(4)――「つまり、狛犬であるワタシに狐面が似合うのも道理のうちなのだ」

「ああ、これ?」

 少女がそれと指差したもの。

 僕は気持ちを切り替え、それと呼ばれたものをひょいと持ち上げながら、言う。

「コマのイメージチェンジに貢献しようと思って、ついでに持ってきた」

 それは、顔の上半分だけを隠すタイプの狐面である。

「いめーじちぇんじ?」

 ぴんと来ていない様子の少女は、こてんと小首を傾げた。

 恐ろしいことに、僕はだいぶ慣れてきてしまっているが、その顔を覆っているのは、日曜の朝にやっている女児向けアニメのお面なのだ。

「ええと、なんだっけ。コマの今の姿は、人間界に潜入するための仮の姿、みたいなものなんだよな?」

「うむ」

「普通にクラスに馴染める見た目だと思うし、神の遣いである狛犬が、おいそれと人間風情に素顔を晒せないことも、僕は理解しているつもりだ」

 だけどな、コマ。

 僕は少女の付けているアニメ絵のお面を指差しながら、続ける。

「さすがにそのお面は、緊張感に欠ける」

「むっ」

「というか、神秘さの欠片もない」

「うぐっ……」

「有り難みも皆無だ」

「ううう……」

「そこで今回ご紹介するのが、こちら」

 胡散臭い紹介文句と共に、狐面を少女に見せる。

「これ、去年の修学旅行で買ったやつなんだけど。古風な感じだし、それっぽい感じがするだろ?」

「それはそうかもしれないが……」

 その少女の声音には、揺らぎがあるように思えた。あと一歩といったところだろうか。

 とはいえ、狐面のプレゼンとして考えていたメリットは、あともうひとつしかない。これに少女が食いつかなければ、無理強いをするのはやめておこう。

 そんなことを計算しながら僕は、それに、と続ける。

「こっちのお面にすると、ご飯が食べやすくなるぞ」

「おおっ、本当だ! アキ、ワタシそっちのお面にしたいっ!」

「……ああ、うん。どうぞ」

 伸びてきた少女の両手に、狐面を渡す。

 受け取るや否や、少女は僕に背を向け、お面を交換し始めた。

 その背中を横目に僕は、遠回りなどせずに最初からそれだけ言えば良かった、と静かに後悔する。気に入ってくれたのなら、それはそれで構わないんだけど。

「えへへ。どうだ、アキ?」

 少しして、少女がこちらに振り返る。

 その声を受けててから、僕は少女のほうへ身体を向けた。

 顔の上半分、その額から鼻までを覆う狐面は、少女の目元をしっかりと隠しながら、頬や口元を惜しみなく晒していた。

 空気が乾燥している所為か、少女の唇は少しかさついている。しかし、それは些末なことだと言わんばかりに、その口元はにっこりと笑みを浮かべていた。 

 感情の断片が見える。

 これまでのやり取りで、感情が読めなかったわけではないけれど。こうして一目でわかる感情があるというのが、こんなにも嬉しいことだとは思わなかった。

 けれど、そう思ったのはほんの一瞬で。

 それよりも僕は、別のことに目を奪われてしまった。

 少女の顔を占めるお面の割合が減って、初めて白日のもとに晒されたもの。

 それは、痛々しい痣だった。

 僕から見て右側の頬と口元に痣は集中していて。

 たったそれだけで、右利きの人間に殴られた事実を雄弁に物語っている。

 しかもそれは一度だけではない。痣の上から痣を作るように、きっと何度も、何度も。

 一体誰が、こんな酷いことをしたというんだ。

 天真爛漫なこの少女に、その痣はあまりに不似合い過ぎて。

 内側から、言いようのない怒りがふつふつと沸き上がってくる。

「……アキ? どこか変だろうか?」

 不安げな少女の声に、僕ははっと我に返る。

 動揺は顔に出ていなかったはずだ、と思いながらも、僕の手は無意識に口元を覆っていた。

「良いじゃん。似合ってる」

