第44話 不可解な焦燥

「ところで御影さん、その眼鏡って……」


 ミドリさんと別れた後、寮への道を御影さんと二人で歩きながら、オレは改めて気になっていたことを訊いてみた。御影さんは細い銀縁フレーム眼鏡の蔓を人差し指で軽く押し上げながら、得意げに微笑わらった。


「勿論伊達でございます。度は入っておりませんよ」

「そっか」


 めちゃくちゃ似合ってるから、むしろそっちが素で普段はコンタクトなんじゃないかとか思ってしまった。いや、本当……めちゃくちゃ似合ってるな。何か普段よりも大人っぽく見えて、少し落ち着かない。

 服装もいつもと違うからか、いつもはオレの後ろに付いてくる感じだったのに、今日は歩幅を合わせて隣を歩いている。これだと警護というより、


 ――デートみたいだな。


 と、そんなことを考えてしまって、オレは自分に驚いて内心激しく動揺した。


「で、でもっ何で今回は変装したんですか?」

「燕尾服だとどうしても目立ってしまいますからね。普段はそれで威嚇になるから良いのですが、お二人の邪魔はしたくありませんでしたので……私が居ると、姫川様も学校でのことを陽様に相談しにくいでしょうし」


 成程、それで……。納得すると共に、御影さんもそういう遠慮を覚えるようになったんだな、と思ったり。

 最初の頃なんて、オレに他者が近付こうもんなら、誰彼構わず全部追い払う勢いだったもんな。オレが一度怒ってから、過干渉を控えるように努めてたって言ってたし、そういうことなんだろう。

 御影さんの成長っぷりに感動しつつ、ふと胸の奥にちりりとした焦燥が湧いた。


「……?」

「陽様? いかがなさいましたか?」


 無意識に胸を押さえていたらしい。御影さんが心配そうにこちらを覗き込んできたものだから、オレは慌てて取り繕った。


「いや、別に……」


 御影さんがレンズ越しにオレを見つめる、その瞳の真剣さに何だかドキドキしてしまう。次いで、やはり口元に目が行ってしまう。桜色の、形の良い艶やかな唇……人工呼吸だったと分かった後でも、どうにも意識してしまう。

 ていうか、御影さんはどう思ったんだろう。人命救助の一環だから、まるで何とも思っていないのか。オレと唇を重ねた後でも普段と一切変わりがないし……何だかオレばかり搔き乱されていて、ズルい気がする。

 棗先輩とのことも、どう思ってるんだろう。キスも告白も全部御影さんの目の前で行われたことだし……キスに関しては、怒ってくれてたけど。


「御影さん、もしオレが……もしですよ? 棗先輩とお付き合いするようなことになったら、どう思いますか?」


 煩悶の末に、オレは思い切って訊ねてみた。御影さんは目を丸くした後、暫し思案するように黙した。オレは喉元のものを嚥下して、彼の答えを待った。やがて、御影さんは、静かに口を開き、


「陽様がそのように望むのでしたら、私はそのご意思を尊重したいと思います」


 頭を殴られたような衝撃があった。


「棗様は少々癖のあるお方ですが、決して根っからの悪人という訳でもございませんし、陽様に対する想いにも嘘はないものとお見受け致します。もしも本当の恋人関係を結ばれたのならば、陽様のことをきちんと大事にしてくださることでしょう」

「そっ……か」


 ぽつりと返して、オレは曖昧な笑みで目を逸らした。


 ――あれ? 何でオレ、少しがっかりしてるんだろう。


 気付いたら、また胸元を手で押さえていた。

 自分で自分が分からなくて、残りの帰路はずっと心に靄が掛かったようだった。



   ◆◇◆



 夕餉ゆうげの時間帯、食堂に赴くと、そこには既に棗先輩が来ていた。オレを見て、ハッとしたように椅子から立ち上がる。


「ハルくん……!」

「こんばんは、棗先輩」


 笑顔で挨拶したオレをじっと見据え、それから先輩は椅子にもたれかかるようにくずおれた。


「せ、先輩!? 大丈夫ですか!?」


 具合でも悪いのだろうか。心配して問うと、彼は顔を押さえた両手指の隙間から、深く長い息と共に吐露した。


「良かった……嫌われて、避けられたりしたらどうしようかと思ってた」

「先輩……」


 そんなことを不安に思っていたのか。オレの顔を見て安堵したように胸を撫で下ろす彼の様子に、何だか、心の脆い部分を掴まれたような気がした。


 ――この人、本当にオレのことが好きなんだ。


 改めてそう実感させられて、胸がいっぱいになる。


「そりゃ、さすがに照れるというか……ちょっと顔を合わせにくい気持ちはありましたけど、別に嫌いになんかなりませんし、増してや避けたりなんてしませんよ。あっ、でも……お風呂は暫くは別々にしたいかもです。あ! 勿論、嫌だからとかそういうんじゃなくて!」

「分かってる」


 一人で一気に捲し立てると、棗先輩に笑われてしまった。クスクスと小気味よい笑声が広い食堂内に響く。


「恥ずかしいからでしょ。あんなことがあった後だもんね。そうだね……暫くは別にしよう。ボクも、ついうっかりハルくんに手を出しちゃうかもしれないし」

「えっ!?」

「冗談だよ」


 また笑われた。くそう……顔が赤くなっているのが自分でも分かる。


「しっかりボクのことを意識してくれているようで、何より。だから、安心して。もう無茶な距離の詰め方はしないよ。これまで、ボク焦り過ぎてたよね。反省した。ハルくんのことも、振り回しちゃってごめん」

「先輩……」

「予定外だったとはいえ、結果オーライということで、ハルくんに気持ちを伝えられて良かったよ。これから納涼祭までの間、ハルくんに好きになって貰えるよう、ボク頑張るから。改めて、覚悟しててね」


 しおらしく苦笑したと思いきや、最後には不敵な笑みでもって挑発してみせる。こういう所は、実に棗先輩らしい。

 ……そうだな。この人はオレなんかを好きだと言ってくれたんだ。キスの件然り、御影さん他の人のことばかり考えてしまっていた自分が申し訳なくなる。

 これからは、ちゃんと棗先輩のことを考えていこう。――そう心に決めて、胸の奥にわだかまる不可解な焦燥からは目を逸らした。

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