三十三話 アラベスク模様の銀の鍵




 ノアの声を聞いていると、急に不安に駆られた。


「ああ、兄上、わたし怖いの。これからどうしたらいいの?」

 ――アニス。僕は何も見えない。何が起こったのか、説明してほしい。

「どうすれば、実態になれる?」

 ――ミモザにかけられた魔法だ。彼なら解くことができる。

「ミモザはいないの」

 ――どういうことだ?

「ミモザは、ローズを送るためにアレイスターに行ったの。わたしは一人よ」


 兄の声が黙り込む。すぐに、真剣な声が響いた。


 ――アニス。ミモザはお前の精霊だ。お前なら、僕の魔法をとくことができるかもしれない。

「兄上、今のわたしはアニスじゃないの。別の少女なの」

 ――何だって?


 ノアの唖然とした声がした。アニスは自分の失態に体が冷たくなるようだった。


「ああ、ノア、本当にごめんなさい」

 ――何だってそんなことに?


 ノアの絶望的な声がした。アニスは体が震えた。


「わたしが悪いの。ジョーンズの命を守るために、メイドと入れ替わったの」

 ――ジョーンズとは誰だ? 最初から説明してほしい。


 アニスは顔を覆った。泣いた上に、体はへとへとだった。


「もう嫌。兄上、わたし、もう疲れたの」

 ――アニス。何があったのか知らないが、泣き言は聞きたくない。この世界を救うのはお前しかいないんだ。

「簡単に言わないで、わたしを追い詰めないでよ、ノア」

 ――僕は本気で言っている。お前がどんな姿をしていようと、ミモザがそばにいなくても、君にしか世界を救うことはできないんだ。世界を救うのは僕じゃなくて、お前なんだ。

「どういうこと?」

 ――とにかく、僕を実態にするんだ。集中して、ミモザのかけたややこしい魔法を解くんだ。


 アニスは、大きく息を吐いた。

 もし、兄が目の前に現れるのならば何だってやって見せる。


「分かったわ」


 アニスは呼吸を整えて、目を閉じた。

 タンジーの体になっているが、兄は自分の中にいるのだろうか。

 お腹に手を当てる。エネルギーを感じた。鍵の位置を確認する。


 フェンネルはあの時、タンジーの体にノアを移動させたのだろうか。

 それとも、ノアのエネルギー体が繋がっていて、タンジーの肉体に転移したのだろうか。確かに、兄のエネルギーがお腹にとどまっているのが分かる。


 兄を守るように魔法で守られている。この鍵を外へ取り出して、実態にせねばならない。


 アニスは、手のひらを当てて、鍵を引き寄せた。物質が手のひらに集まってくる。手のひらから物質化させて取り出した。描いた通りにうまくいった。


 鍵が現れる。

 アラベスク模様の銀の鍵。

 それを見た途端、グリモワールの内容を思い出した。

 どうして思い出さなかったんだろう。


 それは、連なる時空の門を開くことができる。

 確か、幻の鍵だ。まさか、兄が銀の鍵だったなんて。


「兄上……」


 アニスは、再び泣きそうになる。歯を食いしばって、手のひらで浮いている鍵を睨んだ。


「実体化せよ」


 アニスは、鍵にかけられた魔法を解いた。


 ノアの姿が現れる。

 アニスと同じ金色の髪、鋭い瞳に鼻筋が通った端正な顔。強く結ばれた口元。

 長身の彼が現れて、アニスはあまりにうれしくて抱きついた。


「ノアっ」


 涙があふれてくる。さみしかった。

 一人ぼっちでいる気がしていた。

 アニスの体は冷たく、震えていた。


「アニス……」


 ノアが見下ろしている。彼はかなりショックを受けていた。


「その姿はいったい……」

「タンジーよ。魔女見習いなの」

「それにしても、醜い」


 アニスは悲しい顔をした。


「ひどいわ、兄上。これでもマシになったのよ」

「え?」

「声が……、彼女と入れ替わった時、もっとひどい声をしていたの。甲高い雲雀ひばりのような声をしていたのに、今は違う。アニスの声とも少し違う気がするけど……」


 アニスは、タンジーの体に異変が起きていることに気付いていた。小鳥を助けた後から、声が変わったのだ。

 そして、魔法が使いやすくなった。

 おそらく、この体に慣れて来たのだと思う。


「それにしても、ちびで不細工だ」


 兄の言葉に、アニスは首を振った。


「それ以上言うと、その口を封じるわよ」


 睨みつけると、兄が口を開く前にドアをノックする音がした。二人は同時に振り向いた。


「誰だ?」


 ノアが低い声で言った。

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