第二話


 龍を失ったあの日以来、リアと過ごすことが多くなったレイト。


 お互い兄弟がいなかったし、リアは家の手伝いが忙しくて友達がいなかったこともあったのだろう、二人は毎日のように顔を合わせていた。


 ただ、リアにとってレイトは、親友というより兄だった。


 いつも一緒にいた二人は、傍から見れば本当の兄弟だったろう。


 ――でも、今は。


 リアとレイトは、友達でも、隣人でも、幼馴染でもない。


 ――リアは、許嫁だ。


 それは二人の与り知らぬところで、家の者によって決められたこと。


 理由は知らされなかったが、レイトには大方予想ができた。


 リアの家は「龍宿」。


 この世界に龍が存在する限り、仕事はひっきりなしに舞い込んでくる。


 それは、怪我をした龍の治療や保護であったり、人を襲った龍の捕獲であったり、戦いの際に必要な龍の派遣であったり、とにかく多岐にわたる。


 それ故に、一つの家だけでその仕事をやっていくのは、レイトには想像できないほどに厳しいのだろう。


 だからおそらく、リアの家は、彼女を早々に結婚させることで生活を安定させ、「龍宿」の仕事を本格的に手伝ってもらいたいのだ。あわよくば、レイトまでにも。


 リアを許嫁とする取り決めを知らされたとき、レイトはまだ十四歳で、一般的な結婚が二十歳ほどなので、結婚云々を考えるのはまだ早かった。


 それに、レイトがリアと出会ってからまだ一年弱しか経っていなかった。


 そんな短期間しか過ごしていない人間を愛せというのは、無理があった。


 なにより、レイト本人の意志によらずに決められ一方的に告げられたのだから、当初は困惑していた。


 許嫁になった友達と、どう付き合えばいいのか分からなかった。


 それでも、今は。


 リアはレイトにとって最も大事なもの。命に代えても守るべきもの、守りたいもの。




「おーい、レイト? 急に黙っちゃってどうしたの?」




 小さく手を振りながらレイトを覗き込むリア。


 そんな彼女が、レイトにはたまらなく愛おしい。




「ごめん、リア。……今日もリアと一緒にいられて嬉しいなぁって思って」


「ふふっ、なにそれ」


 そう言って小さく笑うリアは、頬をほんのりと赤くしている。




「レイトって、いつもそうだよね。私といられればそれでいい、って顔してる。いつも応援してくれるし、わがまま聞いてくれるし」


「……それは、当たり前のことだよ。リアが頑張って働いているんだから、僕も何か返さなくちゃいけないと思うんだ。それに、リアが僕を信頼して一緒にいてくれるんだから、それに応えたい」


「……それだけ?」




 先程までの、少し口角の上がった表情から変わって、いたずらをしている子供のように、ニッと笑っている。


 なんでそんなに食いついてくるのだろう。全く分からない。




「私がレイトといるのは、レイトのお嫁さんってだけじゃないよ。一緒にいたいって、心から思えるからそうしてるの。……こんな、いいところ一つない私を認めてくれるレイトと。……だから、わ、私が言いたいのは、レイトのことが――」


「僕は、リアが大好きだよ」


「うん……、うえぇぇ!?」




 レイトが、リアの口から二文字の言葉が紡がれる前に言う。


 それは躊躇いも逡巡もなく、自然と出てきた言葉。


 リアはポカンと口を開けて、言葉を失っている。




「僕はリアが大好きだよ。いつもご飯をたくさん食べるところとか、僕を振り回すところとか、どんなことも全力なところとか。リアが笑って幸せそうな顔を、いつまでも見ていたいんだ。だから、僕は勝手にリアを応援する。いつだって、リアの味方だよ」




