第12話 あなたの傷が癒えて欲しい



 くたりと力の抜けた私の体を、由良様は抱き上げた。

 赤と白の着物がふわりと広がるのが、掛け軸の中に泳ぐ金魚を思い出させる。


「薫子。……このまま、いいか」


「……はい」


 布団の上にとさりと降ろされて、由良様は私の隣に寝そべって、手を絡ませた。

 気恥ずかしさと緊張で目を伏せる私の耳に、由良様の低く澄んだ声が響く。


「君と、夫婦になることができて、嬉しい。……傷を癒すために、神癒の巫女を娶ろうと考えたが、俺の相手が君でよかった」


「由良様、私は、本当に由良様の妻でいて、いいのでしょうか」


「あぁ。当然だ。……この家には使用人がいないだろう。兄、真白が出奔する時、この屋敷で暴れた。多くの使用人が傷ついた。体も心も。玉藻家の力が人に向けられると、あれほど恐ろしいことになるのだと、気づいたのだのだな」


「……怖いことが、起こったのですね」


「そうだな。……俺は使用人たちに謝罪の金を渡して、暇を与えた。両親は死に、俺一人。式神……シロとクロもいるし、世話を焼いてもらうこともさほどないと考えた。ハチだけは、残ったが」


「ご家族を失うとは、お辛いことだと思います」


「予感は、していたんだ。兄の様子は、ずっとおかしかったしな。昔は、優しい人だったが……」


「……由良様」


「不思議だな。君といると、なんでも話したくなってしまう。あのことが起こってから、こんなふうに誰かと話したのははじめてだ」


 私は閉じていた瞳をうっすらと開いて、体を起こした。

 不思議そうに私を見ている由良様の頬に触れると、おそるおそる、顔の中央に残る傷に触れる。


「痛くは、ないですか」


「もう、痛みはないよ。炎の特性が強い俺に、炎で傷をつけられたのは、相手も同じ九尾の力を継ぐ兄だったからだろう。……兄は、悪鬼となった。悪鬼となれば、人を食う。人を食い、妖力を増す。そうでなければ、俺が兄に遅れをとることなどなかっただろう」


「……人を」


「……俺の妻となれば、もしかしたら、おそろしいものを見ることになるかもしれない。だが、約束する。俺は必ず、君を守る」


「由良様」


 兄を討伐しに行った由良様のご両親は、戻ってこなかったという。

 共に行った使用人の方々も、おそらく同様に。

 聞かなくてもわかる。きっと、真白さんというお兄様に、食べられてしまったのだろう。

 どんなにか、お辛かっただろうと思う。

 

 私の抱えていた寂しさも、苦しさも、些細なものだと思えてしまうほどに。

 それでも由良様は、過去を表に出さずに、由良様を騙した私を許し、こうしてそばに置いてくれた。


 私が気後れしないように、言葉をかけて、優しくしてくれた。


「……薫子?」


 由良様の顔の傷が、由良様の心の傷のように見えた。

 ぽとりと、私の瞳から溢れた水滴が、由良様の頬に落ちる。

 

(あぁ、私が、巫女であればよかったのに。由良様の傷を、癒すことができたら、よかったのに)


 私は力が欲しい。

 咲子さんのような、神癒の力が。

 そうすれば、痛々しい由良様の傷を、綺麗に塞いでさしあげることができたのに。


 せめて、と、由良様の傷に、まるで何かに誘われるように口をつける。

 瞳を閉じた由良様の体が、わずかに震えた。


「……由良様、傷を、癒したい。私に、それができればよかったのに。けれど、この傷も含めて、私はあなたを……」


「薫子」


 傷に唇をつけると、不思議な感覚が体を支配した。

 暖かい血が巡るような。雪解けの庭に、花が芽吹くような。

 暖かさに、体がふわりと包まれるようだった。


「……由良、様」


 由良様の体が、神々しく輝いたように感じられた。

 短かった金の髪がふさりと伸びて、その頭からは狐の耳が生える。

 九本の尾が部屋に広がり、そして、由良様の顔の傷が、綺麗な皮膚へと戻っていく。


「これは……」


 驚いて、唖然としたまま動けない私を、由良様は起き上がるときつく抱き締めた。

 由良様の髪は、今は布団からはみ出して、畳の床まで滝のように広がっている。

 人に似た、神の姿がそこにはあった。


「薫子……すごいな。……神癒とは、これほど、力を与えてくれるものなのか」


「私は……神癒では」


 背の高い玉藻様だけれど、今はもっとずっと、大きく感じられる。

 広がる尻尾や、髪のせいだろう。

 何が起こったのかわからず、私は戸惑いながらも首を振った。


「神癒の巫女には、桜の印が現れます。私には、それが、なくて」


「……いや、ある」


 傷の癒えた由良様の顔立ちは、傷があった時でも美しかったけれど、同じ人とは思えないぐらいに美しかった。


「君の瞳に、俺が映っている。傷のない、俺の顔が。……そして君の瞳に、桜の印がある。君の瞳孔は、小さな桜の形をしている」


「……まさか、そんな」


「ずっと、君の体にその力は隠れていたのだろうな。俺を助けたいという思いが、君の力を開花させたのか、それとも別の何かかはわからないが……ありがとう、薫子。これが、本来の俺の姿だ。思いがけず、見せてしまうことになったが、怖くはないか?」


「とても、美しいです。……神様、みたいです」


「君の前では、ただの男でしかないよ」


 由良様の唇が、私のそれと重なる。

 信じられないほどに、まるで、食べられているように、深く。


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