第5話 罪と謝罪と
玉藻様は私を、客間と思しき部屋に通してくださった。
床の間の花瓶には紫陽花がいけられていて、瑞々しい赤紫色の花が花火のように咲いている。
黒い座卓には、青色に星が浮かんでいるような不思議なお菓子が置かれている。
氷の浮かんだ緑茶が一緒に置いてある。
開け放たれた障子の向こう側は庭園になっていて、美しく整えられた庭には川が流れている。
空は晴れているけれど、ぽつぽつ雨は降り続けていて、川面に波紋を広げていた。
広い縁側は、軒先のおかげで濡れることはないようだった。
「薫子、今日はここで過ごすといい」
「はい、ありがとうございます」
私は部屋の入り口で立ち止まって、先に中に入った玉藻様に礼をした。
勿体無いぐらいの広くて清潔で、綺麗な部屋に案内されて、どこにいたらいいのかわからずに戸惑ってしまう。
「遠慮せずに、中に入っておいで。君は、ここで好きなように振る舞っていい。この家の全ては君のものだ。君は俺の妻になるのだから」
「……はい」
「そちらに座ってくれるか、薫子。疲れているかな、休みたいのなら俺は退室するが、もう少し話ができるだろうか」
「大丈夫です」
促されるままに、私は玉藻様の正面へと座った。
板敷の床に座ることが普通だった私は、ためらいながら座椅子に座った。
私の正面にいる玉藻様は、少々気怠げに座椅子に座り、座卓に頬杖をついている。
狐面の奥の表情はわからないけれど、不機嫌ではなさそうに見える。
「これは、最近流行りの天の川羊羹というらしい。シロとクロは甘いものが好きでね、一日一度は食べさせてやらないと、途端に不機嫌になって仕事をしなくなるんだ。だから、ハチがよく買ってくる」
ハチさんとは、蜂須賀さんのことだろう。
シロとクロは、私にはよくわからないけれど、玉藻様の説明ではどうやら人間ではないらしい。
でも、甘い物を食べるようだ。
「俺はあまり、食べないのだけれど、薫子は羊羹は好きだろうか」
「……私は」
食べたことが、ないけれど。
でも、そんなことは言えない。だから、嘘をつかなくては。
「私は、……好き、です。羊羹、とても」
「薫子。俺に遠慮をしなくていい。俺は、君の、言葉が聞きたい」
「……あ」
あぁ──嘘が、ばれている。
喉の奥で、ひゅうと、呼吸が嫌な音をたてた。
膝の上でぎゅっと握りしめた手が、震えてしまう。
私が玉藻様を騙すなんてそんなこと、できるはずがなかった。
そんなことは、してはいけなかった。たとえ、お父様からの命令でも。
「……薫子、君の言葉で話してほしい。俺たちは夫婦になるのだから、君は俺に、気を使う必要はないのだよ。俺が、怖いかもしれないが」
「ちが……っ、違うのです、違う、のです……玉藻様……」
「違う?」
お父様に叱責されても、たとえ家から追い出されたとしても。
人を騙すなんて、してはいけない。
私は間違っていた。
玉藻様の優しさや気遣いは、本当ならば咲子さんに向けられなければいけなかったものだ。
このお部屋も、何もかも全て。
ここは私の居場所ではない。私が受け取っていいものではない。
きちんと、話そう。
そうしなければ私は──本当に、生きる価値を失ってしまう。
「申し訳ありません……!」
私は座椅子から降りると、畳の上で膝をついて、頭をさげた。
じわりと、涙が滲む。
早く、言わなくては。明日が来たら、鎮守の神様たち皆が集まっての婚礼の儀式が終わった後で、嘘がばれたら。
玉藻様に、恥をかかせることになってしまう。
騙した私は罪人だからどうなっても構わないけれど、玉藻様も名誉を傷つけるわけにはいかない。
「薫子、何故謝る?」
「私、神癒の巫女ではないのです……! 生まれた時から、私には力なんてなくて、玉藻様と結婚するべきは、妹の咲子さんで……」
「……薫子」
「申し訳ありません、私は嘘をつきました。どんな罰でも、受ける覚悟はできております」
「顔をあげて、薫子」
玉藻様は、私の前に膝をつくと、私に手を差し伸べてくださった。
とても顔をあげることなんてできない私の髪を撫でて、顔を撫でて、起きるように促してくださる。
「俺は、君を、花嫁と言った。薫子、君のことを」
「ですが、私は……!」
「薫子、八十神は、裕福な家だろう。それなのに、君の腕は細く、手荒れもひどい。まともな食事を与えられず、働かされてきた証だ。目の下に、僅かに痣が残っている。誰かが君を叩いたのだろう」
「……それは」
「そして君は、俺を騙すように言われていた。……だから、俺の顔を見た時、君は怯えていたのだな。俺が怖いのは、俺を騙すのが怖かったからだ」
玉藻様は、私の顔の輪郭を、丁寧に指で辿った。
「薫子、俺は君をもらった。もう返す気はない」
「……玉藻様、私は、巫女では」
「巫女でもそうでなくとも、俺は君がいい。俺に真実を伝えるのは、どれほど勇気がいっただろう。頑張ってくれて、ありがとう」
玉藻様は私の手を引くと、その腕の中に私を抱き込んだ。
壊れ物を包むように優しく体を抱かれると、新しい涙がはらりとこぼれ落ちた。
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