07 暗雲

 クソッタレな出撃の日。今日も今日とて塹壕日和……だが晴ればかりの砂漠でも稀には雨が降るように、偶には違う時もある。

 わたしたちカラキラー小隊は今、ゴズ市内にいた。


 ゴズ市は元ルチドリア王国の都市だ。鉄道が届く東端で、国境付近の街。それをわたしたちエルゴバキア軍が制圧し、要塞化した。

 現在のゴズ市は上から俯瞰すると五芒星のような形になっている。大砲を防ぐ為の稜堡を築き上げたからだ。三角形に土を積み上げて壁とする、いわゆる星形要塞。前世の日本だと五稜郭などがそうで、これと塹壕によって、ゴズ要塞は強固な防御力を誇る。

 が……何事にも犠牲は付きもの。稜堡を築く工事の際に周囲の畑や建造物などは掘り返されてしまった。美しさで有名なルチドリア建築も見る影もない。更には市街に飾られていた彫像などの芸術作品も、砲弾にするために溶かされてしまった。

 そんな風に景観をぶち壊されて、住民が不満に思わないハズがない。それでなくとも、一応は身内のレーゲル人に対しても横暴なエルゴバキア人だ。征服した都市の市民にどう接するかなど、火を見るよりも明らかだった。


 結果が、これだ。


「エルゴバキア人は出て行けー!」

「市民に対する横暴を許すなー!」


 通路に押し寄せるようにして、市民たちが詰めかけている。掲げるプラカードには『美しきゴズを返せ』と綴られていた。

 市民たちの反エルゴバキアデモだ。不満を抱いた群衆が、基地に続く道に集結している。

 その行く手を阻んでいるのが、今日のわたしたちだった。


 足元にバリケードを展開して、突っ立っている。それがわたしたちの仕事。

 これ以上デモの群衆が進まないように障害物となり、基地を守る。基本は立っているだけの、しかし気の抜けない任務だ。


「お気持ちは分かるッスけどね~」


 隣でピネルが嘆息していた。今日の彼女は武装している。

 わたしたちと同じように軍服にヘルメット。しかしピネルはそれに加えてチョッキと大盾を身につけていた。それは彼女の兵科が重装兵で、隊長であるホリーの護衛が任務だからだ。

 背が高いピネルには意外と似合っている。……大きい胸は、チョッキに押し込められて苦しくないか心配だが。


「今日ばかりはピネルの装備が羨ましいよ」

「そうッスか? でもベル先輩、重いの嫌いじゃないッスか」

「まぁね」


 だってチョッキ程度を身につけたところで、エースの持ってるような大口径相手じゃすぐ吹き飛ぶし。それなら回避できるよう身軽にした方がいい。なのでわたしは支給されるかどうかとは別に、重装備を好まない。

 だがそれも時と場合による。


「いでっ」


 ゴツン、とヘルメット越しに衝撃が走る。クラリとして地面を見ると、丁度ヘルメットに跳ね返った石が落ちるところだった。

 デモ市民による投石だ。


「ちょっとベル、大丈夫!?」

「平気平気。痛くもないよ」


 ピネルの後ろから心配するホリーに手を振る。痛くはある。けど血も出ていないし、気にする程じゃない。だけどこうして石を投げられるからには、やっぱりピネルの盾が欲しくなる。まぁ今ピネルが持っている奴はホリーを守る為に使ってるんだから、譲り受けるワケにはいかないけど。


「ベル、下がって手当てしたほうがいいんじゃ。あたしがその代わりに前に……」

「ホリーはピネルの後ろにいるのが仕事でしょ」

「う……」

「そうッスよ、あたしに任せてくださいって! これくらいしか取り柄がないんだから、盾として使ってくださいッスよ!」


 自信満々にチョッキに包まれた胸を叩くピネル。その姿に一抹の不安は過ぎるが、言ってることは至極まともだ。

 相手は民衆だが、万一にでも指揮官が倒れるワケにはいかない。そんなことになればカラキラー小隊は終わりだ。その為の護衛で、重装備。ピネルの役割はホリーの盾となることであり、ホリーは大人しく守られて指揮に専念しなければならない。


