第29話   永遠の別れ

 白獅子騎士団の人間たちは皆、異様な殺気に満ち溢れていた。


 敬愛するキースがぐったりと地面に仰向けに倒れている様子を見て、騎士団たちは怒り狂ったのである。


 騎士団たちは上半身に白銀の鎧を装着し、腰の長剣を抜き放っていた。


 総勢20人の精鋭たちは、泉の前で佇んでいる進之介とエリファスを完全に包囲する形を取っていた。蟻の抜き出る隙間はおろか、進之介とエリファスはその場から一歩も動けなかった。


(数が多すぎる)


 進之介は極度の疲労により言うことを聞いてくれない身体に喝を入れながら、真紅に染まった〈神威〉を騎士団たちに突きつけた。


 だがどう考えても、今の状況を抜け出す機会がまるでなかった。


 進之介は騎士団を睥睨しながら周囲の様子を窺った。


 城壁に四方を囲われた閉鎖空間であるこの広場の出入り口は、騎士団たちが押し寄せてきた奥の出入り口しかない。


 進之介はちらりと後方に目を向けた。


 進之介とエリファスの後方には水面が揺らいでいる泉しかなく、出入り口の類は確認できなかった。


 万事休す。


 進之介がそう思ったとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。


 それは騎士団たちにもはっきりとわかったらしく、何人かは互いの顔を見合わせながら戸惑っている。


「これは、まさか」


 進之介の視界には、石柱に囲われた中に存在していた泉の色が徐々に鮮血のような赤に変色していく奇怪な様子が広がっていた。


 進之介が時坂神社でクラウディオスの後を追って飛び込んだ、赤に変色した古池と瓜二つの光景がそこにはあった。


「ねえ、シン。これって前に話してくれたやつ?」


 エリファスの目にも進之介と同じ光景が広がっている。


「同じでござる。まさにあのときと」


 進之介とエリファスは、なぜ先ほどまでは普通だった泉の色が変色したのか疑問であったが、視線を下に落としたことでその理由がわかった。


 クラウディオスである。


 クラウディオスの傷口から溢れ出た血が、泉の中に流れ出ていたのである。


 だが進之介とエリファスは、泉ばかりを見ているわけにはいかなかった。


 こうしている間にも騎士団たちは落ち着きを取り戻し、じりじりと2人に歩み寄ってきている。


 進之介は騎士団と泉の両方を交互に見ると、自分の背中にしがみついているエリファスにぼそりと呟いた。


「エリファス殿、ここは拙者が何とか活路を開きますゆえ、全力で走ってくだされ」


 進之介は命を賭けて殿を務めるつもりであった。


 どのみち、このままでは2人とも捕まり一貫の終わりである。


 それならば一人が敵を食い止めている間に、もう一人を逃がす手段を取ったほうが賢明であった。


 だが死を覚悟した進之介の背中にしがみついているエリファスは、一向に手を離す気配がなかった。


 それどころか、衣類を握るエリファスの力は徐々に増していく。


 進之介は困惑した。


 背中の衣類を力一杯握られては、エリファスを逃がすために闘うこともできない。


 進之介はエリファスの握る手を振り解こうとした。


 同時に、エリファスが進之介に声をかける。


「ねえ、シン。梓さんとはどうなったの?」


「何を」


 エリファスの唐突な問いに進之介は困惑した。


 今は一瞬でも隙を見せれば騎士団たちが怒涛のように押し寄せてくる状況である。


 話をしている余裕などなかった。


 それでもエリファスは、進之介の衣類を握り締めながら話し始めた。


「私の父さんね、もういなかったんだ。とっくにね、死んじゃったって」


 エリファスの声は擦れ、おそらく目元には涙が浮かんでいた。


 そんなエリファスの告白を耳にし、進之介は何も言えなかった。


 だが、エリファスの気持ちは痛いほど進之介の胸に突き刺さった。


 自分と同じくエリファスも目的を失ってしまった。


