第3話 玉藻家への輿入れ
着古した着物ばかりを着ているのに、今日ばかりはお父様の手配した着付け師と髪職人の方々によって、白地に花の散った上質な着物を着せられて、華やかな帯を締められる。
いつもは適当に結んでいるだけの黒髪を結われて、髪飾りで飾り付けられた。
準備が終わるころに、玉藻家からの迎えの自動車がやってきた。
人力車や馬車も未だ帝都には多いけれど、自動車の数も徐々に増え始めている。
といっても――よほど裕福な家でないと、所有はできないのだけれど。
黒塗りの重厚感ある車体と大きな四輪の車輪。
自動車というのは上流階級の証ともいわれている。
お父様に連れられて、いつもとは違う着物や履物のせいで覚束ない足取りで、私は自動車の前に立った。
中から扉が開いて、黒い燕尾服を着た男性が中から現れる。
帝都でも極稀に見かけるけれど、洋服を着ている方は、珍しい。
「お迎えにあがりました、八十神様」
「あぁ。神癒の巫女、娘の薫子だ。よろしく頼む」
「はい。古の盟約にのっとり、玉藻は八十神の娘をもらい受けましょう」
お父様との短いやりとりのあと、私は男性に促されて自動車に乗せられた。
革張りの後部座席に、恐る恐る乗り込む。
私は、馬車にも人力車にも乗ったことがない。
乗り物にのるのははじめてで、慣れないせいか乗り込むときに着物の裾が乱れそうになるのを、手で押さえた。
私を見送ったのはお父様だけで、お母様と咲子さんは「それではいってきます」とご挨拶をしても、私をいないものとして扱っていた。
少し寂しかったけれど――それよりも、これから玉藻様に嘘をつかなくてはいけない、玉藻家を騙さなくてはいけないことのほうが私にはよほど重大で、寂しさを感じている余裕などなかった。
「薫子様、玉藻の家まではここからおおよそ三十分程度の道のりです」
「……ずいぶん、早いのですね」
運転席に座る燕尾服の男性が話しかけてきたので、私は驚いた。
玉藻家がどこにあるかはわからないけれど、三十分なんてあっという間だ。
私が八十神家から商店に食材を買いに行くだけで、歩いて片道一時間はかかるのに。
「自動車に乗ったのははじめてですか?」
「は、はい……遠くに行くことは、なかったものですから」
八十神の家には自動車はない。
けれど、お父様とお母様と咲子さんで出かけるときなどは、自動車での送迎を頼んだりしている。
私は一緒にいくことはないので乗ったことはないけれど、そんなことはとても言えないので、ごまかした。
「そうなのですね。申し遅れました、私は蜂須賀と申します。玉藻様の従者です」
「はちすか、さま」
「言いにくいでしょう。ハチでいいですよ」
「い、いえ、そんな」
「薫子様は玉藻様の奥方になるのですから、どうぞ遠慮なさらず」
蜂須賀様はそう言ったけれど、とてもそんな風に呼ぶことはできない。
「……お困りになるのでしたら、蜂須賀でいいです。様は、いけません。玉藻様の奥方様にそのように呼ばれては、玉藻様がお怒りになるでしょうから」
「……はい、蜂須賀さん」
「薫子様、これからどうぞよろしくお願いします」
蜂須賀さんはそう優しく言うと、それきり黙り込んだ。
私は落ち着かない気持ちで、後部座席に座っていた。
優しくして頂いたのに騙しているのが、心苦しい。
私は、神癒の巫女ではないのに――。
自動車というのはとても速く、道行く人たちを一瞬で追い抜いていく。
帝都の方々は自動車が珍しいのだろう、通り過ぎる度にその視線は自動車と、それに乗っている私を見ているようだったけれど、表情を確認する間もなかった。
八十神の家はもう遠い。
私が歩いたことのない道を、大きな通りを進んでいく。
生まれ育った街なのに、私は帝都の大きさがどのぐらいなのかをよく知らない。
街路樹のある大きな通りは、自動車と共に馬車も行きかっている。
華やかな商店の並ぶ遊歩道を、着飾った若い女性やご婦人方が歩いている。
皆、とても楽しそうに見える。
あの人たちと私は同じ時間を生きているのに、まったくの他人で、立場も違う。
私は――これから、いえ、もうすでに、罪を犯している。
私の心は、玉藻邸に近づくにつれて暗く沈んでいった。
やがて、自動車は高い塀に囲まれたお屋敷に辿り着いた。
街からは少し離れているようで、お屋敷の周りには何もない。
何もないというよりも――林の中の一本道を進んできたようだった。
先程まで賑やかな街の中を走っていたのに、突然景色が森へと変わってしまったみたいだ。
自動車が二台通ることのできる程度の道を進み、開かれた門の中へと入って行く。
門をくぐると、どういうわけか朱塗りの鳥居が何本も連なっている道へと繋がっていた。
鳥居をくぐってすぐに、大きなお屋敷がある。
一階建ての家屋は、八十神の家が三軒も四軒も入ってしまうぐらいに広かった。
お屋敷の前で自動車は止まり、先に降りた蜂須賀さんが扉を開いて私を降ろしてくれる。
手を引かれて自動車を降りた私のすぐそばに――狐の仮面を被り、艶やかな赤い着物を着た背の高い男性が立っていた。
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