第2回/さざなみが呼んでいる 第2話/準決勝4位
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準決勝敗退
《本文》
昨夜、彼女の死体があったはずの場所には何もなかった。ただ打ち寄せる波がざぶんざぶんと音を立てるだけ。
「なんで……?!」
「死体なんて、ないみたいだけど」
「ぜ、絶対ありました! ここに! 写真だって、ほら!」
スマホの画面を押し付けんばかりに見せるけれど、警官は
「…………嬢ちゃん、引っ越してきたばかりだって言ったな。なんでこんなとこ越してきた」
「なんでって……」
「ウシオさんに睨まれんようにな」
「え?」
「見間違いってことにしておくから、もうイタズラはやめるんだぞ。次やったら保護者に連絡するからな」
「ちょ、ちょっと待ってください、イタズラなんかじゃ……!」
警官は振り返ることもなく交番へと歩いていってしまった。
身を乗り出して海の中まで確認したが、死体はおろか何かがあった痕跡すらどこにも見当たらない。
もう一度写真を見る。別の岩場と勘違いしたのだろうか。のぼりの位置から見て間違いないとは思うが、暗がりだったこともあり、似たような岩ばかりのここでは自信が持てない。
付近の岩場も探してはみたものの、やはり何も見つからなかった。
転校二日目でギリギリの時間に登校というのは変に目立ってしまうだろう。言いようのない不安に包まれながらも、高瀬さんを探すのを一旦諦め、他の生徒たちに紛れて歩いていると背後からポンと肩を叩かれた。
「おっはよ」
「あ、おはよう橋本くん」
「ハッシーでいいのに」
にかっと人懐っこい笑顔を向けられて、反射的に笑い返す。この調子だとハッシーと呼ぶまで同じ会話を繰り返すことになりそうだなと思った。
ピピピピピピ……
遅刻しないようにと念のためかけておいたアラームを切り損ねていて、スマホが大きな音を鳴らす。慌てて解除すると、海岸で確認したままだった彼女の写真が液晶に表示された。岩場の形を確認したくて拡大していたお陰で見えたのは大量の魚だけだったが、反射的に電源を落としポケットに突っ込んだ。
「今のなに? 魚?」
「え、あ、うん、魚」
「そんな群れみたいになることあんだね、なにに食い付いてたの?」
「あー、それが、よく分かんなくて」
「そか〜」
じとり、と嫌な汗が背中を伝う。
「は、ハッシーは何部なの?」
「やった、呼んでくれた。俺は帰宅部だよ。友達に頼まれて色んな部手伝ったりはするけど」
「意外。バスケ部とかかと思った」
「真面目に練習とかできないタイプなんだよね〜」
「あぁ、それはなんか分かる」
「えー! 分かんないでほしかった!」
上手く話題を逸らせたらしい。私も部活動には入らないつもりだったが、ほとんど趣味の同好会のようになっている部活なんかを教えてもらいながら歩いた。
教室に入ってすぐ、視線は高瀬さんの席に向かってしまう。当然のように彼女の姿はなく、しかしクラスメイトの誰もそのことを気にしていないようだった。
『おはよう』なんて言いながら、彼女が登校してきたらいいのにと思う。昨夜のことが全て嫌な夢だったなら。
「高瀬さん……」
「あぁ、選ばれたんだってね」
「え?」
無意識に声に出てしまっていたらしいことに驚いたが、それよりも私の呟きに対する橋本くんの返答に首を傾げた。
選ばれた?
何に?
訳が分からないといった顔をしていたのだろう。私の表情に気付いた彼は一瞬しまったとでも言うように顔を歪め、視線をさまよわせた。
「何に選ばれたの?」
「や、ごめん、知らないんだったら俺の口からは……委員長に聞いて!」
教室内に橋本くんの声が響き渡り、また静寂が訪れた。何か予習をしていたらしい委員長が、ノートを閉じて立ち上がる。
「私がどうかしました?」
「あ……その、高瀬さんが何かに選ばれたって、聞いたから……何に選ばれたのかなって」
「あぁ、彼女ならウシオさまのニェギに選ばれたんです」
ウシオさまの、ニェギ?
今朝、警官からも言われたけれど、ウシオさまというのは何者なのだろう。
この辺りの偉い人?
それとも神様?