「絶対に前に出ないでね」

「うぅ……」


 不承不承ホリーは頷き、引き下がった。


 その後もデモは続き、民衆の声は更に苛烈になっていく。


「俺の工場を返せー!」

「優しいお貴族様を返せー!」


 市街にある工場類は軍が没収し、弾薬や銃器を生産する工廠として利用している。街に住んでいたルチドリア貴族は昔ほどの強権は持っていないものの未だに街の有力者ではあり、統治の障害になるとして早々に処刑されていた。

 エルゴバキアにとってこの街は重要な補給路の中継点だ。逆に言えばそれ以上の価値はない。なので街の住民がどうなろうと、軍にとっては知ったことではないのだ。


 同情はする。彼らも戦争の被害者だ。わたしたちと同じように。


「……しっかしいつにも増して血の気が多いね」


 わたしは群衆を眺めながら呟いた。


 ルチドリア人の特徴は髪の毛が白っぽく、目の色が赤系統なことだ。

 因縁深き切り裂き魔、カウズの銀髪赤目なんかはまさにその典型である。ただし積極的に移民を募ったり拓けた国ではあるので、髪の色も肌の色も結構多種多様だ。

 詰め寄せた群衆もその例に漏れず、様々だ。だがどうにも、その目には狂おしい光が宿っているような気がした。


「ホントだ。なんか、怖いですね……」


 ピネルは同意し、首を縮こめる。わたしは反対隣に水を向けた。


「ナーシェはどう思う?」

「………」

「……聞いたわたしが馬鹿だった」


 寡黙なナーシェは無言を貫いた。もっとも、任務中の態度としては彼女の方が正解である。

 しかしお喋りで寂しがり屋なわたしは話し相手を求めてホリーに矛先を変えた。


「ホリーはどう思う?」

「……きな臭い、とは思ってるよ」

「きな臭い?」


 振り返ると、ホリーは深刻そうな顔をしていた。


「わたしたちは、何故呼ばれたんだろう」

「……群衆の相手が面倒くさかったんじゃない?」


 ホリーの更に背後を見る。わたしたちよりも後方、石も届かないような位置にエルゴバキア兵士たちは布陣していた。


「アイツらがわたしたちを盾にするのはいつものことでしょ」


 レーゲル人を矢面に立たせ、エルゴバキアは後ろに。ムカつくが、いつものことと言えばいつものことだ。


「それに、内側の警備に呼ばれるのも初めてじゃない。別に変なことには思えないけど?」

「それはそう。だけどそれなら、レーゲラナわたしたちだけにやらせればいい。……エルゴバキアも控えているのは、ちょっと分厚すぎる」

「んー……確かに」


 そう言われると、警備が多い。わたしも違和感を覚え始める。


「エルゴバキアが出てくる条件は大きく分けて二つ。一つはとっても楽な仕事か。あるいは……」

「……駒に任せておけないような、重要な仕事か」


 損害は押しつけたいけど、大事なところでは流石に出てくる。それがエルゴバキアだ。つまりは……。


「何かが、起きかけてるんじゃ……」

「隊長」


 その声に、わたしとホリーはピタリと議論を止めた。

 何故なら低くハスキーなその声はナーシェのものだったからだ。

 寡黙な彼女は、重要な時にしか声を発しない。

 ということは。


 ナーシェはジッとデモを見つめながら、言った。


「群衆の中に銃を持っている奴がいます」

「――伏せてッ!」


 その命令にピネル以外の全員が伏せたところで、銃声が鳴り響いた。

 それも一発だけじゃない。数発の一斉射。何発かはバリケードで弾かれる。

 立ったままなら、被弾していた。


「……ぐっ」

「ピネル!」


 唯一立ったままのピネルから呻き声が上がった。彼女は伏せることができなかった。避けたらホリーに当たってしまうから。

 だから立ったまま、盾を構えて銃弾を受け止めた。しかし。


「っ、ったぁ……」

「貫通したのか!」

「掠り傷、ッス」


 鉄板で銃弾が完璧に防げるのなら、甲冑などは廃れない。いくら防楯として耐弾性を高めたところで、銃弾全てを防ぐことは難しい。盾を構えて受け止めようとも、貫通する時は貫通する。

