手の中の純情
蒼開襟
第1話
真っ白い部屋。右側にはマジックミラーが貼られている。
目の前の大男は先ほどから私の顔を覗きこんでは睨みつけ、筋張った拳で何度も何度も机を叩いている。
繰り返される言葉の意味を私は理解している。
それでも私は首を縦に振ることはない。
エージェントと呼ばれる男が私の前に現れたのは数年前。
エージェントはいわゆるアンドロイドで脳は人のものを持つ。容姿が美しいタイプで
後続の
新しい部署、丁度コーヒーを片手にサエキがデスクに戻った時だ。彼、エージェントは部署内で挨拶を済ませて最後にサエキの元へ来たところだった。
『こんにちは。初めましてエージェントです。』
エージェントは新人らしく腰を直角に折り日本式と呼ばれるお辞儀をしてみせる。サエキは少し椅子を引き、立ち上がった。多分顔を引きつらせていたに違いない。
『どうも。サエキです。』
『サエキさん、よろしくお願いします。』
『ええ、どうも。』
アンドロイドというのは普通に人にまぎれて生活している。人と同じ権利を持ち、殆ど人と同じ。違うのは年を取らない、間違わないくらいだろうか。
エージェントは
職場の女性たちは簡単に虜になった。仕事が出来るアンドロイド、それだけでも素晴らしいものなのだろう。
ヘッドセットマイクを取り外しデスクに置くとサエキは溜息を付く。仕事とは言え、泣き叫ぶ人たちの声を長く聞くのは耐えられない。罵声も飛んでくる。
クレームコールセンターではないのに何故これほどまでに皆狂っているのか。
一本煙草を取り出して火をつけると上から声がした。
『サエキさん、煙草はあまりよくありませんよ?』
ちらりと視線を上げるとエージェントだ。
『うん、分かってる。でもやってられないこともあるから。』
『フフ、じゃあ食事にでも行きませんか?』
『は?』
サエキが驚くとエージェントは頭を掻きながら笑った。
『ええと・・・駄目ですかね?
『・・・そんなことはないけど。食べるの?』
『ええ、ちゃんと消化もしますよ。』
『そっか。』
『どうですかね?』
エージェントが両手を後ろに回してサエキを覗き込む。
サエキはそれを見て破顔した。
『いいよ。行こう。』
エージェントがサエキを連れて行ったのは所謂飲み屋で、人間の大将とアンドロイドが働いている。客も入り乱れ面白い様相だ。
『ここは美味しいんですよ。サエキさんも気に入るといいですが。』
エージェントが狭い店の中を先に歩き、ハイヒールのサエキに道を作る。
奥の座敷に入るとエージェントはふうっと胡坐をかいた。
『慣れているね?』
サエキはハイヒールをそろえると座敷に上がり、足を崩して座る。
『ええ、このお店はよく来ます。けど・・・誰かと来たのは初めてです。』
『へえ・・・それは光栄だな。』
『フフ、実はずっとサエキさんを誘いたくて。でもいつもすぐに帰ってしまわれるから。』
『そうだった?それは悪かったね。』
『いいえ。だから今日はとても嬉しいです。』
エージェントがそう言うとサエキの言葉を待たずに店員が注文を取りに来た。
てきぱきとメニューも見ずに注文するエージェントにサエキは笑う。
『本当に常連なんだね。』
『あはは、恥ずかしいな。僕の独断で決めてよかったですか?』
『いいよ、かまわない。君のほうが詳しいだろうし。』
『良かった。』
注文の品が並び二人して黙々と食べ始める。アンドロイドと二人で食事という経験がなかったサエキは時々顔を上げてはエージェントを見つめた。
『・・・食べるアンドロイドは・・・見たことなかったですか?』
焼き鳥の串を持ったエージェントは恥ずかしそうに笑う。
『ああ、ごめん。悪かった・・・ほら、君みたいな子は殆ど見ないから。本当にね。普段はロボットです、みたいな子だったり、動物はエイリアンタイプが多いじゃない?だから・・・新鮮で、ごめんね。』
サエキは長い前髪を片手でかきあげると苦笑した。
『いいえ、大丈夫です。ある意味慣れていて・・・僕は
『ああ、シンフォニックか。』
シンフォニックは少し前の時代のモデルで、宇宙一と呼ばれる美貌を持つ
『ご存知ですか?シンフォニックは身長が2mあったという話。』
『フフ、らしいな。だからこそシンフォニックは裸の写真が多かったと聞いたな。でも美しいよ・・・私も小さい頃はシンフォニックに憧れたものだ。』
サエキがビールを片手に笑うとエージェントは少し嬉しそうに笑った。
『うん?どうした?』
『・・・いえ。シンフォニックが褒められると・・・自分の事ではないのに僕は嬉しくなるんです。不思議ですね。』
『そうか。』
『はい。』
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