第8話 幼い約束

「陽。お前は長男なんだから、父さんが居ない間、お前が母さんと妹を守るんだぞ」


 両肩に添えられた父さんの手は、熱かった。真正面から見つめてくるその目も真剣で、だからオレも真剣に答えなければと思ったんだ。


「うん、分かったよ。皆のことはオレが守る。安心して、父さん」


 力強く請け負う。父さんは、そんなオレに頷き返した。


「よし、男と男の約束だ」


 そこで、目を覚ました。

 気が付けばオレは、白と茶の天蓋を見上げていた。見慣れないそれに一瞬首を傾げるが、すぐに昨日のことを思い出す。……そうだ、オレ姫寮に引っ越したんだった。

 まるで映画のセットのような豪華な寝室を、カーテンの隙間から差し込む陽光が暖かく照らし出している。オレはゆっくりと身を起こし、寝ぼけ眼を軽く擦った。


 懐かしい夢を見た。あれはただの夢じゃない。過去、現実にあったこと。――父さんが海外に単身赴任した時の記憶だ。


 ウチはいわゆる中流家庭で、父さんは会社員。母さんはパートタイム主婦。特別裕福という訳でもなかったけれど、貧しい訳でもなく、これまで何不自由なく暮らしてきた。

 父さんの単身赴任が決まったのは、オレが小学三年生の時だったか。海外の工場への転勤で、給料は上がるが長期に渡る為、父さんは散々悩んだそうだ。

 まだ幼いオレ達を置いていくには忍びない。かといって、一緒に連れていくのも急激な環境の変化に晒すことになる。取り分け、母さんの仕事の問題もあり、最終的に父さんは一人で海外へ行く決意をした。

 その時に交わしたのが、あの約束だった。


 ――「オレが、皆を守る」


 本当は寂しかったし、不安だったけれど、そんな素振りを見せたら父さんが安心して行けなくなってしまうから、オレは精一杯強がってみせたのだ。

 だって、オレは長男だから。父さんが居なくなったら、ウチではオレが唯一の男だから。だから、オレがしっかりしなきゃ。オレが、家族を守るんだ、って。


「でも、何で今あの時の夢を見たんだろう」


 ぽつりと、独り言つ。

 新たな環境に置かれたことへの不安の表れだろうか。でもそれなら、姫寮ここと言わずとも寮生活を始めた時にだって同じように感じていたはずだ。

 ……やっぱり、姫という特殊な立場に対する重圧のせいか。

 そっと息を吐いた。昨日のこと、これからのことを考えると、どうにも胸が塞いだ。



   ◆◇◆



「あ」


 食堂へ向かう道すがら、廊下で棗先輩と遭遇した。一瞬、怯みかけて、オレは慌てて挨拶する。


「お、おはようございます!」

「まだ居たんだ。てっきり昨夜の内に尻尾巻いて逃げるかと思ってたのに」


 棗先輩はにこやかに毒を吐いた。うっ……朝から抉られる。


「聞き捨てなりませんね、棗様。何故、陽様にそのような意地悪を仰るのですか」


 御影さんが横から口を挟み、オレはギョッとした。


「ちょっ、御影さん!」

「は? 何お前、下僕の分際でこの僕に意見するつもり?」

「私の主は陽様ですので、棗様の下僕ではございません」

「はぁ? そんなこと言ってないんだけど! 一々ムカつく奴だな。何なの?」


 あああもう、ユーリ姫様、すっかりご立腹だって!


「も、もういいから、御影さん! すみません、棗先輩!」

「ですが、陽様……」

「いいから! ステイ!」


 思わず強く制止すると、御影さんは叱られた犬のようにしょんぼりと肩を落とした。ユーリ姫こと棗先輩は、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「全く、自分の下僕くらい、しっかりしつけておいてよね!」


 オレは曖昧な笑みと謝罪を返すので精一杯だった。

 不機嫌を露にどすどす前を歩く棗先輩の後ろから、巌のような巨体の執事服の男性が申し訳なさげにこちらに会釈をした。棗先輩の護衛人の巌隆寺さんだ。あまり喋らない人らしく、今の所あの人が口を開くのを見たことがない。


「申し訳ございません、陽様……」


 萎れた御影さんが頭を下げるのを、オレは苦笑で受け取った。

 そのまま朝食の流れとなったが、棗先輩は怒って口も利かないし、食卓は終始重苦しい空気に包まれていた。折角の一流シェフの料理も、楽しむ余裕が全く無い。

 昨日の夕飯時も、そうだった。オレが棗先輩に話し掛けても、素っ気ないか冷たい反応しか返ってこなくて、流石に凹んだ。


 何故だかは分からないけれど、どうもオレは棗先輩に嫌われているらしい。


 その状態でお風呂でばったり出会でくわすのも気まずかったので、昨日は大浴場には行かず、部屋に備え付けのシャワーで済ませた。今日は……どうしよう。

 一緒に生活しているのに、こんな逃げるみたいに避けたりするのは、心が軋む。


 オレは……仲良くしたいのにな。


 己を叱咤する為、軽く頬をはたいた。とにかく、今日から本格的に授業がスタートする。気持ちを切り替えて、しっかり臨まなくては。



   ◆◇◆



「ハル姫!」

「ハル姫、おはようございます!」


 教室に入ると、クラスメイト達から盛大な歓待を受けた。ここに到るまでも、散々注目と挨拶の嵐に晒されて、オレはすっかり辟易しながら応えた。


「おはよう……えっと、同級生なんだから、そんな畏まらなくていいよ。普通にタメ口でいいし」

「いいえ! 姫君は姫君ですから!」

「我々下賎の者がタメ口で話すなど、畏れ多い!」


 まるで統率の取れた軍隊みたいに、彼らは口々にそう言う。オレのような外部受験組と違って、内部進学組は中等部の頃から姫制度に慣らされてきたから、そういうものとして染み付いてしまっているのだろう。

 オレとしては、敬って欲しいなんて頼んでないし、むしろ普通に接して欲しいのに……どうしたものか。


 またぞろ弱気になりそうな思考を振り払う為、かぶりを振った。

 本日のオレの目標は、〝気軽に話せる友達作り〟だ! 周りからの特別扱いだって、こちらから根気よくフレンドリーに接していけば、きっと変わってくるはず!


 よし、負けないぞ!


 密かに気合いを入れ直す。早速チャンスが巡ってきたのは、一時間目の国語の授業の直前だった。

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