第40話 まさかの、ファーストキス!?

「おはようございます! 姫!」

「うん、おはよ~♪」


 投げ掛けられた挨拶に、棗先輩が笑顔で返した。朝の登校路。道行く生徒達が立ち止まってモーセの如く道を譲る。それというのも、


「見ろよ、朝から姫百合カップルが揃ってご登校だぜ!」

「眼福眼福!」

「尊い……」


 体育祭でオレ達が全校生徒公認カップルとなったせいだ。

 いや、普段から目立ってはいたけど、注目度が違うな。謎に感激して咽び泣きながら拝んでくる奴まで居て、ちょっと怖い。

 棗先輩が見せびらかすようにオレと腕を組んで歩くものだから、余計にだ。


「あ、ハルくん、襟が捲れてるよ」


 不意に先輩が立ち止まって、オレの襟元に手を伸ばした。真正面から触れるその指先に、思わず身を固くしてしまう。


「ひゅー♪ 仲良し!」

「朝から見せつけてくれますねぇ!」


 盛り上がるギャラリーを煽るように、棗先輩は更に顔を近付けて、オレの耳元に囁いた。


「ハルくん、笑顔が硬いよ。しっかりね」


 オレにだけ聞かせる忠告。クスリと笑みを含んだ吐息が耳朶を擽って、にわかに身体が熱を帯びる。

 思い出されるのは、あの日のお風呂での出来事。


「わ、分かってますって」


 慌てて逸らした顔が赤くなっていることが、自分でも分かった。あれ以来どうも、棗先輩を変に意識してしまって困る。

 振り払うように前をよく見ずに歩き出したところ、


「ハルくん! そっちは」


 ぽすっ、と何かに包み込まれる感触で静止した。見上げると、至近距離から御影さんと目が合った。オレはいつの間にか、御影さんの腕の中に居た。


「陽様、そちらは壁でございます。お気を付けくださいませ」

「ふぁっ!? ふぁい!!」


 一気に突き上げる鼓動。脳裏を駆け抜けた記憶の映像と、唇に蘇る熱く柔らかく湿ったものの感触――。


「もー! ハルくんは危なっかしいんだから! こっちおいで!」


 動揺するオレを、棗先輩が御影さんから引き剥がした。

 御影さんはまだ何か言いたげだったけれど、オレは到底その顔を見られない。


 ――あの日、どうやらオレは、この人とキスをしたらしい。


 いや、おそらく状況的に人工呼吸の類だったんだろうけど! その証拠に、御影さんも何事も無かったかのようにケロリとしているし……。

 でも、どうしたって意識してしまう。


 だってオレ、ファーストキスだったんだぞ!?

 いや、あれをカウントしていいのかは分かんないけど!?


 ていうか、あれは本当にあったことなのか? 朦朧としていた時の記憶だし、夢か何かって可能性も無きにしも非ずだよな……。

 かといって、「オレにキスしました?」なんて、当人に聞ける訳も無いし!


「それじゃあ、ハルくん。また休み時間にね♪」


 棗先輩の声掛けで、ハッと我に返った。いつの間にか分かれ道の階段に差し掛かっていた。オレは取り繕うような笑みを浮かべて、先輩に手を振り、見送った。

 相変わらず無言の巌隆寺さんが、どことなく心配そうな表情でオレに会釈をして後に続いていった。


 体育祭の振替休日を挟み、交際宣言をしてから初めての登校日――いよいよ、棗先輩との偽装恋人計画の本番が始まった。

 こんな調子で、果たして大丈夫なのか!?



   ◆◇◆



 オレの不安を余所に、棗先輩はフルスロットルで事を推し進めてきた。


 休み時間に……。

「やっほー! ハルくん♪ また来ちゃった♪」

「凄いな、ユーリ姫。毎度来てるぞ」

「よっぽどハル姫に会いたいんだな」

「次の授業、移動教室なんですけど……」

「あ、そう? じゃあ途中まで一緒に行こっ♪」


 トイレで……。

「ハルくんと二人っきりになりたいから、他の人は出てって!」

「えぇっ!?」

「ま、まだ途中で……」

「とっとと出し切って! 汚いな、ハルくんにそんな粗末なもの見せるなよ!」

「そんな無茶な!?」

「ちょっ、先輩! 何だか、すみません……」


 昼の食堂でも……。

「あ、これ美味しい♪ ハルくんにも一口あげる! はい、あーん♪」

「え? その……」

「もー! ハルくんったら照れ屋さんなんだから! ほら、遠慮しないで!」

「むぐっ」

「美味し? あ、これ間接キスじゃない? なんてね♪」

「ぶっ!? げふ、ごふっ」

「陽様!? 大丈夫ですか!?」

「ー~ッ!?」(キスとか言うから、御影さんの唇見ちゃうじゃん!?)


 ――そんなこんなで放課後が訪れる頃には、オレはもうすっかり疲労困憊していた。


「つ、疲れた……」

「陽様……」


 机にぐったり突っ伏すオレに、御影さんが心配そうな声を掛けてくる。彼が他に何か言うよりも先に、教室の扉から棗先輩が顔を出した。


「ハルくーん! 一緒に帰ろっ♪」


 実にるんるんモードな先輩のお迎えにより、姫寮への帰路に着く。

 やっと一日が終わった……。とはいえ、まだ油断出来ないぞ。休みの間、先輩は寮部屋にも遊びに来ていたから、たぶん今日も来るだろう。

 普通に遊ぶ分には構わないんだけど、恋人らしいリアクションを求められるのがなぁ……先輩、全力で揶揄ってくるし。


「棗様、以前にも申し上げましたが、陽様にあまりご無理をさせないでください」


 満を持したように御影さんが話を切り出したのは、他の生徒達の目が無くなった頃合だった。


「は?」

「やはり私は反対です。偽装恋人など……陽様の為になるのならと目を瞑って参りましたが」

「何それ? 確かにお風呂でのことはハルくんに負担かけて悪かったなと思うけど、別にそれ以降はハルくんを危険な目に遭わせたりはしてないじゃん」

「ですが、陽様は貴方に振り回されて消耗していらっしゃいます」

「何? 下僕のくせに偉そうに」

「棗様の下僕ではありません」


 ヤバい。何か険悪なムードだ。オレがのぼせて倒れた後の夕食の席でも似たようなやり取りがあったけれど、どうにもこの二人は馬が合わないようだ。巌隆寺さんが気の毒なくらいオロオロしているし、ここはオレが止めないと。


「み、御影さん、オレは大丈夫ですから」

「ですが、陽様……」

「……ハルくんもハルくんだよ」

「え?」


 急に矛先が変わった。棗先輩はオレを見ながら御影さんを顎で指し、


「今日もずっと、ボクよりもそいつのことばっか意識してたじゃん。何で恋人役のボクよりも、護衛人にばっかドキドキしてるんだよ!?」

「……っそれ、は」


 図星だ。思わずオレが怯むと、先輩はどこか辛そうに顔を歪めた。


「知ってるよ。そいつとキスしたの、気にしてるんでしょ」

「キッ!」


 やっぱ、してたの!? ていうか、そうか、棗先輩も見てたのか!!


「でも、あんなのキスじゃないからな! あんなの、ただの人工呼吸だし! 本当のキスっていうのは……っ!」


 引き寄せられ、息を呑んだ次の瞬間――棗先輩の唇が、オレの唇に重なった。

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