【閑話】とある屋敷での密会 

烈歴98年 5月1日 皇都セイト 某屋敷 




ここはとある華族の屋敷 




もう日付を超えようという時間において、この屋敷の主の男は自らの書斎において、膨大な数の書類に囲まれていた。




その中でも屋敷の主は1枚の紙を手に取り、難しそうな顔で、思考にふけっていた。




「……帝国侵攻戦…か……確かに近年の帝国の政治情勢は不安定ではあるが、そう簡単に防衛線を突破できるのだろうか……」




帝国侵攻論




これはここ数年皇国の中枢で議論されている案件だ。




皇国は建国から100年、奪われた領土を取り返す侵攻戦はしたことがあっても、他国の領土へ踏み入れた侵攻をしたことがない。




しかしここ数年、帝国内において、皇帝の後継者争いが勃発しており、その隙にノースガルドから打って出て、帝国の対皇国前線都市「インバジオン」を攻略するという論調が陸軍を中心に盛り上がっている。




地理的に海からは程遠いので海軍はこの件には中立で、陸軍はノースガルド家と共に侵攻派の中心を担っている。




そしてはこの侵攻には否定的な立場を示しており、保守派と揶揄されている。




陸軍の総力とノースガルド家の領邦軍の総兵力は10万を超える。




インバジオンの駐屯兵数は、諜報活動により6万程度とされている。




数字上の戦力では、侵攻は可能だと思えるが、侵攻戦は防衛側の3倍の戦力を必要と言われ、また地の利は帝国にある。




また皇国軍が踏み入れたことのない地において、多少数で優っているからと言って侵攻するのはあまりに危険だと男は思っていた。




それにインバジオンの駐屯兵数が6万とは、帝国軍にしてはあまりにも少なすぎるため、情報操作されているのではないかと皇軍の参謀は疑っていた。




男も何かしらの作為を感じる数字だと感じていた。




しかしこの侵攻戦は、当代の皇王様は賛意をしてしており、侵攻戦の号令が出るのは時間の問題と言えた。




皇王様自らが出陣するとの噂もあり、そうなれば皇家の守護者たる皇軍が戦場に出ないわけにもいかない。




その現実にこの屋敷の主であり、皇軍の長である 大将 ルイジ・ブッフォンは頭を抱えていた。




そんな現実に頭を悩ませていると、執事がノックをして書斎に入って来た。




時間は深夜であり、この執事は良く仕事ができる。




何か緊急の事態でも発生したか、とルイジは身構えるように用件を聞いた。




「こんな夜更けにどうしたのだ?何か緊急事態か?」




「……事件と言うわけではありませんが、緊急の事態ではあります」




執事が困ったように言う。




いつも冷静なこの執事にしては珍しいとルイジは思う。




「どうした?」




「来客が来ておりまして…」




「こんな時間にか?はっはっは、非常識か豪胆かのどちらの方かな」




時間は深夜だ。




この時間での訪問は華族でなくとも、庶民でも非常識な時間帯だ。




そんな時間に、皇軍大将のルイジの家を訪問するなど、規格外の人物に違いないとルイジは思案する。




「……まぁどちらでもあるでしょう…来客したのはコウロン・ドラゴスピア様でございます…」




「なんと!?」




その名前を聞き、ルイジは慌てて椅子から立ち上がる。




それもそのはず




コウロン・ドラゴスピアは皇国軍の英雄であり、そしてルイジのかつての上司であり、恩人でもあった。






皇軍に入ってからはコウロンの背中を追い続けていたルイジにとっては、決して邪険にはできない人物だった。




それに10年前の第4次烈国大戦後に表舞台から消え、10年ぶりの再会となる。




突然の来訪に驚くのは無理がなかった。




「すぐに応接の間にお通ししてくれ!私も着替え次第参る!あと料理人を起こしてくれ。あの人のことだから皇都に到着してすぐにここに来たのだろう。お食事をされていない可能性がある。すぐにお出しできるよう準備してくれ」




