あなたがだいすき

ハユキマコト

あなたがだいすき

 恋の話をしよう。そう思うと途端、年頃の子供みたいに喉の奥が詰まって苦しくなる。


「書けない……」

 そのぐいぐい詰まったものが変換されて洩れ出た、声色が切実すぎて自分でもびっくりした、今なら私もガッキーとかになれるかもしれない、ガッキーの顔ぜんぜん思い出せないけど。

 然してその名演は、私以外の誰の耳に届くこともなく、部屋の壁か、真っ白なモニター画面か、散らばったレポートパッドの用紙あたりに吸収されて消えていく。そういえば腰からはみ出た贅肉をラブ・ハンドルなんて呼ぶらしいが、私もキーボードの左右のせりでた部分を握りしめたら愛おしい!って思うんだろうか。握りしめてみたけど、残念ながらキーボードだなあ、という感想と、いや思ったよりガシャガシャなってうるさいな買い替え時か?という感覚しか出てこなかった。嫌だなあ買い替えるの。この子気に入ってるけど、もう同じ機種は販売停止になってるし、なんだったらESCキーをいじってメロンソーダ色にしてるし、オリジナルの、私だけのこの子なんだ。

 恋ってなんなんだ。愛ってどうなんだ。誰かが誰かを好きになるってどう言葉に表せばいいんだ。私が私のスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスオリジナルキーボードを抱きしめて一緒に寝られるほど大事に思ってるのを、世界の誰かは恋と呼んでくれるだろうか。ばかげているか。つまらないか。あるいはそんな有機物と無機物による悲喜劇的な『コイノハナシ』はいっそ令和の世にはありふれ、もはや量産型であるか。

 まあでも約束してしまったからには書かにゃならん、恋の話をよ、こいつはコトだぜ、私といえば未だ恋愛事にはとことん無縁で、嘘、相手が応えてくれたことがほぼほぼない。例えば私がこのキーボードちゃんと恋をするとして、キーボードちゃんも応えてはくれないし。キーボードは誰かがその指で触れて、キーを打ち込んであげなきゃなにも喋れない。キーボードは己の意志に反した言葉であっても逆らえない、私がAと入力すればAと応えるし、愛も罵倒も思いのままではあるが、自分で自分に愛してる、なんて入力するのは空しすぎる。きっとそれは恋の話にならない、寓話的なショートショートか、少女漫画雑誌の夏増刊号に掲載されているちょっとコワい話の一端を担う程度だろう。


 ああ、別に恋愛がなにもかもにおいてニュートラルかつスタンダードだと思ってるわけじゃない、ただ恋の話を書かなきゃいけないから悩んでいるだけであって、そういうんじゃないんだ。わかるよね? 世の中には恋をしない人、というのがもちろん居る。それはそういう風に出来ている人で、ただ、私はそういうわけじゃない。恋はするのだ、しかしながらいつも一方通行で、適ったこともないし、だからこそ叶わせようと思ったこともない。一方通行の感情が『片思い』だなんて美談になるのは、二次元と脚本の中に限られる。それを私ごときが『恋の話』と呼んで形にするのはあまりに傲慢に思う、だからできるだけ幸せで、両想いのやつがいい。王子様がお姫様を迎えに来ちゃうぐらいのやつがいい。ご時世的にはお姫様が王子様を迎えに来るのがスタンダードだろうか。ふわふわひらひらのスカートを履いたかわいらしい少女が色白で整った顔の背の高い男にキスされ百本の情熱の薔薇を捧げられるようなものにあこがれるのは時代遅れだろうか、っていうか色白がカッコいいっていうのがもう、価値観的にアレなんだろうか、わかんなくなってきた。


 その時、スマホとPCがポコン、と同時に特徴的な着信音を響き渡らせた。

 画面に浮かぶ通知には、いずれも「急募:作業通話」と端的に表示されている。

 それを確認した私は、笑顔を浮かべ、おっけー、と返事する。

 コーヒーを淹れ直して、ついでに台所からクッキーを持ってきて、マイクのスイッチをONにして、冷えてかつピタッとなるやつを額に装備する。


 私にはいつだって喋っていたい人が居て、お互いが眠くなるまで尽きない話題を用意していたくて、さっさと終わらせたい人生を今もまだ続けられていて、できれば嫌われたくなくて、私はあなたがだいすきだ。


 でもこれも、結局恋の話にはならない、そこは大人の事情と歪さと、『コイノハナシ』の大多数の認識に寄って。


 だけどキーボードだけは私に逆らわない、だからコーヒーごと愛情を飲み込んで、なんの作業してんの、と打ち込み、私の抱えたすべての代わりみたいにエンターキーを押した。

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