第2話

 ***


 夏の日差しの影響を少しだけ和らげてくれるような木陰の下で、僕は昼食のパンを一人でもそもそと食べていた。


 こんなに暑い天気だというのに、すでに昼食を食べ終えた生徒達は、校庭に赴いて全力で遊んでいる。どうしてそこまで無邪気に遊ぶことが出来るのか。少しだけ羨ましくも思う。


「ニッシー、こっちパス」

「ちゃんと決めてよ、フジ」


 校庭に一際目立つ声が響く。昔ながらの顔見知りの姿を、僕は自然と追っていた。


 華麗なパスをする芦澤仁志希と、そのパスをしっかりと受けてゴールを決める樺地富士彦。


 僕とは違って活発的な二人。しかし実は、僕と二人は小学生の頃の幼馴染だ。彼らの近所に住んでいた僕は、二人は遠くかけ離れた世界にいると分かっていながらも、仲良く遊んでいた。しかし、小学五年生のある日、富士彦はお父さんの都合で転校することになった。それから、僕と仁志希も、何だか疎遠になり、気付けば一緒に過ごすことはなくなっていた。

 そんな僕らに、奇妙な形で再び縁が結ばれた。

 転校して以来一度も会っていなかった富士彦と、同じ高校で再会するようになったのだ。仁志希と富士彦は同じクラスになったが、残念ながら僕だけは違うクラスの所属となった。

 最初は寂しい思いもあったが、そんな思いはすぐに遥か彼方へと消し飛んだ。


 高校生が持つべきスキルを人並外れて持っていた仁志希と富士彦は、いつしか、この高校の中でも有名になった。仁志希と富士彦はいつも隣に並んでいて、更には二人の周りには常に誰かがいた。


 今だって、サッカーの中心はほとんど二人だし、周りを注意深く見れば二人の姿を校舎の窓から見ている人がちらほらといる。それほど人気な仁志希と富士彦に、僕は不釣り合いだ。


 しかし、そんな二人を凌駕する勢いで、目立つ人物がもう一人いる。


「あー、やられたぁッ! でも、次はそう簡単に決めさせないからな!」


 日高泰造、現役高校教師だ。タイゾー先生は、二年前に教師になったばかりらしい。先生という立場を振りかざすことはせず、僕らと同じ――いや、僕らよりも子供っぽい性格なことも、生徒からの人気が高い理由の一つだ。


「よっしゃ! 相手に目に物を言わせてやろうぜ!」


 タイゾー先生は誰よりも声を張っていて、その声に呼応するように仁志希や富士彦は勿論のこと、一緒にサッカーをしている人も声を上げる。たかが昼休みの遊びサッカーだというのに、盛り上がり方はまるで試合さながらだ。


 汗を滴らせる彼らを羨ましく思いながら、僕はあの輪の中に混じることは出来ないなと思った。


 僕とは程遠い景色から視線を反らすと、僕はワイシャツの胸ポケットから昨日の金メダル風の折り紙を取り出した。見れば見るほど、ただのボロボロの折り紙しか見えない。だけど、僕は律儀にも、金メダル風の折り紙についてずっと考えていた。


 そもそも、この折り紙を手にするようになってしまった昨日の出来事を思い返す。

 この折り紙を手にするようになったのは、放課後の話。一人残って教室に飾られていた花の水やりを終えた僕は、家に帰ろうと下駄箱に行ったところ、学校の地図が簡易的に書かれた手紙を見つけたのだ。この高校に入学してから三か月も経っているにも関わらず、明確な目標もやりたいことも見つけられずにいた僕は、非日常を味わいたくて、宝の地図に従って空き教室に行ったのだった。

 だけど、結果はご存じの通り。僕は大して面白い反応を示すことも出来ず、仕掛け人を困らせてしまった。


 どうして僕なんかが選ばれたのだろう。教室での僕の立ち位置を知っていれば、わざわざ僕を標的にしようとは思わないはずだ。


「ごめん、ボール取ってー!」


 考え事から現実に引き戻されると、僕の前にはボールが転がっていた。僕は反射的に折り紙を胸ポケットにしまうと、言われるがままボールを掴んだ。ボールに付着していたざらついた土の感触が手に伝わったところで、失敗したことに気が付く。しかし、今から数秒前に戻って、ボールを無視することは叶わない。


「ありがとう。助かったよ……、って、エーちゃんじゃん」


 申し訳なさそうな表情で近付いて来た富士彦と仁志希だったけど、僕だと分かると、見て分かるほどに破顔させた。彼らは――、特に富士彦は、クラスが違っていても、分け隔てなく僕に接してくれる。


 甲斐でもなく瑛太郎でもなく、僕のことを小学校の頃のあだ名で呼ぶのは、今や富士彦くらいだろう。


 富士彦と仁志希を前にすると、昔の頃を思い出す。昔の僕は、今の僕とは百八十度違っていて、思い出す度に恥ずかしさに胸がやられる。正直、二人とは長く接点を持ちたくはなかった。


 僕は拾ったボールを「はい、これ」と、富士彦に軽く放って渡した。「お、さんきゅ」と視線を僕に向けたまま、胸元でボールを受け止めると、そのまま華麗にリフティングを始めた。一緒に遊んでいた幼い頃よりも、ボールの扱いが上手くなっている。


「なぁ。せっかくだし、エーちゃんも一緒に遊ばない?」

「え」

「だって、小学校の頃のエーちゃんは、めっちゃ足速かったじゃん。俺、尊敬してたんだぜ」

「……あはは、でも、今は見ての通り体も細いし、体力もないよ」


 そう断ると、富士彦は大きな体を子犬のように縮こまらせた。富士彦の思いと連動するように、リフティングしていたボールも地面に落ちる。高校一年になったというのに、まるで子供の時と変わらない。


 苦笑を浮かべていると、ふと視線を浴びていることに気が付いた。その気配を追いかけると、僕のことをじっと見つめている仁志希がいた。がっちり仁志希と目が合うと、仁志希は口角を微かに上げた。


「ごめんね、瑛太郎。飯食ってる最中に」

「いいよ。むしろ、誘ってくれてありがとう」

「……じゃあ、また」


 そう言うと、富士彦と仁志希は、タイゾー先生たちの方へと合流した。そして、再びサッカーを始める。


 仁志希と富士彦が華麗なコンビで敵陣に攻め込む。タイゾー先生が大きな体を活かして、ボールを奪う。「大人げないっすよ、タイゾー先生」「ハハハ、勝負に大人も子供もない!」しっかりと会話をしながらも、激しく走り込むタイゾー先生は一人で反対側のゴールまで駆け込み、シュートを決めた。先生という立場も無視した独りよがりのプレーに、誰も文句は言わなかった。味方は当然のこと、相手側も、爽やかな笑顔で受け入れている。それはきっとタイゾー先生のキャラクターだからこそ、成せていることだろう。


 タイゾー先生が皆とハイタッチを交わしていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「お、五時間目が始まるから、みんな戻ろうな」


 途端に先生の顔になって、タイゾー先生が周りに声を掛ける。「先生みたいなこと言わないでくださーい」「正真正銘、俺は先生だっての!」と軽口を交し合いながらも、ぞろぞろと校庭から人の姿が少なくなっていく。


 そんなやり取りを見ながら、僕も教室に戻らないと、と思った。


 そう思ったのに、誰も見向きもしないような木陰の下から、僕の腰は全く上がらなかった。

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