海からは離れているはずなのに、潮の匂いがする気がした。周囲を見回せば、クラスメイトたちの視線が私に集中している。みんな、笑っている。
どうしてそんなに嬉しそうなのだろう。何も知らないから笑っていられるのだろうか。彼女が既に死んでいて、海で、魚に食べられて、もうどこにもいないことを誰も知らないから。
「はーい、ホームルーム始めるぞ、席に座れ〜」
ガララと大きな音を立てて扉が開く。担任が教壇に向かう中、私たちもそれぞれの席に着いた。もう周囲の視線は担任へ向いているけれど、居心地が悪い。気持ちが悪い。日常に引き戻してくれることを期待した担任は、空っぽの席を見てにこりと笑った。
「みんなもう知ってるよな。あぁ、小林はまだか?」
「今ちょうどその話をしていたところだったんです」
「おー、そうだったか。高瀬はニェギに選ばれたから、今年のミスコンは大荒れだな」
「教師がそんなこと言っていいのかよ!」
「やべ、ここだけの話にしといてくれ」
教室内が笑いに包まれる。私だけが、笑えない。ウシオさまも、ニェギの説明もないままに話は進んでいく。
「それでな、いつもよりだいぶ早いんだが来月の頭に祭りが行われることになった。あと三週間くらいしかないが、みんな準備しておくんだぞ」
わぁ、と教室内の温度が上がった。誰もが目を輝かせ、はしゃいでいる。高校生が祭りと聞いてこんなに盛り上がるものなのか。転校前のクラスメイトたちがここにいたら、視線はスマホに向かったままだっただろう。
父に連れられて引っ越しの挨拶をした時に町内会の話をされたが、やはり小さな町ではそういった繋がりが、催し物が、根付いているのかもしれない。
「引っ越してきて早々にお祭りに参加できるなんて、小林さん、運がよかったですね」
「そうなの?」
会話ができるような心境ではなかったけれど、無視するわけにもいかない。私は必死で表情を作りながら相槌を打った。
「いつもは冬にやるんです。ものすごく寒いのに、参加者は薄い着物を身に付けないといけなくて、みんな震えながら待つんですよ」
「待つ、ってお
「ウシオさまのミコに選ばれるのを」
もう、耐えられなかった。死体を見ただけでも気分が悪く、頭の中がぐちゃぐちゃでどうにかなりそうなのに。その死体はどこかへ消え、それからずっとウシオさまに
「ねぇ、そのウシオさまってなんなの? 偉い人? 神様?」
「小林」
担任のヒヤリとした声が飛んできて、息が止まる。視線を教壇へ向けると、担任は笑顔のまま私を見ていた。
「ウシオさまを言葉でくくったらいけないぞ、な?」
私を見る表情は変わらず笑顔のままなのに、反論を許さない強い声色だった。
「あ……はい、その……すみません」
「うん。分かってくれればいいんだ。小林にも選ばれる可能性はあるんだし、頑張れよ」
いつの間にか教室中の視線が私に向かっていて、そのどれもが笑顔だった。選ばれる可能性があるという担任の言葉に、全員がにこやかに頷いて、私を見る。
分からないことだらけで、理解できないことだらけだった。
結局この日は授業に集中することもできず、脳内では荒れ狂う海を魚が飛び跳ねていた。
潮の匂いはいつの間にか、気にならなくなっていた。
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「ただいま……」
「おかえり。どうだい、学校は」
「学校どころの騒ぎじゃないよ」
私はカバンを自分の部屋に放り出し、手と顔を洗った。冷たい水は意識をハッキリとさせてくれる。少しでも心を落ち着かせるため、冷蔵庫から取り出した牛乳を火にかけた。整理しきれていない引っ越しの段ボールから紅茶を発掘し、ふつふつと煮立ってきた牛乳の中にティーバッグを一袋放り投げる。真っ白な牛乳がじわじわと茶色に染まっていくのをぼんやりと眺めていると、父が隣に立った。
「父さんも飲みたいから、増やして」
「はいはい」
干物やレトルトのパックが乱雑に詰まった段ボール。二箱あったはずが一箱になっていて、台所の片付けが少し進んでいることに気付いた。段ボールを放置していると虫が出るというから、なるべく早く空にして処分してしまいたいけれど、全くやる気になれない。父に丸投げしてしまおうと決めて、量を増やしたミルクティにどばどばと砂糖を入れた。
二つのマグカップを持ってリビングのソファに腰掛ける。強烈に甘いミルクティを飲むと、はぁぁぁと盛大に溜息を吐いた。
「由香がそこまでになるの珍しいな」
昨日からの出来事を、何もかも父に打ち明ける。主観を混ぜずに話したかったのに、どんどん言葉が溢れてきて、止まらなかった。潮の匂いが私を包む。全てを話し終え、震える手でスマホを取り出して写真を見せた。