 準備された言葉ではない、紛れもない本心。


 それでいて、いつまでも口の中で転がっていた言葉。


 それを、真っ直ぐ彼女の目を見て伝える。




「リアが望む限り、僕はそばにいるよ…。そうやって、どんな道でもリアと一緒に――って、リア?」




 言葉の途中、思わず彼女の名を呼ぶ。反応はない。


 いつの間にか、リアはぷるぷると体を震わせていた。それに気づいたレイトが、彼女の顔を覗き込もうと近づく。


 リアは先程から、フイと顔を背けたままだ。




「えっと、リア……? どうかした?」




 おそるおそる尋ねる。


 なにか、おかしなことを言ってしまったのだろうか。そんな疑問が、レイトの頭を掠めた一瞬あと。


 ――目の前の少女が、いきなり胸に飛び込んできた。




「うぅぅ、レイトおおおぉぉ……!」


「うわっ、リア!?」




 あまりにも突然、そして予想外のことに声が裏返る。


 細くもところどころ成長したリアの体が、レイトの体に密着。二本の腕は、レイトの腰に巻きつけられていて身動きが取れない。


 なにかやわらかいものが、かすかに――否、かなり当たっていることに遅れて気づく。




「ちょっ、ちょっとリアはなれて……!」




 すぐさま顔が赤くなり、動揺が表に出てしまう。


 俺もリアも、もう十四歳だというのに。こんな無防備で大丈夫なのか……?


 その大胆な行動を、リアは気にしている様子がないのは皮肉なことだ。


 ゆっくりと深呼吸を三回。レイトがそうしている間もリアは離れなかった。


 今一度彼女の顔を見ると、茶色い瞳からは大粒の涙がこぼれていて、それが流れたのだろう、頬も少し湿っていた。


 オロオロとしているのに気づいたリアが、慌てて目元を拭う。




「ちちち違うのこれは……! ただ、そんなこと言ってくれたのが嬉しくって……」


「……うん、リア」




 泣きながら零れていく言葉に、レイトの心が強く掴まれる。


 レイトよりも幾分小さいその体を、愛しく抱き寄せる。


 自然に、そうするのが当然であるかのように腕が動いた。




「ねぇ、レイト」


「なに?」




 腕の中でリアが小さく首を回して、上目遣いになって呼ぶ。




「そういえば、今日はレイトに用があったの」


「用……、もしかしてリアがいきなり現れたのは、それが理由?」


「そう。……レイト、すっっごくびっくりしてた!」


「それは、しょうがない……じゃん……」




 こうやって時々からかってくるのも、いつもどおりのリアだ。


 しかし、続く言葉は静かな口調のものだった。




「明日は、レイトの龍とお別れしてから丁度十年だよ。だから、ベティル大森林のお墓に行ってあげよう」


「あ……、明日でもう十年、なんだ……」




 分かったそうしよう、と、すぐには言えなかった。


 レイトの前から消えた子龍のことを忘れていたからではない。子龍を失ったあの日の記憶は、今でも脳裏にこびりついている。どこかで子龍を見るたび、影を重ねてしまうほどに。


 ――できることなら、なかったことにしたかったのだ。


 自分が一つの命を終わらせてしまったという事実から目を背け、葬り去りたかった。


 でも。そう思っていたけれど。


 真っ直ぐ見つめてくるリアの双眸が、偽りのない、彼女の切実な感情を訴えていた。


 それを前に、甘い考えは一瞬にして消え去った。「……うん。会いに、いこう」


 そう答えたのと同時に、ビュオッと一際強い風が通り抜けた。リアの真っ黒な髪と、レイトの使い古された上着を揺らした。

 リアは何も言わず、口を結んだままの笑顔で応えた。


「じゃあレイト、私帰るね」


 話しているうちに、かなり時間が経ってしまっていた。

 気づけば空は暁色に焼かれていて、西の空はすでに紫がかっている。


「ああ」


 迫りくる夜を背にしたレイト。沈みゆく日を背にしたリアへ、その眩しさに思わず目を細めながら答える。

 リアがクルリと回り、背を向けた。

 一歩ずつ、レイトから離れていく。

 夕方や、一日の別れといったものにはどうしても寂しさを感じてしまう。

 また日が昇ることを、明日にでも会えることを知っていながら。

 途中、リアが振り向いた。


「……ばいばい」


 レイトの耳に届いたのは、そんな小さい声。

 リアは小さく手を振って、今度こそ走りながら去っていき、やがて背中も見えなくなった。


「また、明日」


 ぽつりと、静まり返った通りで呟く。

 ――あの背中を追わなきゃいけないような気がしたのは何故なんだろう。

 ――いや、きっと明日も会えるさ。

 そう強引に納得させて、レイトも帰ろうと家のドアに手をかける。

 ドアが閉まると同時に、今日も太陽が名もない山の向こうへと消えた。

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