 たしかにそのことには共感できる。


 しかし今はまずい。


 下手をすればこの場で2人とも犬死になりかねない。


 それだけは何としても避けなければならない。


 進之介は正面に扇状の隊形を作っている騎士団たちの穴を見つけようとした。


 どこか付け入る隙間があれば突破口が開けるかもしれない。


「シン、もういいよ」


 エリファスは自分の顔を進之介の背中に埋めた。


 身体を震わせていることから、エリファスが泣いていることは進之介にはすぐにわかった。


「エリファス殿、お気持ちはよくわかる。ただ、今はそのように悲観している場合ではござらん。今から拙者が斬り込みますゆえ、それに続いて……」


 不意に進之介の平衡感覚が一気に崩れた。


 エリファスに打開策を提案していた進之介の身体は後方に引っ張られ、変色した泉の中へと落ちてしまった。


 盛大に水飛沫が上がった。


 泉に落ちた進之介は何が起こったのか理解できなかったが、水面から顔を出したことで進之介はようやく何が起こったのか理解できた。


 エリファスである。


 顔だけを水面にだした進之介の視線の先には、1人佇むエリファスの姿が確認できた。


 エリファスは摑んでいた進之介の背中を引っ張り、2人の後ろに存在していた泉の中に叩き込んだのである。


「エ、エリファス殿、な、何を!」


 進之介は泉から這い出ようと腕や足を動かしたが、まるで泉自体に意志があるかのように絡まってきて身動きが取れない。


 あのときとまったく同じ状況であった。


 この世界に来るキッカケとなった赤く光った古池に飛び込んだときと。


 必死に身体に絡み付いてくる泉と格闘している進之介に、エリファスは笑顔を見せた。


「シン、もともとあなたは別の世界の人間なんだから、こっちの世界で死ぬような馬鹿なことしちゃだめだよ」


 エリファスは赤く変色した泉を見た瞬間、ゼノポリスの歩道で進之介が話してくれた会話の内容を思い出していた。


 進之介が赤く染まった水に飛び込み、別の世界へと誘われたことを。


 故にエリファスは進之介を泉に落とした。


 確信があったわけではなかったが、助かる見込みがわずかでもあるのならばやる価値はある。


 エリファスは泉に徐々に沈んでいく進之介を見て、安堵の吐息を漏らした。


 価値はあった。


 エリファスはそう思った。


 逆に進之介は必死の形相で手足を動かしていたが、やはりどうにもならない。


 身体に重りを括りつけられたみたいに徐々に身体が沈んでいく。


 それでも進之介は泉の力に抗った。


 ここで自分がいなくなれば残されたエリファスはどうなる。


 進之介は自分自身だけ助かるつもりは毛頭なかった。


 しかし進之介の身体は言うことを聞いてくれない。


 先刻までは水面に顔を出せていた進之介も、今ではもう口の辺りまで沈んで喋れなくなっていた。


 その中で、進之介の目にはエリファスの向こうで騎士団たちがエリファスを捕獲する体勢になっている姿が見て取れた。


 その間にも進之介の身体は両目を覆い隠すくらいまで沈み始めていた。


 それに比例して進之介の意識も白濁になっていく。


 虚ろになる進之介の視界には、エリファスが何かを喋っている様子が映っていた。


 だがエリファスの最後の言葉すら聞き取れぬまま、進之介の身体は泉の中に完全に沈んでいく。


(エリファス殿……)


 進之介は意識が完全に途切れる瞬間、読唇術によりエリファスの口元の動きを読んでいた。


 たった一言の短い言葉であったが、進之介にはなぜエリファスがそのような言葉を自分に言ったのかがわからなかった。


 そして完全に意識が途切れた進之介は、頭の中でエリファスに「なぜ?」と問い続けながら、川の流れに身を任せる木の葉のように流れていった。

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