十七話 願いは一度だけ②




「お師匠さま、助けてくださいっ」


 すると、目の前に風が吹いたかと思うと、灰色の髪をした若者が現れた。



「お師匠様っ」


 人々がわあっと歓声の声を上げた。


「灰色の魔術師が現れたっ」


 灰色の髪、銀色のシルクのローブを身にまとい、色白でほっそりとした男性。

 アニスの魔法の師匠、フェンネルだった。

 アニスは、涙を流してフェンネルのローブにしがみついた。


「お師匠様、助けてくださいっ」

「その男を助ける価値はあるのか」

「失いたくないのです。わたし、何でもする、どんなことも耐えてみせます」

「願いは一度だけだぞ」


 フェンネルは、ジョーンズの傍らに膝をつくと、首筋に指先を添えた。

 血が止まり、えぐれた皮膚を再生していった。

 フェンネルだけが使える高度な治癒の魔法だ。

 ジョーンズの頬がぴくりと動いた。血の気の引いた顔に少しだけ色が戻る。


「お師匠様……。感謝いたします」


 アニスは涙を流しながら、ジョーンズに頬ずりをした。彼の体が温かい。

 空は相変わらずとぐろを巻いた竜巻が近づいていたが、フェンネルが杖を一振りすると、壊れた建物が修復されていく。

 魔術師に手を合わせていた人々は安堵の表情をして、建物の中に逃げ込んで行った。


 ローズは、ミモザが抱きあげて守ってくれていた。

 フェンネルが呪文を唱える。


「クローブ」


 フェンネルの悪魔祓いの呪文で、竜巻が小さくなり徐々に消えていった。

 アニスは腕の中のジョーンズを抱きしめた。


 わたしは何もできなかった。

 お師匠様が来てくれなかったら、ジョーンズを死なせるところだった。

 自分の無力さに呆然としていた。


「アニス、ここへ」


 フェンネルの静かな声が響いた。アニスはジョーンズを寝かせると、こうべを垂れて指示に従い、膝を突いた。

 フェンネルは、隣に横たわっていたメイドを宙に浮かせ、アニスの前にひざまずかかせた。

 メイドが目の前に来た瞬間、アニスは自由を奪われた。強大な力に抑え込まれ、息ができなくなる。

 メイドが目を覚まし、おびえた顔でアニスを見つめていた。

 アニスとメイドの目があうと、フェンネルの声が響いた。


「お前たちを入れ替える」

「え?」

「アニス、お前はまだ見習いの魔女だ。日ごろからさぼってばかりいるから、いざという時にこんな目に遭うのだ。わたしは何度も忠告をしたはずだ。よって、この娘と入れ替わり、ゼロから学んでもらう」


 フェンネルの言葉にアニスは取り乱した。


「そ、そんな……。お師匠様、ティートゥリーに城は乗っ取られました。そんなことをしている場合では!」

「何を言う。この男一人救うこともできなかったお前に何ができる。城が襲われたことなど、グリモワールを知っているものたちは気づいている。一人で何もかもできるなどと過信に思うな」


 フェンネルの鋭い言葉が胸に突き刺さった。

 アニスは泣きそうになった。

 どうして、ここまで言われなくてはいけないの。

 でも、そうかもしれない。

 わたしが未熟だから、ジョーンズが殺されかけた。

 あんなに優しい人に迷惑をかけてしまった。


 真っ青な顔のアニスに、フェンネルは容赦なかった。


「なんでもする、どんなことも耐えてみせると言ったな。これが試練だ」

「お師匠様、兄上も……」

「分かっている。アニス、お前はノアと共に世界を取り戻す方法を探し続けよ。それと、自分がアニスであることをこの男に告げてはならない。告げた時、男は死を意味する」

「はい……」


 アニスは青ざめた。


「ミモザは、ローズをアレイスターまで無事に届けるのだ。もちろん、アニスの肉体とともに」

「ミモザまで奪うのですね」

「そうではない」


 フェンネルは急に優しく小さな声を出した。


「アニス、わたしは信じているよ」


 瞬間、アニスは強い力に引き寄せられた。メイドの体がぼんやりと見える。メイドは意識を失っているように思えた。


「ジョーンズ……」


 名前を呟くと、珍しくフェンネルが口角を上げた。


「さすがだ。意識があるとは」


 薄く笑った後、アニスの意識は途切れた。

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