「かしこまりました」




ルイジが執事にそう指示を出す。




コウロンの性格上、目的地にすぐ赴き、食事などはないがしろにすることをルイジは知っていたため、食事を用意するよう指示する。




あのコウロンが我が家に訪問し、空腹で返すわけにはいかないと、ルイジは思っていた。






執事に指示を出した後、就寝用の衣服から皇軍の正装に身を包み、コウロンが待つ応接の間にルイジは急いで向かった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




ルイジが着替えて、応接の間に向かうと、すでに応接の間でメイドと談笑しているコウロンの姿があった。




最後に会った時から少し白髪が増えて老けてはいるが、体格は相変わらず大きく、まだまだ壮健ぶりが見て取れた。




「コウロン様!お久しゅうございます!ルイジ・ブッフォンでございます!」




「おお!ルイジよ!すまぬな、こんな深夜に訪問して」




「とんでもございません。コウロン様ならいつでも大歓迎でございますよ。皇都に到着したのはいつで?」




「つい先ほど船で参った。まずはルイジに挨拶しておこうと思っての!到着早々ここに来たわい!」




「それは嬉しゅうございます。お食事の用意をさせますので、どうぞ召し上がってくだされ」




「……お主は相変わらず気が利く男じゃのう…確かに晩飯はまだ食しておらぬかったゆえ、腹と背中がくっつきそうじゃったから助かるわい」




ルイジの予想通り、コウロンは空腹であった。




自分が使用人に下した指示が無駄にならなさそうで、ルイジは安堵した。




「ではすぐに運ばせます。ここに来た用件は食事をしながら聞きましょうぞ」






そう話しているうちに、使用人達がコウロンの前に食事を次々と運んだ。




コウロンは「うまそうじゃわい!」と喜びながら、ルイジが用意したご馳走を食した。




コウロンがある程度食事をしたところで、ルイジがコウロンに用件を聞いた。






「して、本日私を訪ねた用件は何でしょうか?10年振りにコウロン様が皇都に来られるとは何かのっぴきならない事情がおありで?」




「何、色々と所要でのう。何かまずいことがあったから皇都に来たわけではあるまいぞ。むしろ逆じゃよ」




コウロン程の人物が急に皇都に現れたこと、侵攻戦が盛り上がっていることから、コウロンが何か皇国軍に物申すかとルイジは心配したが、そうでないことに安堵した。




「ほう。では慶事で訪れたと?」




「そうじゃ。我が孫のシリュウがサザンガルドの分家令嬢と結婚することになってのう。その結婚の許可をもらいに皇王様へ謁見しに来たのじゃ」




「ほう!それはめでたいですな!シリュウ殿は赤子の時に数回お会いしただけですが、もう結婚をするほどに成長されたのですな……そしてサザンガルド家とはいやはや…」




「色々あったそうじゃぞ。儂から打診したわけではないのじゃ。どうやら旅に出てサザンガルド家のその令嬢と恋に落ちてのう。その流れでサザンガルド本家当主の了承まで一人でもらったのじゃ。我が孫ながら中々豪胆な奴よ」




「政略結婚でないと!?これもまた驚きですな…てっきりサザンガルド本家からコウロン殿に婚姻の打診があったのかと…最近サザンガルドでは軍都の名が揺らいでおりまするので、コウロン殿の威光にすがったのだと思いましたぞ」




「ほう?サザンガルドの名が揺らぐ?」




「はい。近年軍都サザンガルドで開催された武闘会で、上位入賞者にはサザンガルド出身の者がほとんどおらず、幼少の者が参加する弟子の部門で優勝したのもサザンガルドの分家令嬢だと聞きました。本家は3人の息子が居りますが、いずれも武に優れておらず、サザンガルド家の威光に陰りが出ておると聞き及んでおります」




「……そうかのう?儂もあったが3人の息子達はどれも優秀じゃったぞ。確かに武に秀でてはおらぬが、領主が必ずしも武に秀でている必要はないからのう。気にするでない。次世代のサザンガルドは安泰じゃよ」




