第2回/さざなみが呼んでいる/1st set3位
1st set 17番
得票:30
《あらすじ》
高校三年の夏、私は父と田舎町に引っ越しをした。
オカルトサイトでまことしやかに囁かれる噂、人魚の肉を求めて。
転校初日、私に人魚のことを教えてくれると言った少女が、死んだ。
下半身に大量の魚をまとい、まるで人魚のように、まるで魚に食い殺されたように、死んでいた。
消えた少女の死体。ウシオさまに選ばれたのだと喜ぶ町の人々。
ウシオさまのことを口にする度、潮の香りに囲まれる。
この町には一体、何があるのだろう。
海に溺れる前に、町に飲み込まれる前に、人魚の肉を手に入れることはできるのだろうか。
《本文》
「人魚のこと、教えてあげる」
そう言って私を夜の海へと
目の前で、波打ち際で、下半身を無数の魚に食われたような状態で。
むせ返るような潮の匂いが、血の匂いをかき消しているようだった。それでも私の胃袋は正常であることを拒絶した。
吐きたくないという意志とは裏腹に、夕食に食べたカレーライスが岩場を汚す。
一体何が起きているのか理解できずとも、直接死体を目にすることから必死で逃げた私はスマホのカメラを立ち上げた。カシャリ。撮るつもりのなかった彼女の写真が保存されてしまうけれど、それを消去するような余裕もない。
手のひらサイズの液晶に収まった彼女は、長く艶のある黒髪を波に
>>>
「はい、みんな静かにー、転校生を紹介するぞ」
中肉中背の人の良さそうな教師が、黒板に私の名前を書き記す。
この教師の書き癖なのか、やけに左右対称に見える自分の名前を読み上げながら、私はぺこりと頭を下げた。
「席は昨日増やした窓際の一番後ろだ。委員長、色々とよろしく頼むぞ」
「はい」
教師の示した座席の前、女生徒が立ち上がって微笑んだ。いかにも委員長然とした、おさげでメガネの少女だった。
「私、
「よろしくお願いします」
「あ、私の敬語、クセみたいなものなので、小林さんはタメ口で全然大丈夫ですよ、よければですけど」
「じゃあ、お言葉に甘えて……よろしく、佐々木さん」
「はい!」
朝のホームルームが終わると、振り返った彼女は時間割を広げて簡単な説明をしてくれた。
授業態度に厳しい教師とそうでない教師をわざわざ教えてくれる辺り、ただ真面目だからという理由で委員長になったのではなさそうだった。
「理科室とか家庭科室とか、移動しなきゃならないときは一緒に行きましょう」
「ありがとう、なるべく早く覚えるようにするね」
「大丈夫ですよ。それにうちの校舎、結構入り組んでいるので覚えるのも大変だと思います」
「俺なんかいまだに迷うし! あ、俺は
斜め前に座る男子がこちらを向き、人当たりのいい笑顔を浮かべる。私もつられるようにくすりと笑った。
「それにしても、変な時期に来たんですね。高三の夏休み間近って、受験とか大丈夫なんですか?」
「あー、うん、大学は行かなくていいかなって……親もそれでいいみたいだし」
「こっち来たのは親の都合かなにか?」
「うん、仕事の関係で」
「なんのお仕事をしているか聞いてもいいですか?」
「えっと……人魚、とか色んな伝説のけんきゅ……う……」
“人魚”と、そう言った瞬間に教室の温度が下がった気がした。
今までザワザワと繰り広げられていた雑談が途切れ、異様なまでの静けさに包まれる。
委員長は私に父のことを聞いた時の微笑みを貼り付けたまま、しかし目だけが笑っていなかった。
「や、あの……やっぱり変だよね! 河童とか、化け狐とか、天狗とか本当にいるわけないのになんか真面目に調べたりしててさ!」
私が誤魔化すように茶化すように必死で言葉を続けると、凍りついた空気が緩んでいく。
「ごめんなさい、いきなりファンタジーな単語が出てきたからビックリしてしまって……。面白いお仕事をされているんですね」
「あは、ははは、そう言ってもらえると助かる、かも」
居心地の悪さを切り裂くように大きなチャイムが鳴り響き、会話は強制的に中断された。”人魚”という単語にここまでの反応があるとは思わずに動揺してしまったけれど、間違いない。この町には、何かがある。それが私の求めるものかは分からないが、まずはクラスに馴染まなくては。とりあえずと貸し出された教科書を開きながら、ぼんやりと教室内を眺めた。
ふと、視線が絡む。
廊下側の後方。こちらを真っ直ぐに見つめる瞳の持ち主は、思わず息を止めてしまうくらいに美しかった。
東京で生活している頃にも出会ったことがないくらいの美少女。高めの位置で一つに結んだ黒髪が揺れている。
グロスを塗っているのかと思うほど赤く瑞々しい唇がゆっくりと弧を描き、細められた視線に射抜かれる。
私も彼女も同じ女だというのに、心臓が跳ねるようだった。
