第46話 選択ミス
「それにしても、姫って意外とやること多くて忙しいですよね」
「そうだね。行事の度に駆り出されるからね。部活なんて無理でしょ。ハルくん、最初水泳部に入ろうとしてたんだって?」
「ええ……まぁ」
それは今でも苦い記憶になっているので、オレは曖昧な苦笑で濁した。
しかし、放課後のダンスレッスンに始まり、すっかり部活どころじゃなくなっていたな……。もう、このまま帰宅部でいると思う。ていうか、姫が部活動みたいなものだろ。
棗先輩とそんなやりとりを交わしながら衣装室を出ると、室外で待機していた御影さんと巌隆寺さんに出迎えられた。
「陽様、お疲れ様でございました。お話し合いは良い方向へ進んだのでしょうか」
「御影さん。うん、ミドリさんの特別参加、OKだって」
「それは大変ようございました」
ふわりと微笑む御影さん。何だか胸がきゅうとなる。この所のオレは、やっぱり変だ。そこへ、
「あ、あの!」
不意に後ろから声が飛んできた。振り向くと、朝倉が緊張の面持ちでこちらを……というか、御影さんの方を見ていた。
「あのですね、えっと……そのっ」
御影さんと目が合うと、朝倉は例によって目線を逸らして、しどろもどろになり、
「や、やっぱり何でもないです!」
結局は諦めて逃げ去って行ってしまった。体育祭の借り物競争で勇気を出して声を掛けられたのだから、少しは前進したかと思っていたのに、朝倉の引っ込み思案は相変わらずのようだ。
「何、今の。前から思ってたけど、あの子ってハルくんの護衛に気があるよね」
呆れ口調で棗先輩がずばりツッコんだ。……やっぱ、先輩もそう思うんだ。
御影さんを見ると、彼は困ったような笑みを浮かべている。その表情と、小さくなっていく朝倉の背中を見比べて、オレは少しホッとしてしまっている自分に気が付いた。
――ホッとしてる? 何で? 朝倉が、御影さんと話せなかったことを?
己の思考の悍ましさに、ゾッとした。
それから、思い出す。御影さんと朝倉の件で相談した時、棗先輩にそれは嫉妬だと指摘されたことを。
――自分の所有物を他人が勝手に使ったら嫌だよね。
違う。オレはそんなんじゃない。オレは……。
「っ御影さん!」
「はい」
気付いたら、声が出ていた。オレに呼ばれた御影さんは、少し驚いたように目を丸くした。
「朝倉を追ってあげてください。何か……御影さんと話がしたいみたいだから」
「え……」
瞬間、御影さんの表情が凍り付いた。
「ですが……陽様は」
「オレなら大丈夫。棗先輩も一緒だし、巌流寺さんも居ますから。それより、早く。朝倉、行っちゃいますよ」
努めて顔に笑みを貼り付けて告げた。御影さんはオレの真意を探るように、じっと視線を向けてくる。あまり見つめられたらボロが出そうで、内心で早く行ってくれと願った。
「それは、ご命令ですか?」
御影さんが問う。数秒戸惑い、オレは重々しく頷いた。
「……そうです」
すると、御影さんは刹那辛そうに顔を歪めた。柳眉を寄せて、切なげに目を細める。今にも泣き出しそうなその変化に、息を呑んで瞠目した次の瞬間――彼はもう、元の通りの涼し気な表情に戻っていた。
「畏まりました。行って参ります。棗様、巌流寺さん、陽様のことをよろしくお願い致します」
胸に手を当てて恭しく一礼し、パッと身を翻すや、そのまま朝倉の消えた方角へと向かう。さすがの駿足で、あっと言う間に廊下の角を曲がり、御影さんは見えなくなってしまった。
「良かったの? ハルくん。あの様子だと朝倉って子、ハルくんの護衛に告白とかするんじゃない?」
今は誰も居ない廊下の先を眺めたまま佇むオレに、棗先輩が神妙に訊ねた。
「……御影さんは、オレの所有物じゃないから」
オレに彼を束縛するような権限はない。だから、これで良かったんだ。いつまでも、オレ一人だけに囚われていたのでは、彼が不憫だ。……なのに、
――何で、あんな
まるで、捨てられた小犬みたいな。傷付いたような表情。……何で?
先にオレを見放したのは、そっちじゃん。
そこまで考えて、ハッとする。
見放した? オレは、御影さんに見放されたって思ってたのか?
――もしオレが、棗先輩とお付き合いするようなことになったら、どう思いますか?
――陽様がそのように望むのでしたら、私はそのご意思を尊重したいと思います。
御影さんなら、反対してくれると思っていた。
……反対されたかったのか? オレは。何で? 訳が分からない。
「まぁ、ハルくんがいいならいいけど。それじゃあボク達は帰ろっか。あ、ちょっとモール寄ってもいい? 好きなブランドの新作が出てるんだよね」
棗先輩の言に首肯して、共に歩き出す。その間もオレは上の空で、目まぐるしく思考していた。
今頃、彼は朝倉と合流しただろうか。一体、何を話すのだろう。
朝倉は――御影さんに告白するのかな。
そう思ったら、何故だろう。居ても立ってもいられなくなった。
「っごめん、棗先輩。オレ、ちょっと……忘れ物を思い出したので、先に行っててください!」
「え? ちょ、ハルくん!?」
言い放つと、早々に駆け出した。戸惑う先輩の声を背に浴びながら、オレは振り返ることなくその場を後にした。
馬鹿だ、オレ。自分で行かせたくせに。何で後悔してるんだよ。くそっ、どうして、こんなに気になってしょうがないんだよ!
理解不能な苛立ちに駆り立てられ、懸命に足を前後に動かす。オレ、何でこんなに必死になってるんだろう。分からない。分からないことばっかりだ。
階段を下る。広い廊下の先に視線を繰るが、朝倉達の姿は見当たらない。更に下か? 引き返そうとして立ち去り掛けたその時、聞き知った声を聴覚が拾った。
「わざわざ場所を移してくださり、ありがとうございます。廊下でするには、ちょっと恥ずかしくて……」
朝倉だ。声の出所を探ると、僅かに開いた扉の隙間、人気の無い教室の中に二人の姿を見つけた。夕焼けに照らされた朱色の室内。二人は立ったまま向かい合っている。
オレは息を整えながら、見つからないように扉の影にそっと身を潜めた。間隙から中を覗き込み、聞き耳を立てる。
……いや、本当に。何やってるんだろう、オレ。盗み聞きなんて。
後ろめたさが募るが、それでも立ち去ろうという気にはなれなかった。
朝倉は真剣な表情で御影さんを見ている。御影さんの方は、いつも通りの柔和な微笑を湛えていた。緊張に張り詰めた空気。やがて、朝倉が意を決したように告げる。
「あの、御影さん……僕、ずっと貴方にお伝えしたかったことがあるんです。こんな軟弱者の僕なんかがって恐れ多くて、なかなか切り出せなかったのですが……聞いて、頂けますか?」
生唾を呑み込む音が、彼らにも聞こえてしまうのではないかと思った。
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