 ピネルはどうやら撃たれてしまったようだ。

 トードエルのことがフラッシュバックする。


「どこを撃たれたんだ、偽りなく言え!」

「か、肩ッス。痛いッスけど、痛いだけッス!」

「……そうか」


 少しだけホッとする。止血はしないといけないだろうが、流石に肩ならすぐに死ぬことはない。

 だったら、ピネルのことは一旦置いておく。もっと早急にしなければいけないことがあるから。

 わたしはバリケードの裏からホリーを振り返る。


「ホリー、どうするの!」

「っ……!」


 群衆の中から銃弾が飛んできた。それはつまり、あの中に武装した連中がいるということ。

 デモに集った民衆は突然の銃声にザワついていた。しかし誰も被害を受けていないことから何が起きているのか分からず、困惑している。どうやら全員が承知済みの事態ではないらしい。ほとんどは無実かもしれない。しかし、敵がいるのは確実。


「撃ち返すのか、撃ち返さないのか!」


 撃てば民衆を殺すことになる。無辜の人々。本来ならゴズ市で平穏な暮らしを享受していたであろう人たちに銃を向ける。まともな神経を持っていたら耐え難いことだ。

 そうでなくても、民衆の不満は一気に高まる。その引き金を、わたしたちが引いてしまうかもしれない。


 だが撃ち返さなければ撃たれっぱなしになる。バリケードも盾と同じく無敵ではない。このままだと被弾していく一方で、運が悪ければ……隊員の誰かが死ぬ。


「っ、また!」


 再び銃声。今度は疎らだった。だがわたしたちを狙っている。

 幸い、ピネル含めて被弾者はいない。しかしそれも時間の問題だ。


「ホリー!」

「………!」


 ホリーは脂汗を浮かべながら、瞳孔を震わせていた。必死に頭を回している証左。今彼女は高速で思考しながら、選ぼうとしている。

 ホリーは先のことを考えることができる。場当たり的なことばかりじゃない、未来に繋がる選択肢を選べる人だ。当たり前のようで、実は得がたい気質である。だからこそ、わたしたちは彼女を隊長として掲げている。