逃げるように黒板を見ると、いつもなら気が滅入るだけの数列が心を落ち着けてくれた。
その後も、右側から感じる視線を振り払うように授業に集中した。
転校生がそんなに気になるのだろうか、それとも私が、何かしてしまったのだろうか。
「佐々木さん、あの、一番廊下側のポニーテールの子って……」
「
「そういうわけじゃ、ないんだけど」
「文化祭では毎年ミスコンがあるんですが、彼女、たぶん三連覇だと思います」
「わぁ」
「でもいい子ですよ。気になるなら後で話しかけてみては?」
「そうだね……そうしてみる」
とはいえ、美少女にこちらからコンタクトを取るというのは非常に緊張するもので。放課後に声を掛けてみようと決めてからずっと、手のひらにじっとり嫌な汗をかき続ける始末だった。
「小林さん、ちょっといいかな」
「えっ」
私の覚悟を知ってか知らずか、彼女に声を掛けられて反射的に立ち上がる。裏返った声を出してしまったことを恥じつつ、スカートのひだを整えた。
「うん、大丈夫」
「委員長に聞いた? わたし、高瀬ゆい」
「聞いたよ、よろしくね。高瀬さん」
「…………ここじゃあなんだから、一緒に来て?」
「ひゃ、わ!」
するりと、白く滑らかな指が私の手に絡んだ。
あぁ、彼女の陶器のような肌を私の汗が汚してしまう。
それでも振り解くことなどできなくて、大人しく手を引かれて見慣れぬ校舎内を二人で歩いた。
扉には南京錠が掛かっていて、小さな曇りガラスの窓には立ち入り禁止の張り紙がしてある。
遠くから部活動に勤しむ生徒たちの掛け声が聞こえるけれど、それ以上に自分の心臓がうるさかった。
一方的に引かれるだけだった手は、未だに繋がれたまま。向かい合って、離れそうになった手を彼女が握り直したから。
私の方が少し背が低くて、真っ直ぐに彼女を見ると目に飛び込むのは唇だった。その唇が、一音一音を私の肌に擦り込むように言葉を発する。
「この町の人魚のこと、教えてあげる」
とろりとした蜜が、喉の奥に流れ込んでいくようで。喉を鳴らして飲み込んで、呼吸を整えなくては息もできない。彼女の指先が、私の手の甲を、指を撫でる。会話をしなくてはならないのに、まるで対等になれない。
「に、んぎょ」
「そう。知りたいんでしょう?」
一つ頷く。父の、私の求める人魚など、本当にいるのだろうか。いるからこそのクラスメイトたちのあの反応だったのだろうか。
目の前で微笑む彼女こそが人魚だと告白されても納得してしまいそうだが、そういうことではないようだった。
「今夜零時に海に来て。海の家から見える、三本ののぼりが立つ岩場。お父さんを連れてきてはだめよ? 小林さんが、一人で来て」
「わかった」
「約束ね」
繋がれていた手が離れ、彼女の小指が私の小指に巻きつく。流れで持ち上げられた手は二人の目の前に掲げられ、きゅっきゅと二回、力が加えられてから解放された。
「破ったらはりせんぼん、それじゃあ、また夜に」
そう言って手を振り、軽やかに階段を降りていく彼女を見送った。大きく息を吸って、吐く。
なんとなく、夜まで彼女には会わない方がいいような気がして、少しの時間をその場で過ごしてから来た道を戻った。
>>>
からかわれている可能性を捨てきれず、父には何も言わずに海へ来た。海の家は大きな看板が立っていてすぐに分かったし、そこから海を眺めると三本ののぼりが目に入る。
誰もいない砂浜を一人、防水加工のスニーカーで歩く。私の付けた足跡は次々に消えていった。
「高瀬さーん?」
岩場について声を上げるも、返事はなかった。人影もない。
足元の確認のために付けたスマホのライトに照らされ、フナムシが逃げていくのが微かに見えた。
やはり騙されたのだろうか。からかわれたのだろうか。少し離れたところから、写真や動画を撮られていたりするのだろうか。
波が寄せては返す中、魚が跳ねるような音を聞いた気がした。まさか彼女が水遊びでもしているのかと足を進めると、岩場の影に肌色が見えた。
「たかせさ…………え?」
濁った瞳と目があって、息ができなくなる。バクバクとうるさい鼓動に後押しされるように近付けば、生臭さが鼻の奥をついた。
「う、おぇ……ッ」
口内に残る気持ちの悪さを吐き出してしまうように何度か咳き込み、見間違いであれとライトを向ける。そこには変わらず、彼女がいた。正確に言うならば、彼女の上半身が、あった。
直視するのに耐えかねた私はスマホのカメラを起動させた。撮るつもりはなかったのだが、普段の癖かシャッターを押してしまって、彼女の姿がカメラフォルダに保存される。
どうして、彼女が。
事故ではない、自殺でもないはずだ。いくら海に落ちたからといって、あんなにも下半身を魚に食い尽くされるなんてことがあるわけがない。
ならば、他殺?