「コウロン殿がそう言うならそうなのでしょうな。この度はシリュウ殿のご結婚誠ににおめでとうございます」




「うむ。結婚式はサザンガルドにてお相手のベアトリーチェ嬢の20歳の誕生日に合わせてするそうじゃ。数か月後になるが、お主も良かったら来るが良い」




「私も!?よろしいので?」




「…知っての通りあの子を知る者はそう多くないのじゃ。赤子とは言えあの子と面識があるルイジは貴重な新郎関係者なのじゃよ。相手はサザンガルド家の令嬢じゃ。新婦側の参列者は非常に多くなる。少しでも我が孫が寂しくないようにとの爺の配慮じゃよ」




シリュウとベアトリーチェの結婚式はベアトリーチェが20歳になる7月に合わせて行う予定で、オルランドとアドリアーナ、シルベリオとスザンナというサザンガルド家の大人達主導のもと急速に進めている。




場所はサザンガルドで現在は参列者の調整を行っているが、新郎であるシリュウには知り合いがそう多くないため、コウロンの関係者を招待する運びとなっていた。




「……そうでしたな。私で良ければ万障繰り合わせの上参りましょうぞ」




「はっはっは、皇軍の大将様がシリュウの関係者として来てくれれば、儂も鼻が高いぞ!」




「おやめくだされ…この地位はあなた様からお預かりしているものと思っておりますゆえ…」




「そんなことはない。もう10年も皇軍大将を務めておるのは、流石ルイジじゃよ」




「私なぞはただの凡人です。部下が優秀なだけですので…」




「優秀な部下と持ち、支えられるのも立派な能力じゃて。胸を張るが良い。部下のためにもな」




「それそうございますな…部下の顔を潰してしまう…」




「普通潰して心配するのは上司の顔じゃろうて…はっはっは!お主は相変わらず面白いのう!」




コウロンの言いようにルイジは気圧されるように苦笑いをした。




「してシリュウ殿はサザンガルド家に婿入りするので?」




ルイジが聞く。




サザンガルド家が迎え入れる程の人物で、コウロンの孫ならただの人ではないと想像は付いていた。




「いやシリュウがベアトリーチェ嬢を嫁に貰う形じゃ。それにシリュウはドラゴスピアの家督を継ぐことになる」




「なんと!あのドラゴスピアの名を継ぐのですか……」




驚きと共に心配をするルイジ




それもそのはず




ドラゴスピアの名は皇国の武の象徴とも言える。




第3次烈国大戦で、寡兵で帝国の大軍を退けた逸話に始まり、長年皇国軍を支え続けたドラゴスピアの名は皇国だけでなく、大陸にも轟いている。




その栄えある名を継ぐことは、想像もつかないほどの圧になる。




それほど重い名を、まだ成人したての少年が継ぐことになることにルイジは心配した。




そう心配そうな顔になっているルイジにコウロンは言う。




「大丈夫じゃよ。あの子はドラゴスピアに名前負けせぬ強い子じゃよ」




「…そうなのですか?シリュウ殿がエクトエンドでコウロン殿と住んでいたとは聞いておりましたがどのような武の腕前かは知らず…」




「少なくとも20代の時の儂より強いぞ、あの子は」




「は!?御冗談を…!すでに皇国の主力として活躍していた頃ではないですか!」




「いやいや冗談でも孫びいきでもあるまいよ。少なくとも先日シリュウは、単騎でエンペラーボアを狩ったのじゃよ。これはサザンガルド家も確認しているまごうことなき事実じゃよ」




「皇帝猪を!?皇国でも10種しか確認されていないSランク魔獣ではありませんか…それを単騎で?」




「そうじゃよ。Sランク魔獣を単騎で狩れる人材が今の皇国におるか?」




「……自信を持って推薦できるのはファビオだけでしょうな…」




「ファビオか…儂とは丁度入れ替わりで入隊したからあまり知らぬが、今は中々の地位におるのじゃろう」




ファビオ・ナバロ




現皇国軍最強の人物であり、髪の色から「蒼の剣聖」の二つ名を大陸に名を轟かせている。




入隊して10年足らずで、中将の位置に上り詰めた「王家十一人衆ロイヤルズイレブン」の一人である。




「ファビオなら、Sランク魔獣も単騎で狩れるでしょうが、ファビオ級の人物ですか…シリュウ殿はこれからどう身の振り方を考えるので?」




「シリュウは戦乱の終結を目指しておる。その為にまずは皇国軍に仕官するようじゃよ。皇軍には試験を経ないと入隊できぬから、まず陸軍に入隊することになるのかのう?海軍は無理じゃ。船酔いで死にかけておったからのう」