 しかしそれはつまり、先に繋がらなければ今を切り捨てる……そういう判断を下すこともあるということ。

 未来のために、現在の隊員を差し出す。チェスで勝利を掴むために、捨て駒を必要とするように。

 取捨選択。全てを勝ち取ることができない時は、必ずある。


 撃ち返せば、暴動の引き金になるかもしれない。

 撃ち返さなければ、誰かが犠牲になるかもしれない。


 ホリーは、その判断をしなければならなかった。


「………っ!」


 辛い役目を背負わせているのは分かっている。だけど早急に判断しなければ、その時間で誰かが死ぬ。選ぶ前のそれは無駄死にだ。

 判断を、急がせる。


「ホリー、早く!」

「――……撃っ――」


 悩み抜いたホリーが口を開けようとした、その瞬間だった。


 耳を劈く、銃声。

 だがそれは、群衆側から発されたものではなかった。


「が、あ……?」


 理解出来ないという表情で、デモの最前列にいた男が倒れる。

 その胸には、血の華が咲いていた。


「なっ……!」


 わたしたちじゃない。ホリーはまだ発砲命令を下していない。で、あるならば。

 振り返る。背後に布陣したエルゴバキア軍。その兵士たちの持つ銃が、群衆へと向けられていた。

 撃ったのだ。先にエルゴバキア軍が。


「ひっ……!」

「う、撃った……軍が撃ったぞー!!」


 群衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。中に潜んだ敵と一緒に。

 潮が引くかの如く去って行くその背中を見て、奥歯を噛み締める。


「……エルゴバキアの方が先に痺れを切らしたか」


 銃弾の一発でも近くに跳弾したのだろうか。怯えるか苛立ったかしたエルゴバキアの兵士が、撃った。今起こったことを端的に言えばそういうことになる。

 勿論、反撃だ。相手が撃ってきたからこちらが撃ち返した。それは正しいことだし、命令次第ではわたしたちがやっていたかもしれないことだ。悪し様に責めはしない。


 だが……その結果が、目の前に残ったいくつかの死体だった。


「……まずい、これじゃあ」


 ホリーが苦虫を噛み潰したように顔を顰める。


「喧伝されるのは、間違いなく軍の発砲の方。正当防衛なんか恨みを持つ民衆が認めてくれるワケがない。不満は一気に高まって……」


 暴動が起きる。

 それが見えていたからホリーは迂闊に撃ち返さなかった。

 しかし引き金は弾かれた。目に見える形で。

 それがどんな結果をもたらすのか……今は誰にも分からない。


「いや、今は……ピネル!」


 立ち上がったホリーがピネルに駆け寄ったことでわたしも思い出す。そう言えば肩を撃たれていた。


「早くセラディに手当してもらわないと、血が……」

「あ、それならもう平気ッス」

「え……」


 ピネルの肩は確かに血で染まっていた。しかしもう出血しているようには見られない。それどころか重い盾を手にしても痛みはなさそうだった。


「もう使っちゃったッスから! パルダイト!」

「っ!」

「だからへっちゃらッスよ! 元気元気!」


 液化パルダイトを充填した白い首輪は外側からその内容量が分かるような仕組みになっていた。そのメーター部が、減っている。


 ピネルはその役割の都合上、わたしに続いて二番目にパルダイトの使用量が多かった。


「なんたってウチは隊長の盾なんスから! 元気じゃないと!」

「……そっか」


 ホリーは息を呑み、俯く。

 わたしはその肩を叩いた。


「ホリー、まだ任務は終わってない。取り敢えず、終わるまではしっかりして」

「ベル……うん」


 ホリーは持ち直し、その後は何事もなく任務は終わった。

 しかし……市内には不穏な空気が立ち籠め始めていた。



 ※



「……ゴズの不安定化は順調ですか」


 とある場所。カーテンを閉め切って薄暗くなった室内で、一人の男が報告を受けていた。


「はい。閣下のプランに従いエルゴバキア軍に発砲させたと。現在はその事実のみを市民に喧伝中とのことです」

「よろしい。ではまたしばらくは潜伏してもらいましょう。ゆっくりと野火が広がるのを待つ……その時間も大切ですからね」


 肌は病的に白く、顔立ちは若い。長身痩躯に身につけた軍服は、エルゴバキアの物ではなかった。


「そして潜ませた手の者の情報によると、間もなく例の物が運び出される、とのこと」

「いいタイミングですね」


 男は眼鏡の奥で怜悧な眼差しを閃かせ、伝令を告げた。


「では遠征の準備をするように、ヤヴィー少尉に通達しなさい」

「……オーガン中尉ではないのですか」

「アレは扱いにくい。ムラがあるのですから重要な任務を任せることはできません。出自・・もありますし、精々最前線で暴れさせておくだけが使い道ですよ。言い訳も立ちますし」

「了解いたしました」


 敬礼をして、伝令は去って行く。


「……これで我が軍はまた一つ勝利へと近づく。地道ではありますが」


 満足そうに頷いた男は窓辺に立ち、カーテンを僅かに開けた。

 飛び込んでくるのは、人と馬車、たまに自動車の行き交う美しい街並み。


「麗しき我が故郷を守る。それが我らが貴族・・の使命」


 徽章は、准将の階級を示している。


「であるなら……何をしても許されるでしょう」


 撫で付けた髪は飛び込んできた陽光に照らされて、銀色に輝いていた。

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