夜の海を一人で歩いていたから?
それとも、私に人魚のことを話そうとしたから?
混乱する頭で思い浮かぶ可能性のほとんどが自分にも当てはまることに気付き、私は逃げた。
行きは気にならなかった街灯の少なさが恐怖を駆り立てる。誰の足音も聞こえないのに、何かが追い掛けてきているような気がした。
ギリギリ残った少しの理性が、警察に知らせなくてはと叫ぶ。海と家との間にある交番へ来たものの、巡回中の札が下げられた扉には鍵がかかっていた。
喉から血が出ているみたいだ。鉄の味がして、じくじくと痛む。必死に酸素を取り込むと、海の匂いに溺れそうになった。もうだいぶ海から離れたと思ったのに、まだこんなにも海に包まれている。
周囲を確認し、誰も追い掛けてきていないと自分を安心させる。高い建物はなく、海までは一直線。水平線を見下ろすと、思っていたよりも急な坂道を駆け上がってきたのだと気付いた。
警官が戻ってくるまで待とうかとも思ったが、微かに聞こえる波の音が今にも足元まで迫ってくるような感覚に襲われ、すぐに諦めた。
どうしてこんなにも恐ろしいのだろう。彼女の死体を見た時から、ぞわぞわと全身の毛が逆立つような恐怖が消えない。
スマホからアップテンポの曲を流し、必死に自分を奮い立たせながら家に帰った。もう夏も近いというのに、熱いシャワーを浴びても一向に寒気は収まらない。タオルケットにくるまって震えるうち、気付けば窓から太陽が差し込んでいた。
まだ父は起きていない。制服に着替えてから、こっそりと家を出る。玄関の全身鏡に映る顔は、我ながらひどいものだった。女子高生ともなればメイクで血色を良く、クマを隠して可愛く、なんてことをするのかもしれない。化粧道具を何一つ持たない私にはできない芸当だった。
太陽が出ているというだけで、こうも心が落ち着くものなのか。昨夜とは全く異なる心持ちで海へと続く道を行く。交番の扉は開いていて、小太りの男性警官が腰掛けていた。
「お、おはよう、ございます」
「ん? おはよう。見ない顔だね」
「引っ越してきたばかりで」
「あぁ、そうなの。で、どうかした? 迷子?」
「いえ、あの……実は……死体を見つけて……」
「は?」
「し、死体を……」
「今?」
「昨日の、夜に」
「なんですぐ通報しなかったの?」
「気が、動転していて……それにあの、ここに来たんですけど、巡回中ってなってて誰もいなくて、こわくて……!」
「ふーん……」
何かにメモを取るわけでもなく、冗談半分に聞き流されているのが分かる。私はスマホを取り出し、いっそ消えてくれていてもよかった死体の写真を警官に見せた。
「これ! これが、海に、岩場に!」
「…………写真を撮る余裕はあったわけね」
ぐ、と言葉に詰まる。腹は立ったが、ようやく警官も重い腰を上げてくれるらしい。面倒臭そうにではあるが、どこで見たのか案内するように言った。
事情聴取というのはすぐに終わるものなのだろうか。早朝に家を出てはみたものの、学校に間に合わなかったら、それよりも事件に関わりがあると疑いを持たれたら?
そんなことを考えながら海へ出る。岩場はどこも似たり寄ったりだが、三本ののぼりが目印だった。
少し窪んだ岩場の陰。あそこですと指差した場所に、彼女はいなかった。
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