第32話 破れた衣装

 ――こんな大勢の前で、服が破れるなんて!


 中断されたダンス。無情にも流れ続ける曲。動きを止めた棗先輩。その表情が、次の瞬間、予想に反して笑みの形に崩れた。


「なぁに? お前ら、男の胸なんかに興奮してんの? ……この、ド変態ども」


 背筋を震わせるような、蠱惑的な眼差し。ざわめいていた観客席が、息を呑んで静まり返った。


「見たいんなら、見せてやるよ。精々、指をくわえておってて見てな」


 中指を立て、挑発的に吐き捨てた直後、棗先輩は踊りを再開した。まるで、何事も無かったかのように、完璧なダンス。はだけたトップスを押さえることすらしない。その威風堂々とした様に、ぞくりと背筋が粟立った。


 先輩、カッコイイ……。

 見た目は女の子みたいなのに、なんて男らしいんだろう。オレだったらパニックになって、とてもじゃないけど踊り続けるなんて出来ない。……おっと、そうだ。踊らなきゃ!

 折角、棗先輩がトラブルも何のその立て直したのだから、オレがぶち壊してはいけない。慌てて先輩に合わせて身体を動かした。

 曲は進んじゃったけど、大丈夫だ、何とかなる。


 落ち着きを取り戻したところで、改めて周囲に意識が向き、ふと気になった。

 向けられたカメラのレンズ。その山なりの数。確か、学校関係者と親類縁者以外の撮影は禁止だったはず。今は明らかにそれよりも多いように見える。

 こちらを……主に棗先輩を見る、人々の目付き。その厭らしさに、怖気が立った。

 思い出す、水泳部での恐怖。浮かんだのは、自問。


 ――いいのか? 本当にこれで?


 棗先輩は踊り続けている。当人が気にしていなくても、周りはそうはいかない。現に先輩を見る、あの粘着質な視線……。


 ――ダメだ!


 咄嗟に、自分の左肩のリボンを掴んだ。それを力任せに引いて、解く。はらり、棗先輩と同じように、胸元をはだけさせた。

 蒸れた素肌が突然外気に触れて、気化した汗が飛散する。強ばった突起に、皆の視線が集まるのを感じた途端――オレは、腕でそれを覆った。

 固唾を飲む周囲に、白々しく宣言する。


「すみません! 紐が解けたんですけど、オレは恥ずかいしんで! ちょっと仕切り直させてください!」

「ちょっ……ハルくん!?」


 ギョッとした様子の棗先輩の腕を掴んで、有無を言わさず校庭から連行する。唖然と見送る観客達を置き去りに、オレは校舎の方へと早足でけた。


「ちょっと、ハルくん! 何考えてるの? 折角ボクが――」

「すみません、棗先輩。でも、嫌だったんです。あんな視線の中に、先輩を晒しておくのは」

「なっ」

「先輩は強いから平気かもしれません。だけど、後から傷付くことだって、あるかもしれない」


 遅効性の毒みたいに、残された画像や映像、それに付随する人々の目に、じわじわと心を蝕まれていく可能性だってある。


「オレは、先輩が傷付くのは見たくないです」

「ハルくん……」


 そこで、蝶野先輩が駆けつけてきた。蒼褪めた表情で、こちらの名を呼ぶ。


「ハルちゃん、ユーリちゃん! 二人共、大丈夫? ああ、何でこんなことに……ちょっと見せて頂戴」


 大慌てで棗先輩の千切れた肩紐を確認して、蝶野先輩は眉を顰めた。


「これは……有り得ないわ。こんな風に切れる訳がない……まさか」

「何でもいいから、早いとこ何とかしてよ。客を待たせてる訳だし」


 何かを悟った様子の蝶野先輩だったが、棗先輩の催促で意識を切り替えた。


「そう……そうね。今は、そっちが先ね」


 そう言って、どこからか携帯用の裁縫セットを取り出す。いつも持ち歩いているのだろうか。応急処置的な修繕が始まったところで、オレは別のことが気になり、訊ねてみた。


「御影さんと巌隆寺さんは?」


 こんな時、真っ先に護衛人の二人が駆け付けて来そうなものなのに、まだ姿を見ていない。蝶野先輩は縫い針を持つ手を止めずに答えてくれた。


「ボディガードちゃん達は、観客を押さえてくれているわ。こっちに押し寄せてこないように……それから、無許可で撮影していた人達もちゃんと取り締まっているから、安心して頂戴ね」

「そっか」


 それを聞いて、ホッとした。少なくとも、先輩の画像や映像が今後変なことに使われる可能性はないということだ。

 何はともあれ衣装の手直しを受けると、オレ達は再び校庭という名の舞台に立った。短いながらも一ヶ月間必死に練習してきたのに、あんな不測の事態で不完全燃焼のまま終わりだなんて、納得がいかない。


「皆、お待たせ~っ! いい子に待てが出来たかな? ちょっとしたアクシデントがあったけど、ボク達のダンスがもう一回最初から見られて嬉しいでしょ? さっきのを上回る衝撃を残してやるから、ちゃんと最後まで見てろよ!」


 棗先輩はさすが肝が据わっていて、先程のトラブルなど忘れさせるような圧巻のパフォーマンスを観客達に見せつけた。オレも先輩に引きずられるようにして、普段以上の実力が出せたように思う。そんなこんなで、二度目のショーは恙無く、最高の出来で送ることが出来た。

 あの時、蝶野先輩が何に気が付いたのか――それを知る機会が訪れたのは、オレ達が達成感に包まれ、満場の拍手を背に舞台裏校舎に引っ込んだ後のことだった。


「お疲れ様、ユーリちゃん、ハルちゃん、とっても良かったわよ!」


 まずは蝶野先輩がオレ達を笑顔で出迎えてくれた。それから、ふと表情を翳らせて、視線を奥の廊下の方へと向ける。そこには御影さんと巌隆寺さんと、二人に挟まれる形で今一人、意外な人物の姿があった。

 おかっぱ頭が特徴的な、中性的な容貌の他校生。


「……ミドリさん?」


 オレの前任の姫は、憮然とした表情でこちらを見ようともしない。予感に胸が騒いだ。


「少し、お話をしてもいいかしら?」


 沈んだ重たい口調で、蝶野先輩が切り出した。

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