「うーん、確かに……死体に見えるな。あそこの岩場はよくゴミが流れ着くって話を聞いたし、逆に流されて行ってしまうことはないと思うんだけど」
「魚に食べられちゃったとかも、ない……よね?」
「それは絶対にないだろうね。ほら、拡大するとよく分かる。彼女の下半身は食べられたんじゃない、誰かに切断されたんだ。そしてその部分に魚を縫い付けられた」
「うっ……なんでそんな冷静なの、やめてよ……うぇぇ……」
父の指が彼女の身体を大きく写し出し、じっくり見たくもなかった部分が目に飛び込んできた。魚と魚の隙間から、かなり荒い切断面が見える。美味しく飲んだミルクティが逆流しそうになるのを
「じゃあ高瀬さんは……、誰かに殺されたってこと?」
「もしくは、事故か自殺で亡くなったけど、その遺体に細工をした人間がいるか」
「どっちにしてもキモすぎる……なんでこんな……魚……」
「それがニェギに選ばれる条件ってことはないかな。選ばれるためにこういう状態にしなくちゃいけないか、選ばれたからこうなったのかは分からないけど」
「そもそもニェギってなんなの?」
「分からない」
「ねぇ、お父さんはなにか情報ゲットしてきてないわけ? 私ばっかりこんなことになってる感じ?」
「いや〜、娘の才能にカンパイ」
マグカップを掲げておどける父に溜息が出る。人魚の研究者だということにすれば情報が入りやすくなるかもと、事前に話し合って決めていたはずなのにどうして私だけが頑張っているのか。
「挨拶したら色々と素性を聞かれるかと思ったら、全然そんなことなかったんだよ。田舎ってプライバシーの概念がないものだと思っていたけど、偏見すぎたかな。次からは自己紹介を積極的にしていくようにする」
「頑張ってよね」
安く売りに出されていた一軒家を買って引っ越そうと言い出したのは父だった。私たちは都会での生活に嫌気が差していて、そして何よりこの町には人魚の噂があった。
『裏サイトで時々、人魚の肉が出回ることがある』
『人魚の肉を取り扱う業者がある』
『人魚の肉はT町から出荷されているらしい』
『T町に行った友人が行方不明になった』
胡散臭いオカルトサイトの掲示板で、その手の書き込みを見付けた父は、そのままの勢いで町の不動産屋に電話を掛け、この一軒家に目星を付けたのだった。学校から帰ると間取りや諸費用等の書かれた紙がテーブルの上に置かれていて、その横に真剣な顔をした父が立っていた。そして腰を直角に曲げ、頭を下げて移住を提案してきたのだ。普段はややのんびりとした父が、あんなにも意欲的で、前のめりに行動するのを見たのは初めてだった。その勢いに圧倒されながらも、二つ返事で頷いた。
変な時期に転校してしまうことも、虫の多い田舎に越すことも、コンビニが遠くなることも、何もかも気にならなかった。私たちにはそれ以上に、大切なことがあったから。母を助けるために、どうしても人魚が必要だから。
「ウシオさまって何なんだろうね」
「そうだなぁ、話を聞いた感じ土着の神さ『ピンポーン、ピンポーーン』
父の声がインターホンの音にかき消される。配達か何かだろうか。私が立ち上がろうとすると、ぽんと肩を叩かれたので大人しくミルクティを飲むことにした。もうほとんど冷めていて、マグカップの半分ほど残っていたものを一気に飲み干す。
玄関の方から複数の女性の声が聞こえた。父が、不自然なくらいに大袈裟な笑い声を上げている。少し慌てたような早口で何かを言ったあと、勢いよく扉の閉まる音がした。
「どうかしたの」
リビングに戻ってきた父が、人差し指を口の前に立てる。しゃべるなというジェスチャーに眉根を
『盗聴器が仕掛けられてるかも』
「?!」
声を出してしまいそうになって慌てて口を塞ぐ。きょろきょろと周囲を見回してみるが、不自然なものは見当たらなかった。
『コンセント周りとか、確認』
手分けをして家中のコンセントを見て回ったが、やはり盗聴器らしきものは見付からない。以前住んでいた住人の残した固定電話が一番怪しいのではと思い、分解までしてみたけれど何も出てこなかった。
「勘違い……? いや、それにしては……」
「なんか言われたの?」
「俗世の言葉でウシオさまを語ろうとしませんでしたか、ってさ」
「そ、れ……」
「由香も担任の先生に似たようなことを言われたんだろう? まぁ、そのこと自体はここの人たちが守っている決まり事なんだろうなで済ませてもいいと思うけど、問題はタイミングだ。父さんがかみ『ジリリリリリリリ……ジリリリリリリリ……』
今度は電話が、父の言葉を遮るように、大きな音で鳴り響いた。
潮の匂いが強くなっている気が、した。
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