(6)――「……でたらめを言うな」
「誰だ?」
突然の乱入者に、僕を蹴る足もぴたりと止まった。
「な、なんだ? あいつ」
「なんか変なお面被ってるぞ?」
「あれ、一年の制服じゃないか?」
三者三様の反応を示しながら、声のした方向に視線を送る。
僕はといえば、できれば信じたくないと強く願いつつ、そちらを見た。
「アキから離れろ、愚か者共が!」
その黒く真っ直ぐな髪を風になびかせ。
季節外れな夏用の制服の上から、小豆色のカーディガンを身にまとい。
その顔の上半分は狐面で覆い隠しつつ。
唯一表情の読み取れる口元は、敵意むき出しに歯を食いしばって。
僕の友達は、神社を飛び出し、そこに立っていた。
「な、んで……、はや、く……」
なんで神社から出て来たんだ。早くここから逃げろ。
そう言いたいのに、身体中が痛くて声がまともに出ない。
せっかく頬の痣が薄くなってきたというのに。この状況では、少女が巻き添えを喰らってしまう。お前だって、本当は怖くて仕方がなくて、手が震えている癖に。
「なんだよお前、こいつの知り合い?」
「ぐっ……」
小林が僕の腹に一蹴り入れながら、少女に問い掛けた。
「アキを足蹴にするな!」
「へえ、『アキ』だって。仲良いじゃん」
前田は激昂する少女を横目に笑いながら、僕の前髪を乱暴に掴む。
「誰あいつ。なんて名前?」
「……教えるわけ、ないだろ……」
「つまんねぇの」
興醒めとばかりに、前田は僕の前髪からぱっと手を離す。僕の頭は、重力に従い地面に落下した。
「アキ!」
悲鳴にも似た声で、少女が僕を呼ぶ。
「やめろ貴様ら、アキに乱暴するな!」
少女が、ほとんど衝動的に距離を詰めてくる。
やめろ、こっちに来るな。こいつらは、女子を相手取ることになんの躊躇いもないんだぞ。
そう言って少女を止めたいのに、僕の口と来たら全くの役立たずで、音にも満たない息しか吐き出せない。
自分の無力さに嘆く暇もなく、少女は遂にこいつらの間合いに入った。
少女が震える手を固く握り締め、前田の肩を掴んで思いきり振りかぶった、そのとき。
「俺、お前のこと知ってるぞ」
と、緒形がおもむろに口を開いた。
「……でたらめを言うな」
少女はぴたりと動きを止めたかと思うと、僅かに顔を緒形のほうに向け、端的にそう言った。狐面で隠れていても、少女が緒形をぎろりと睨みつけたのがわかる。それは場の空気ががらりと変わるほど、強烈なものだった。
「でたらめじゃあないさ」
緒形は、飄々と言う。
「お前、行方不明になってる中学生だろ?」
「違う」
「その中学生の家、俺の近所でさぁ」
少女の否定をものともせず、緒形は続ける。
「昨日、俺の家におっさんが来たんだ。なにか知ってることはないかってな。あのおっさん、お前の父親か? 違うよなぁ?」
「……うるさい」
「だってお前んち、親が離婚して、それでここに越してきたんだもんなぁ?」
「……」
「おい、なんか言えよ。ふざけた面で顔隠してたって、俺にはわかってんだぞ。お前の名前は、
「うるさいうるさいうるさい!」
緒形の言葉を遮り、両手で耳を覆いながらに少女は叫んだ。
刹那。
風が低く唸りを上げて、山に吹き込んできた。木々がざわめき、枯れ葉は渦を巻いて地面を這う。その風は、十月にしてはいやに冷たくて。僕にはそれが、少女を宥めているように思えた。
「……ワタシのことはどうだって良いだろう。放っておいてくれ」
小さく息を吐いてから、少女はそれだけ言った。
それは直前の叫声が嘘のように今にも消え入りそうなほど、か細い声で。
僕は自分でも気づかないうちに、コマ、と少女を呼んでいた。
「早くここから立ち去れ」
こいつらを見ようともせずにそう言う少女の心境が、なんとなくわかった気がした。
恐らく少女は、自分の内側から湧いた怒りに怯えているのだ。
激昂し、拳を握り、躊躇いもなく人を殴ろうとした。母親に暴力を振るわれ、それでも悪者にしたくないと言い、自分を責めた少女にとって、きっとそれは、とても恐ろしいものに思えたのだろう。
「……あー、うっざ」
緒形が、心底嫌そうな声で言う。
「シラけた。おい、もう帰るぞ」
「え、おい、緒形」
戸惑う小林と前田を他所に、おいお前、と緒形は少女に向かって口を開く。
「お前がここに居るってことは大人に言ってやるからな」
「好きにしろ」
「……ふん」
面白くないとでも言いたげに表情を一瞬だけ歪ませたあと、緒形はさっさと来た道を戻って行った。
戸惑う様子を見せたていた小林は、しかしすぐに緒形のあとを追いかけて行く。
「……ちっ」
少しの間、少女を睨みつけていた前田も、それに続く。
終わった。
暴力の嵐が。
そして、神社で過ごす楽しい日々が。
そう思った直後だった。
前田の両手が、思いきり少女を突き飛ばしたのだ。
「え」
それは少女の声だったのか。
或いは、僕の声だったのか。
わからない。
そのときの僕にわかったことと言えば、ただひとつ。
前田の不意打ちを受けた少女の身体が、そのまま急斜面に落ちていったことだけだった。
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