第8話 婚礼の儀式



 広い部屋に、お膳と座椅子が並んでいる。

 上座は一段高くなっていて、その下に横並びになって座っている鎮守の神様たちの光景に、私はひどく緊張していた。


 昨日は立派なお風呂で湯浴みをして、運ばれてきた夕食をとって、ふかふかの布団で眠った。

 由良様は「あまり一緒にいると、気が休まらないだろうから」と言って、一人で過ごせるように計らってくれたようだ。

 板敷の床ではなく、布団で眠るのも、暖かいお風呂に入るのも、清潔な寝衣を着るのもいつぶりかわからないぐらいで、昨日はあまりよく眠れなかった。

 肌に触れる何もかもが驚くほどやわらかくて優しい感触で、私にはもったいないとずっと恐縮していた。

 そのせいか、婚礼の儀式を迎える緊張もあってか、眠らなくてはと思うほどに、目が冴えてしまった。


 由良様は朝から私を心配してくれたけれど、大広間の準備が整う頃にはぞくぞくと鎮守の神様たちが到着して、私は白い婚礼着を着て上座の由良様の隣に座っている。


 由良様も、狐面はしたままだったけれど、白と赤の立派な着物に身を包んでいる。

 私たちのお膳には、赤い盃が置かれていて、すでに御神酒が中に注がれていた。

 鎮守様たちはそれぞれ従者の方たちを連れてきていて、従者の方たちは別室に案内されて、蜂須賀さんがもてなしをしているようだった。

 皆、知り合いらしく「久々に会えて嬉しい」と挨拶を交わしていた。


 皆が席に着き終わると、由良様が口を開いた。


「皆、今日は玉藻家のために集まってくれて感謝する。玉藻家当主、玉藻由良は、八十神家より長女薫子を娶ることとなった。しきたりにのっとり、我が同胞たちよ、婚姻の許可を」


 厳かな言葉が、静かな大広間に響き渡る。


「白虎の血を受ける鳴神家当主、鳴神伊月なるかみいつき。玉藻家の婚姻を承認しよう」


 銀の髪をして、黒い着物を着た精悍な顔立ちの男性が低い声で言う。


(この方が、咲子さんの言っていた、白虎様)


 一度ちらりと視線を送って、私はすぐに目を伏せる。

 顔をあげるのは失礼な気がして、僅かに頭を下げた。


「犬神の力を受ける吠王家当主、吠王無我こおうむが。同じく承認する」


 今度は癖のある黒髪の、やや着物を着崩している少し怖い顔立ちをした男性が、吠えるように言った。


「蛟の力を受ける皆神家当主、皆神白蘭みなかみびゃくら。同じく承認しましょう」


 最後に、水色の髪をした女性のように美しい姿の男性が言う。細身な体に、上質なスーツを着ている。


「全ての鎮守の同胞の承認が得られた。私と、薫子の婚礼は成立した。では、盃を」


 由良様が赤い盃を手に取ると、それぞれの鎮守様たちも同じように盃を手にした。 

 由良様が小さく「薫子も」と私を呼んで、私は促されるままに杯を手にした。


 盃を手にすると、盃の中の白い御神酒に桜の花弁が浮かぶ。

 事前に由良様より「薫子のものは酒ではなくて、甘酒にしておいた。アルコールは入っていないから大丈夫だ」と伝えられていたので、飲むことに不安はないのだけれど。

 花もないのにひらりと浮かびあがってきた桜の花弁に、少し驚く。


 白乳色の甘酒に浮かぶ桜の花弁はとても愛らしくて、きっと由良様の不思議な力なのだろうと思うと、心の中がじんわりとあたたかくなった。


「二人の門出を祝して」

「末永い幸せを願って」

「どうか祝福がありますよう」


 鳴神様と、吠王様、皆神様がそれぞれお祝いの言葉をくださる。


「皆、感謝する。そして、薫子。私の元にきてくれてありがとう」


 由良様はそう言って、軽く盃を顔の前へ掲げたあとに、狐面を軽くずらして口をつける。

 形のよい顎と、秀麗な口元が露わになって、見てはいけないものを見ているような落ち着かない気持ちになった。

 鎮守様たちも一気に盃の中身を飲み干した。

 私も、同じように盃に口をつける。

 

 甘酒も飲んだことがないけれど、口の前にまろやかな甘さが広がって、お酒ではないけれど妙に体が熱くなった。


「……さぁ、これでもう、堅苦しい儀式は終いだな、玉藻」


「あぁ。せっかく来てくれたのだから、酒でも飲んでいくといい」


 吠王様が、座椅子の上で足をくずして、だらりとした姿勢になる。

 由良様はあまり気にした様子もなく、穏やかに言葉を返した。


「あなたが八十神から嫁を娶る日が来るとは思いませんでしたが、なかなかどうして、美しいお嬢さんですね」


 皆神様がたおやかな口元を笑みの形にして言った。


「そうだろう」


 頷く由良様の隣で、私は恐縮して身を竦める。


「神癒の巫女の家は、現在四家。八十神はそのうちの一つだが、何故、八十神だったんだ?」


 鳴神様が尋ねた。空の盃に、勝手にお酒が湧き上がってくるのが見える。湧き上がるたびに鳴神様はそれを口にした。


「年頃の娘がいるという話だったからな。他の家の娘はすでに、百蘭の元へ嫁いでいる。二人だったな。とはいえ、薫子をお前に奪われずによかったと思っている」


 由良様の答えに、皆神様が口元に指をあてて、軽く首を傾げる。


「先に手をつけておけばよかった」


「失礼なことを言うものではない。そもそもお前が嫁を二人娶るのがおかしいのだ」


「血は、多ければ多いほどいいでしょう」


 吠王様に咎められるように言われて、皆神様は肩を竦めた。

 皆、とても親し気な印象をうける。

 由良様もそうだけれど、鎮守様たちというのはもっと、怖い印象があったから、ごく当たり前のように親しい友人のように皆で言葉を交わしているのが不思議だった。


「それにしても、玉藻家の酒は旨いな。食い物はまずいが、酒は旨い」


「失礼です」


「失礼です」


 吠王様が言うと、シロとクロがどこからともなく表れて、吠王様の横で文句を言った。


「式は料理が向いていないのだ。味覚が極端だからな」


「玉藻は人を雇えばいいのです。このままではお嬢さんが不自由でしょう」


 鳴神様と、皆神様に言われて、由良様は軽く首を振った。


「人は、あまり多いと疲れる。私は不自由はしていない。……薫子が困るというのなら、考えなくてはいけないな」


「いえ、私は……」


 由良様が私の手を軽く握ったので、私は首を振った。

 皆様の前で触れられるのは、とても恥ずかしい。

 甘酒のせいで熱を持った体が、更に熱くなるようだった。


「せっかくの婚姻の日だ。あまり長居するのも悪いだろう。……由良、顔の傷はどうだ」


 鳴神様が立ちあがって、それから気づかわし気に言った。


「そう酷いものでもない」


「男前の顔に傷がつくとはなァ」


「相手が悪かったのですよ。なにせ、あなたの兄君ですから」


「困ったことだ」


 吠王様と、皆神様に言われて、由良様は溜息交じりに言った。

 お帰りになる皆様に、シロとクロがお土産だと酒瓶を渡している。


 私は、皆神様の言葉に驚いてしまって、どういうことだろうと考え込んでしまった。

 ご挨拶をしなければと我に返るころには、皆様はすでにお帰りになったあとだった。

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