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 騎士になるには厳しい試験がいくつもある。だからこそか、それらを見事突破し訓練生になった時点で幾

いくばくかの給料が毎月はらわれる。

 エリアスは初任給から全額レナに渡してきた。訓練がいそがしすぎて、直接ではなく郵送ではあったが、レナは己のかつさを痛感して一人落ち込んでしまう。

 いや、ちょっとおかしいとは思っていたのだ。いきなり騎士になりたいと言い出すなんて。いくら子どもの頃の夢だったとしても。

 だってあの頃のエリアスは必死ではあったけれど、それと同じくらい経理の仕事を覚えるのも楽しそうだったのだ。


「……まさかこのために騎士ぃ……」


 正騎士に比べれば少額ではあるらしい訓練生の賃金。とはいえ、庶民が、そしてエリアスと同年代の少年が稼ぐには破格のものだった。

 一番早く、そして確実に稼ぐことができるからと、エリアスは無理をして騎士を目指しているのではないか。

 どれだけ気にするな、恩返しなどしなくてもいいと言ったところで、あの真面目で優しい少年は気にするに決まっている。

 そこを理解していたはずなのに、だというのにこの結果をのがしていた。

 うああああああ、と重く長いため息がれる。

 エリアスの気持ちはありがたい。とても尊いとも思う。しかし、こればかりは受領するわけにもいかず、レナは心をおににしようと決めた。


「これはすぐに送り返しましょう」

「いいえそれはいけません、奥様」


 ところがその決意をそっこうで否定してくる者がいる。普段はもくおだやかなルカだ。


「これは旦那様の男のきょうです。送り返すなど言語道断。旦那様を愛しておられるなら、このまま受け取るべきです」

「あい……っ!」


 何かと口の達者なヘルガの横で、黙って頷いている姿が基本のルカからの言葉。さらにはそこから飛び出る『愛』という単語にレナは思わずなおに従ってしまう。

 家族として愛しているのは確かなのだから当然だ。

 男の矜持とやらはよく分からないが、同じ男であるルカが言うのならばそうなのだろう。

 これはあくまでいったん受け取ったものとして、レナはエリアス用の口座に貯金していく。

 エリアスがいつか本当に好きな相手と結婚する時に、もろもろの祝の品と一緒におくるのだ。

 ふと、胸の辺りがざわつく。

 最近そういうことが増えた。決まってエリアスの未来を考えた時に起こる。

 まだ具体的なものではない。しかし、やがて明確な形となるだろう。それは自分にとって決して喜ばしくはないのだと、レナは本能的に感じていた。

 幸いと言うべきものではないけれど、訓練生としての日々が忙しすぎてエリアスは休みの日でも帰ってくることはない。特に最初の一年はとししの時期しか帰ってこなかった。

 だからその時にはレナもすっかり落ち着きを取り戻しており、エリアスともこれまでと変わらぬ態度で接することができた。

 とはいえ、少年の一年は変化がすさまじい。

 エリアスの見た目は大きく変わっており、それに関しては平静ではいられなかった。


「ほぼ一年ぶりとはいえ……すっかり大きくなりましたね?」


 出会った時はレナより少し下くらいにあった顔は、すっかり見上げる位置にあった。

 人間ってこんなに変わるものなの? とレナはあまりの変貌っぷりにげんかんで出迎えた時に思わずぽかんと口を開けて固まってしまったくらいだ。


「お前はもっとびるだろうと、隊長に言われました」

「え、今よりもっとですか!? 見上げるのに首が痛くなりそう……」

「レナと話をする時は僕が顔を近づけるので大丈夫ですよ」

「そうしてもらえるとありがたいですね」


 それでも、この時はまだ余裕だったのだ。

 背が伸び、少しだけ声も低くなってはいたが、レナの中では「美形だけども可愛らしいエリアス様」というにんしき。だから、こんな軽口で返すこともできた。

 さらに翌年、十八になったエリアスはすっかり青年のふうぼうになっており、そんな美しい青年がことあるごとに長身をかがめては耳を寄せてくる。それがなんだかとてつもなくずかしくてそっときょを取るが、離れた分だけ近づかれてしまう。

 気付けばかべぎわに追い込まれていたのも一度や二度ではない。

 レナがあまりにごしになるものだから、最終的には軽々とかかえ上げられてしまった。


「こうすれば、レナは首が痛くならずに済むし、俺もこしが痛くならずにすむのでいい方法だと思いませんか?」

「これっぽっちもよくないですね!」


 いつの間にか「僕」から「俺」へと口調も変わり、それがより一層レナの中でのエリアスに対する感情をざわつかせていた。

 住まいは相変わらず隊舎なので、日常的に顔を合わせずにいられるのが救いではあるが、その分長期きゅうなどで帰宅した時に美形の圧力をいやというほど思い知らされた。

 なんとなく、自分の反応を見て遊ばれているような気がしておもしろくない。

 王都へ出てきて、工房を構えて女主人としての立場を確立していようと、根っこにあるのは田舎いなかじゅんぼくむすめとしての面が強い、というかそれしかないレナである。

 こんやくをされて以降、この二十三年間ひたすら仕事一筋に生きてきたのだ。下手をすると田舎娘よりもおくれているかもしれない。

 早い話が男慣れしていないのである。だからじょうな反応をしてしまうし、エリアスは

それを見て少しばかり楽しんでいるのだろう。


「子どもの頃はあんなに可愛らしいエリアス様だったのに」

「ええ、もう子どもではありませんから。俺は大人の男ですよ、レナ」


 ついうらみ節をこぼしてしまえば、とどめと言わんばかりの一撃を食らう。

 返答の仕方が可愛くない。というよりなんだかこなれている、ような気がする。

 これはあれか、同年代もしくはせんぱいからのあくえいきょうかと、レナはちょっとばかり騎士団に苦情の一つも入れたくなってしまう。


「もちろん分かっていますよ。本当に立派になられましたね、エリアス様!」


 本来であれば乙女おとめ心の一つや二つさわぎ出すに違いない、エリアスのかもす空気。

 しかし自分は保護者であるからして、それに飲み込まれてはいけないのだとレナは自分に言い聞かせた。

 のうに浮かぶのは初めて出会った時の美しくも可愛らしく、そしてけんめいに幼い妹を守ろうとする少年の姿だ。


「う……本当に……立派になって……」


 レナは最近、幼い頃の彼らの姿を思い出すと秒で泣けるようになってしまった。かんちがいしてもおかしくはない甘さを含んだ空気が一気にさんする。


「立派になったと言ってくれるなら、俺のことをちゃんと呼んでください」

「呼んでるじゃないですか!」

「様、はつけないって約束したのを覚えていますか?」

「それは……覚えていますよ、もちろん」

「じゃあどうしてちゃんと呼んでくれないんです? 俺は貴女の言うように立派になったし、無事成人もして、法的にもきちんと夫になりましたよ」

「長年の癖です。とはいえ約束を守っていないのは私が悪いですね、すみませんエリアスさ……エリアス」


 呼び方を変えるだけでたんにエリアスは嬉しそうにみを浮かべる。

 昔に比べるとほんの少しだけ、砂糖ひとつまみ分くらいの意地悪さを見せるようにはなったけれど、レナに向ける笑顔は昔と変わらない。

 あれだ、あれがまずかった。人間、けいそつに約束事などするものではないと、数カ月前の出来事に思いを馳せた。

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