(4)――それならもう、狐だろうが犬だろうが人間だろうが、なんでも良いか。

「おお、アキじゃないか! また来てくれるとは、ワタシは嬉しいぞっ!」

 山道の入り口付近に自転車を隠し、道を登っていくことしばらく。

 神の遣いである狛犬を自称する少女は、平然と社殿の前に座っていた。僕の姿を認めると、弾む足取りで駆け寄ってくる。その顔は、今日もアニメ絵のお面で覆われていた。暢気な性格の割に、意外と用心深いらしい。

 自称狛犬。

 自称神の遣い。

 いわゆる『本物』なのか。

 狐か犬に化かされているのか。

 或いは、同級生にからかわれているだけなのか。

 それを確かめるために、僕はひとつ、やらなければならないことがある。

「……」

「うん? どうしたのだ?」

 とはいえ、この方法は流石に人間性を疑われるのではないだろうか。

 土壇場で臆病風に吹かれ、僕の身体は強張ってしまう。

「……」

「な、なにか言ってくれ、アキ。沈黙は怖いぞ」

「……」

「アキぃ……」

 逡巡の末、僕はどうにでもなれと半ば自棄気味に、少女に左の手の平を向けて、

「……お手」

と言った。

 少女は一体どんな反応を示すだろうか。

 馬鹿なことをするな、と怒るだろうか。

 それとも、ただただ呆れるのだろうか。

 果たして、少女は一度、きょとんとした様子で僕の手の平を見つめると、すぐに得心がいったようで、

「はい」

と、なんの躊躇もなく僕の手の平に、軽く握った右の拳を乗せたのだった。

「……おかわり」

「はい」

「……ぐるっと回って」

「ぐるぐる」

「……ハイタッチ」

「ヤーッ!」

 完璧だった。

 まさか、本当に犬なのでは?

「アキ、アキ」

「な、なに?」

 弾むような少女の声に我に返れば、僅かに屈んで僕に頭を向けていた。

 撫でろ、ということだろうか。

「……良くできました」

「うむ!」

 恐る恐る少女の頭を撫でると、とても満足そうな声が返ってきた。

「どうだ? アキ。ワタシは躾の行き届いた、賢い狛犬であろう!」

 絶句する僕を他所に、えへん、とふんぞり返る少女。

「僕のほうからやっておいてなんだけど、お前、嫌じゃないのか?」

「嫌じゃないぞ。ワタシは狛犬なんだから、これくらいはできて当然なのだ」

「……そういうものなのか?」

「そういうものなのだ」

「ふうん」

「うむ」

 『本物』か。化かされているのか。単なる同級生か。

 少女の正体を掴むためには、一度少女に触れてみるのが良いと思った。けれど、見た目は同学年の女子に、どうしたら不自然にならずに触れることができるかどうかと、必死に頭を捻った結果がこれだった。我ながらおざなりな作戦だと思っていたが、まさかこうも簡単に成功してしまうとは。躊躇していた僕が滑稽にさえ思えてきた。

 さておき。

 少女に触れることはできた。指先からは生き物の体温が伝わってきた。少なくとも、僕の目の前にいる少女は幻ではないようである。

 確かに生きていて、そこに居て、普通に話ができる。

 それならもう、狐だろうが犬だろうが人間だろうが、なんでも良いか。

「アキ、今日は大丈夫だったか?」

「え?」

 不意に話題を振られ、僕は一音しか発せなかった。

 少女はそんな僕を他所に、頭からつま先まで、さらりと視線でなぞる。

「うむ。どうやら今日は、あのいけ好かない連中から上手く逃げ果せたようだな」

「……。昨日は、たまたま逃げ切れなかっただけだ」

「そうか。無事でなによりだ」

 それより、アキ。

 くいっと僕の制服の裾を掴みながら、少女は言う。

「せっかく来たんだ、少しゆっくりしていってはどうだ?」

「そ、その前に」

 力で敵わないことを既に知っている僕は、少し大きい声を上げて牽制する。ぴたりと動きを止めた少女は、なにごとだろうと小首を傾げながら僕を見た。

「ひとつ、訊いておきたいことがあるんだけど」

「ワタシは正真正銘、本物の狛犬だぞ?」

「いや、それはもう信じてやるから」

 そうじゃなくて、と僕は続ける。

「……お前さ、本当に僕のこと、知らないのか?」

「昨日も言ったが、アキとは昨日が初対面だぞ? それとも、実はアキは有名人で、これからテレビの撮影でもあると言うのか?」

「そういんじゃないけど……」

 昨日といい、今日といい、この少女は本当になにも知らないようだ。知らないふりをして、僕に関する根も葉もない噂の真偽を確かめるつもりもないらしい。それならもう、この少女を警戒する必要はないんじゃないだろうか。

 だって僕は、少女と話していて、不快に思うところはない。久しぶりに同世代の子と普通に話ができて、どちらかと言えば楽しいくらいだ。楽しいのなら、もう良いか。

「訊きたいことは、それだけか?」

「ああ、うん」

 拍子抜けしてぼんやりと頷いた僕に、少女は再び僕の制服の裾を引っ張った。

「それならほら、立ち話もなんだから、あっちに座ろうではないか!」

「はいはい」

「はいは一回だぞ、アキ!」

「はーい」

 そうしてされるがまま、僕は少女に引っ張られて、昨日同様、社殿前の階段に座った。

「えへへ、また来てくれてありがとう。本当に嬉しいぞ」

 ぶんぶんと左右に振れる尻尾の幻覚を、少女に見る。それほどに僕の来訪を喜ばれると、こっちまで嬉しい気持ちにさせられる。

「それで、アキ。今日はどんな用事があって来たのだ? 上級生に追われてもなければ、暴力も振るわれてもなく、怪我もない。……ははあ、さてはアキ、ワタシとお喋りがしたくて来たのだな?」

「あ、いや。用事は、これ」

 言いながら、僕は鞄から小さな包みを取り出す。

「昨日はありがとう。ハンカチ、ちゃんと洗濯してきたから。返す」

 ハンカチ一枚を返すのに包装するのはどうかとも考えたが。あいつらと遭遇し、泥まみれになる可能性を考えると、こうしたほうが被害を最小に抑えられると思ったのだ。

「おお、これはこれはご丁寧に。かたじけない」

 包みの正体がわかると、少女はそう言いながら両手で受け取った。

「……用事は以上なんだけど」

「えっ」

 両手で包みを持ったまま、少女はこの世の終わりのような、絶望そのものの声を上げた。

「も、もう帰っちゃうのか、アキ」

 裾を掴まれながら涙声で懇願されて、一体どれだけの人間が拒絶できると言うのだろう。

「……日が沈むまで、なら。大丈夫」

 降参するように両手の平を少女に軽く見せながら、僕は言った。

 すると、少女の雰囲気がお面越しにでも明るくなっていくのがわかった。

「ヤー!」

「? うん」

 一瞬、『やだ』と言われたのかと思って動揺したが、少女のテンションから見るに拒絶ではないらしい。言葉と反応の差に驚きながら、僕は曖昧に頷いた。

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