「……コウロン様、今は試験を経ずにとも皇軍に入隊できる制度がございます」




「そうなのか?」




「はい。ちょうどコウロン様が引退なさった10年程前から、皇軍試験の志願者が減少傾向にあり、優れた人材が必ずしも皇軍を志すようにはならなかったのです。恥ずかしくも皇軍試験はコウロン様の威光と人気によって成り立っていたのだと痛感しました。その事態を鑑み、皇軍試験を経ずとも、皇軍の4人の将軍、大将・中将・少将・准将のうち過半数の推薦があれば、試験を免除し、入隊を認める制度「抜擢制」が7年程前から稼働しております。毎年陸軍はもとより、冒険者からも優秀な人材をこの制度にて登用しております」




「ほう…時代は変わるもんじゃのう…その制度を儂に話したということは?」




「はい。この制度でシリュウ殿を皇軍へ入隊させたいと思います」




「儂から聞いた話だけで決めてよいのかの?」




「コウロン様が強者と言い、そうでなかった者など私の記憶にございません。このままでは陸軍に取られてしまう危惧はあります」




「おなじ皇国軍なら良いのではないか?」




「……今や陸軍は侵攻派の巣窟です。若きシリュウ殿にその思考にはまだ感化されて欲しくないのです」




「……確かに…トレスリーの生き残りで、儂の孫か……帝国侵攻戦の旗頭にされてもおかしくはないな…そのような形でシリュウが世に出るのは祖父としては本意ではない…」




「では?」




「しかしシリュウはすでに立派な大人じゃ。自分のことは自分で決めようぞ。まず皇軍に勧誘するなら皇軍から直接シリュウに話をするが良い。それに他の中将、少将、准将の了承もいるのであろう?お主の一存では決めれまい?」




「中将のファビオと、少将のレアならシリュウ殿の実力がコウロン様の言う通りで、目の当たりにすれば間違いなく首を縦に振るでしょう。……准将のアウレリオは……反対しそうですが…」




「その准将のアウレリオとやらはどんな奴なのじゃ?」




「ベラルディの一族と言えば、想像つきますかな?」




「あ~……あのバカ華族のところか…」




ベラルディ




皇都に本拠を持つ大華族で、6大華族の1つ




そして6大華族で最古の華族であることを誇りに思う名家意識が非常に強い華族である。




「能力は文武両道で非常に優秀なのですが、華族を特権階級と強く思い、庶民出身の部下にはあたりが強いのが難点ですな……またこれと言った相手へのライバル意識が強く、時には冷静な判断を下せないことも…ファビオを意識して、張り合うように仕事をしています。ファビオは相手にしておりませんが…」




「もったいないのう。あのバカ華族の思想に染まらなければ大成するであろうに」




「はい…おそらく10以上も年下のシリュウ殿の逸材振りを見れば、嫉妬して反対するのではと…それでも過半数を押さえれば入隊はできます」




「まぁその辺はシリュウと話してやってくれ。このセイトには5月10日の謁見までサザンガルド家の政務所に滞在しておるから、そこに連絡するが良い」




「明日朝直ちに文を送りまする。まずは私と中将のファビオ、少将で皇軍参謀のレアで会ってみようと思います」




「……正直に言うがの…シリュウの腕を見てチビるでないぞ?」




「……御冗談を…とは言い切れないのが少し怖いですな…」




コウロンのあまりの自信のありように少したじろぐルイジであったが、優秀な若者に会えるのもまた楽しみであった。


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