 平静を装って絞り出した言葉に、少女はさらに笑みを深めた。

「本当か!?」

「本当。すげえ格好良い」

「えへへー」

 嬉しそうに両手でお面に触れる少女を見ていると、僕は自分のあまりの思慮のなさに、心臓を抉り取られるような思いがした。

 少女がお面で隠したがっていたのは、この痣のことだったのだ。

 なにがコンプレックスだ。一方的に共感して、事情を推し量った気になって。大切な本人の意思を聞こうともせず、僕の身勝手を押し付けてしまった。これじゃあ、僕だって『みんな』と変わりないじゃないか。

「む? なにやら表情が暗いぞ、アキ」

「そ、そうか?」

「なんとなくだが、そんな感じがする。あ、わかったぞ」

 その言葉に、喉の辺りがきゅうっとなった。

 息も言葉も出ない僕をよそに、少女は不敵な笑みと共に続ける。

「さては、ワタシがあまりに格好良くて、見惚れていたな?」

「……」

「いやあ、ふふ、ふへへ……。アキが言葉を失うほどとは思わなかった。ワタシは自分の持つポテンシャルが恐ろしいぞ……!」

「……」

 なんだろう、この、心配して損した、みたいな感じは。

 少女の頬の痣が痛々しいことに変わりはないし、それを僕の身勝手で暴いてしまったことも事実なのに。

 狐面を身に着け、テンションだだ上がりの少女を見ていると、それらの感情が全て風に流されていくようである。せめて罪悪感くらいは残して欲しい。

「……狐面の似合う狛犬って、なんだよ」

 僕は苦笑気味に、ようやくそんな軽口を言うことができた。喉に詰まっていた空気が、抜けていく感覚を覚える。

「知らないのかアキ、狐はイヌ科の動物なのだぞ。つまり、狛犬であるワタシに狐面が似合うのも道理のうちなのだ」

「それは極論過ぎやしないか……?」

「そんなことはない」

「ああそう……」

 断言する少女に、僕は嘆息混じりにそれだけ言った。

 ともあれ、上手いこと話題が逸れて良かった。動揺していたことも少女には伝わっていないようだし、一安心である。

「コマ」

 しかし用心深い僕は、さらに話題を変えることにした。

「悪いが、写真撮影は禁止だぞ」

「そうじゃねえよ」

 確かに、びっくりするくらい狐面姿は様になっているが。そんな話をしようとは微塵にも考えていない。

「そうじゃなくて、少し早いけど、お昼にしようかなって思ったんだよ。お腹、空いてる?」

「空いてる!」

 即答だった。なんだったら、食い気味だったくらいである。

「それは良かった」

 言いながら、僕は持ってきた保冷バッグから弁当を取り出す。

「まずは、リクエストのおにぎりな。こっちから順に、梅干し、鮭、おかかこんぶ、ツナマヨ。一応、アルミホイルにも具は書いておいたから、それ見て好きに食べて」

「おお……!」

「んで、こっちはおかず。これは全部ばあちゃんが作ってくれたやつだから、味は保証する」

「なんと、おかずまで! アキは神様なのか……!」

「狛犬がそういうこと言うなよ……」

 仮にも神の遣いを自称してる身だろう、お前。

「いや、だってこんなに豪勢な食事は――ん? 『これは全部ばあちゃんが作ってくれた』ということは、アキが作ったものもあるのか?」

「まあ、うん。おにぎりは僕が作った」

 急に気恥ずかしくなって、視線を逸らしながら答えた。

「ほほう。それなら、まずはおにぎりからいただこうかな」

「あ、コマ」

「なんだ?」

 どれから食べようかと迷う少女に、僕は一声かける。

「弁当、お腹いっぱい食べても良いけど、少しだけ余裕を持たせておいてくれるか。三時のおやつに、スイートポテトも持ってきてるんだ」

「……!」

「うん? コマ?」

「アキはやっぱり神様だ……!」

「落ち着け狛犬。僕を拝むな」

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