(8)――「ワタシがこの神社に居着くことになった理由を、聞いてくれるか?」

「……もう大丈夫だ。すまない」

「ん」

 空の色が橙と紺で混ざり始め、山の植物たちが影絵のように見え始めた頃。

 少女からそう声をかけられ、僕はそっと少女から手を離した。

「少し、顔を洗ってくる。待っててくれるか?」

「わかった。待ってる」

「うん」

 顔を隠すようにして、少女はぱたぱたと小走りに神社の裏側へ向かった。この神社の裏はあまり見たことがないが、きっと湧き水かなにかがあるのだろう。

「……」

 今の今まで少女の肩に触れていた両手を、おもむろに眺める。

 これまで散々二人で飲食を共にしておきながら、何故だか僕はこのとき初めて少女に人間味を感じていた。

 僕の前で泣いたから?

 触れた肩が思っていた以上にか細かったから?

 理由を当てはめようとしても、どうしてか上手く当てはまる言葉が見つけられない。少女の涙に、僕まで混乱してしまっているのだろうか。

「お待たせした」

 ぐるぐると考えているうちに、少女は社殿前の階段へと戻ってきた。

「大丈夫か?」

 念押しの確認に少女は、うむ、と頷く。

「でも、たぶん目元は酷いことになっているだろうから、お面はもうしばらく着けさせてくれ」

「それは別に構わないけど」

「そうか。ありがとう」

 そう言いながら、少女は僕の隣に座った。

 声の調子は、完全にいつも通りだ。むしろ、肩の荷が下りたようにさっぱりとしているような気もする。

「なにか飲むか? たくさん泣いて疲れたろ?」

「あー、うん、そうだな。いただこう」

 少しだけ躊躇う仕草を見せたが、少女は首を縦に振った。

「今朝、ご近所さんからもらったジュースがあるんだ。ぶどうとりんご、どっちが良い?」

「んー。そしたら、りんごが良い」

「はい」

「ダンケ」

 渡したパックのジュースに、少女はまた僕の知らない言語を口にしながら受け取った。

「なあコマ。さっきも言ってたけど、その『ダンケ』ってなんだ?」

 ストローを差し込みながら、少女に尋ねてみる。

「『ダンケ』はドイツ語で『ありがとう』という意味だ」

 既にジュースを飲み始めていた少女は、気さくに答えた。

「へえ、ドイツ語」

 どうりで、知らない言語のはずだ。

「ワタシのお父さんがドイツ人でな、昔からたくさん言葉を教えてもらっていたのだ」

「ふうん」

 頷いた僕に、少女は間合いを図るように、

「なあ、アキ」

と呼んだ。

「なんだ?」

「さっきは安心して、つい、少々、泣いてしまったのだが、アキに聞いて欲しい話はまだあるのだ。ワタシがこの神社に居着くことになった理由を、聞いてくれるか?」

「うん」

 僕は少女の顔を見て、頷く。

 相変わらず表情はわからないけれど、そうするのが筋だと思った。

「聞かせて、コマのこと。コマの言える範囲で良いから」

「うん」

 少女はジュースをもう一口飲んでから、ゆっくりと話し始める。

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