一匹の白い猫に招かれて

北條院 雫玖

第1話 四年に一度の奇跡

 こんな噂がある。

 二月二十九日に生まれた人は、四年に一度しかない誕生日に一匹の白い猫に招かれると、過去に見たことがある自分の夢の中に行けると。

 いつ、どこで、誰が、何のために広めた噂なのか分からない与太話。どうせ嘘に決まっている。そんな事は、現実では到底ありえない。現実逃避もいいところだ。と言った否定的な情報で溢れていたから、殆どの人が信じていなかった。

 だけど、四年に一度だけと言うワードが印象に残るあまり、神秘的な話が好きな人たちからすれば、その話だけで一晩中でも語り合うことができるだろう。

 それに、少なからず試してみた人がいるのは確かだ。けれど、実際にその体験をしたという人はいなかった。が、神隠しにあった人はいた。詳細な人数は分からない。

 けれど、その人らに共通して言えるのは、十歳から十八歳までの少年と少女とある程度までは情報が開示されている。だが、世間にはあまり知られてはいない。

 ごくまれに、「昔、神隠しにあってな」と話す人がいる。

 その人が言うには、「神隠しにあった。夢を見ているようだった。だけど記憶がない」と言う。

 キツネにつままれた話だ。

 何せその人たちは、大分歳を重ねているのだから。

 だけど、昔話として孫の代まで伝えていた。


 そんな経験を過去にした祖母がいる家庭に生まれた一人の少女がいる。

 六花りっか市立、六花中学校に通う中学三年生、水原みずはら早紀さき。彼女の誕生日も、噂話と同じ二月二十九日。

 水原は幼い頃、お正月に家族で祖母の所に遊びへ行くと、決まって神隠しの話をして欲しいとお願いするほど、祖母の昔話が大好きだった。

 何せ、自分がその話の条件を満たしているのだから。

 彼女にとって、特別な日。

 だけど、一度も経験することは出来なかった。

 やがて水原自身、成長していくにつれて、いつしか祖母の話をただの昔話と捉えるようになっていく。

 水原が中学生になって、お正月に家族で祖母の家に行っても、彼女は神隠しの話をしてほしいと、祖母には言わなくなった。

 その度に祖母からは、「ちっちゃい頃は、あんなにおばあちゃんの話が好きだったのにね」等と言われる。けど、「だって私、もう中学生だよ? でも、実際にそんなことがあったら面白そうだけどね」等と言って返答していた。

 

 その翌年。

 水原みずはら早紀さきは、四年に一度の誕生日を迎えた。

 二月二十九日の今日。彼女は、晴れて十五歳になった。

 同級生の友達からは、「誕生日おめでとう」と祝ってくれた。プレゼントをくれた友達もいた。彼女のクラス、三年三組の担任、相良太一さがらたいち先生からもお祝いの言葉をもらった。友達からの小さな誕生日祝いは、最終下校時刻まで続いた。

 時刻は、午後四時三十分。

 水原は同級生にお礼を言って、駐輪場へ走った。

 通学カバンから自転車の鍵を取り出すと、鍵穴にさしてロックを解除した。サドルにまたがって、通学カバンを前かごに入れるとペダルを漕ぎだした。

 校門を抜けると、ペダルを踏む足に力が入る。

 今日は特別な日。

 だから、いつもとは違う道で帰ることにした。普段は平坦で楽な道を通っているが、近道をすることに決めた水原は、進路を変更して急な上り坂がある少々古い道を進む。上り坂に差し掛かると、座りながらペダルを漕いでいては前には進めないので、立ち漕ぎをする。額に汗がにじみ出てきて、息を切らす。

 それでも、夢中になってペダルを回した。目指すは頂上。そろそろ、足がきつくなってきた。ハンドルを支えている腕も痺れてきた。だけど、あともう少し。最後の緩いカーブを曲がった。ラストスパート。やっとの思いで頂上までたどり着く。

 水原は、一旦休憩をするために自転車から降りた。

「きっつかったぁ! 久しぶりに通ったら、めっちゃきつい」

 地面を見ながら息を整える。何度も息を吸い込み、深呼吸を繰り返した。

 さぁ、行こう。と、思った瞬間。

 何かが横切ったような感じがした。何かの、影みたいなものが視界に入った気がした。ふと、顔を上げると。

 猫。

 一匹の猫がいた。

 その猫は、じっと水原を見つめていたように思えた。水原も、じっと猫を見つめていた。この位置からでは、色までは分からない。どの種類の猫なのかも分からない。

 気になって、自転車を押しながらゆっくり歩いた。徐々に距離が縮まる。

 でも、猫は動かない。

 そのまま歩いて更に距離を縮めた。ようやく、猫の姿がはっきりと見えて来た。途端、歩くのをやめてその場で立ち尽くす。彼女の目に映ったのは。

 一匹の白い猫だった。

 目が合った。

 そんな気がした。

 この時。ふと水原は、当時まだ幼い頃に祖母がよく話してくれた昔話が頭をよぎった。

 神隠し。

 白い猫に近づこうとした瞬間、すぐに逃げられてしまった。急いで自転車にまたがると、見失わないようすぐに追いかけた。水原が近づけば、白い猫は同時に離れる。まるで追いかけっこだ。

 だけどその途中、白い猫は急に左に方向転換をして、茂みの中へと消えていく。少し遅れて水原は追いついた。が、視線の先にあったのは、顔を見上げても終わりが見えないぐらいの、気が遠くなるほどの長い階段があった。

