリーが瞠目した。男の徽章が憲兵の、しかも監察官を示す物だったからだ。


 そして、わたしは――呆れた。


「なんで、ここにいるんだよ――イズル・サイラス特務少尉」

「フッ。愚問だな、ベル伍長。同乗したからに決まっているだろう」


 ソイツは、ゴズ要塞の監察官にしてわたしの常連、イズル・サイラスだったのだから。


「隣、いいな?」

「拒否権ないでしょ……」

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