 しかし白い猫は、平坦な道を走り去っていくかのように、いとも簡単に上っていく。水原は、自転車が邪魔にならないよう茂み側へ停めると、階段を上り始めた。

 だけど、思うように進めない。

 段になっている部分の幅が狭く、つま先立ちで歩くか、足首を階段と平行にしてカニのように横歩きにしないと足場を確保できなかった。選択肢は、2つに1つ。

 水原は、つま先立ちで一気に駆け上る選択をした。顔を上げればさっきの猫がいて、「早く、ここまでおいで」と言わんばかりに、待っているかのようにも思える。

 もう一度、追いかけっこが始まった。

 足を踏み外さないよう、細心の注意しながら階段を上っていく。対して、頭上にいる白い猫は、そんなことをお構いなしに駆け上がっている。

 でも、階段が見えなくなってきた。もう少しで終わりが見えると思う。見上げてみると猫がいない。きっと頂上で待っているのだろう。そう思ってラストスパートをかけると、一気に階段を上りきって頂上へ着いた。

 息を切らしながら白い猫を探すため周囲を見ると、左右には林があって正面には古ぼけた小さな鳥の巣箱みたいなものがあった。でも、さっきの猫はいなかった。が、水原はやけに正面にある鳥の巣箱らしきものが異様に気になり、吸い込まれるかのように正面に向かって歩き始めた。

 近くでよく見ると、鳥の巣箱ではなく祠だった。しかも、猫の像が祀られていた。祠の外見は、所々で朽ち果てているけれど、何故か猫の像だけはひび割れがなく、コケ等もなかった。

 心地よさそうに眠っている猫の像。

 つい、頭を撫でたくなってしまう。だけど、祀られているからには、下手に触れてしまうと何かバチが当たるかもしれない。でも。

 気がついたら、頭を撫でていた。

 瞬間。

 後ろの方からいきなり風が吹いてきて、地面に落ちていたであろう木の葉が空に舞った。肩ぐらいまで伸ばしている髪がなびいた。風がやんだ。後ろを振り返る。

 鳥居が目に飛び込んで来た。

 さっきまで、この鳥居はなかった。いつ現れたという疑問が浮かぶ。

 水原は、突如現れた現象を確かめるように、鳥居に向かって歩き始めた。いざ目の前に立ってみると、自分と同じぐらいの高さと幅をしていた。おまけに、空間が揺らいでいて、本来その先に存在するであろうはずの街並みの景色を見ることが出来なかった。

 ちょっとした好奇心で、揺らいでいる空間に指先だけ触れてみると、吸い込まれていく感覚に陥った。慌てて身体ごと後ずさりをして、自分の指があるか確認するとしっかり五本あった。

「これは一体、何?」

『その先は、夢の中だよ』

「え? 誰? 誰かいるの?」

 突然聞こえて来た、謎の声。だけど、何処か聞き覚えのある声をしていた。水原は謎の声の正体を知るために、周りを見ると一匹の白い猫が鳥居の上に座っていた。

 つい咄嗟に。

「ねぇ、さっきの声はあなたなの? ……って、猫が喋るわけないよね。……私ってばバカだなぁ」

『喋れるよ? だけど、早紀さきだけだよ。私と喋ることができるのは』

「……猫が、喋った!」

 猫が喋った。

 突然現れた白い猫。距離にして約半歩の位置から、鳥居の上に座って水原の顔をじっと見つめている。動物が喋ることなどありえない、と思った水原は自分のほっぺたをつねった。が、痛みはあった。痛覚があるってことは、夢ではなく現実だと思う。

 しかも、聞き間違えでなかったら、「早紀さき」と言っていたような気がする。

 確かめなければ、と思い。

「ねぇ。さっき、早紀って言った?」

『うん。だって、さっき頭、撫でてくれたでしょ? だから、扉が開いたの』

「な、何で私の名前を知っているの?」

『さっき、頭を撫でてくれたからだよ』

 水原は呆然と、その場で立ち尽くしてしまう。確かに、つい気になってしまい頭を撫でた後に鳥居が現れた。だからと言って、たったそれだけでの行動で自分の名前を知られるはずがない。けど、扉が開いた、とも言っていた。白い猫と扉。

 祖母の話では、扉がどうのこうのとは言っていなかったかもしれない。

「と、とびらって?」

『夢の中だよ? 行きたかったから、頭を撫でてくれたんでしょ?』

「……夢の中」

 夢の中。

 この言葉をきっかけに記憶が蘇り、祖母の昔話を完全に思い出した。子供の頃に憧れていた、おとぎ話を。祖母が、神隠しにあった昔話を。それが今、長い年月を経て自分の身に現実として、起こりえるかもしれないのだ。

 水原は悩む。

 だって、子供の頃に願っていた思いが、今まさに現実に起ころうとしているのだから。

 と、そこへ。

『早くしないと、時間がなくなっちゃうよ?』

「……時間って?」

『日付が変わるまでだよ。それを過ぎると、一生夢から覚めなくなって出られなくなっちゃうから』

 水原はつい、目を丸くしてキョトンとした顔をしてしまう。

 制限時間があることを、祖母との会話ではなかった。いや、言っていたかもしれないし、言っていないかもしれない。それに、一生夢から覚めない。この言葉が、水原を葛藤させた。

 神隠し。

 祖母はもしかすると、時間以内に戻ってこれなかったのではないのか。でも、祖母はいるから、夢の中から戻って来られた。内容はあまりにも現実とはかけ離れていた、夢物語だった。が、それは祖母が見た夢の中だから当然のこと。

 だから。

「時間が来る前に戻ってくれば、平気なんだよね?」

『そうだよ。だけど、私からは絶対に離れないでね。迷子になっちゃうから』

「わ、わかった」

『じゃあ、ついてきて。案内するから』

 白い猫は飛び降りると鳥居をくぐり、水原は覚悟を決めてその後を追う。

 瞬間。

 鳥居は姿を消した。

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