ヨーロッパをだいたい100日で旅してみた話

真朝 一

1日目 旅の円安は掻き捨てたかった

ミケランジェロは筋肉オタクのマッチョ好きなんだろうか、と思ったのは20代の半ばだった。それが僕をイタリア旅に駆り立てたきっかけだった。

30を過ぎたいい年こいて僕は仕事を休職し、コロナ禍による延期を経てイタリア周辺に約100日間住むことにした。ミケランジェロを筆頭に、多くのルネサンスの名作を巡るため、そして単純に観光のためである。

イタリア、バチカン市国、イギリス、フランス、スペイン、ポーランド、チェコ、オーストリアあたりをまわる予定ではあるが、半分以上はまだ未定のまま飛行機に乗ってしまって、エコノミークラスならではのうっすいうっすい刺繍糸でつながっているようなWiFiを使ってこれを更新している。100日後に帰る異邦人。語呂が悪い。

動機こそ不純極まりないが、面白おかしすぎる神の如き彫刻家の美しい作品をひと目見たいというのは、世界中からイタリアに訪れる観光客の目的のひとつになっているのではないだろうか。


ルネサンス三大巨匠のひとりとしてダ・ヴィンチとラファエロの隣に並んでいる彼の作品は、見たことがある人はご存知だろうが、やたらと肉肉しい。ボン・ジョヴィのあの曲が流れてきそうなくらい、あふれんばかりの筋肉が無駄に乱舞している彫刻や絵画作品が多い。

ぜひともネットで画像検索しながら読んで欲しいです。

トンドドーニという絵のマリアが幼いキリストを抱く手は、聖母ではなく五輪出場有望の女性アスリートと言われても納得するほどがっしりした手をしている。どうしてそうなった。高い高いでキリストを3メートルぐらいぶん投げてしまいそうだ。

かの有名なダビデ像は、これから戦いに赴こうとして投石器も持っているのに、なぜかムキムキ具合を一切隠さない大全裸で花の都フィレンツェのど真ん中に設置されていた。お前パンツも履かずにゴリアテと戦う気か。ラピュタの筋肉対決シーンを思い出すな。

最も有名な「最後の審判」においては、中央にいるボディビルダーのような男がキリストだと知らない人に何度か会ったことがある。「なんか偉い神様かどこかの王様だと思ってた」と友人は言った。分からなくもない。だってあんなゴリマッチョで完璧に仕上がった筋肉美を晒しているキリストなんて、世界中どこの宗教画を探してもミケランジェロ作品くらいだ。大抵、ひょろっとして痩せている、ヒゲをたくわえた細身のおじさんに描かれていることが多い。なぜ地獄に堕ちる者をかかと落としで地上へ叩きつけ、天国に行く者の首根っこを片手で掴んで雲の上までぶん投げていそうな体にしたのか。もはや人類かわいそうまである。

救世主イエス・キリストをマッチョに描くルネサンスの巨匠に、僕はひどく惹かれてしまった。

ダビデ像、高さ6メートルあるらしいんですよ。フィレンツェじゅうの彫刻家が彫るのを諦めたあほみたいにでかい石から、20代の青年がダビデを救い出したんだよ。どういう腕力と集中力と熱意があるのか。しかもあいつ、骨やら関節やら血管までも正確に彫り上げている。本物の人間の裸体を見ているのかってぐらい、肉体美を重視して彫られている。僕は今でもいい意味で「いや気持ち悪っ」と評価している。血管まで彫らんでも、と思うところまで細かく再現されているさまは、もはや執念、執着、性癖のようなものを感じる。でもそれがいい。執念や性癖が名作を生み出すというのは芸術の世界ではよくある話だ。500年間経った今も世界中の人がイタリアにミケランジェロの作品を見に来るわけで、そんなに長いこと愛される性癖は認められて然るべきだろう。

えてして欲求と本能のままに作られた作品ほど評価されるわけで、それはやっぱり、どこの国のどこの街の人でもそういった他人に言えない欲求を隠しながら生きているからなんだろうか、とも思う。


関西国際空港発、ドーハのハマド空港経由、ロンドン行きのカタール航空に乗っている。なぜか知らないが関空ハマド間の飛行機はガラガラだった。多分半分も座席は埋まっていない。CAさんも理由は分からないらしい。

中央ブロック通路寄りの座席から、三席空いている窓際のブロックに移動した。座席を変えてもいいかとCAさんに尋ねたら「あ、もうどーぞどーぞ、お好きなとこに移動しちゃってください」と苦笑しながら言われた。結構よくあることなのかも知れない。読者の皆様も飛行機があまりにも空いていたら移動を検討してもいいかも知れません。実際、ほとんどの乗客が状況を理解すると次々に席を移動していて、三席ブロックをひとりずつ使うという贅沢な便になっていた。

三席並んだブロックの一番窓側、丸い窓と座席の間に三席ぶんの枕をカーブになるように並べて、まるでヨギボーに寝そべっているような快適なマイシートを作った。

三席の肘掛けを全てあげ、窓側を頭、通路側を足にして横になる。これがあまりにも快適すぎた。ブランケットをかければもうヨギボーで昼寝する人である。さすがに食事の時は正面に座っていたが、多くの乗客が全く同じスタイルで映画を見ていた。中には枕を他のブロックからパクって5個使っている人も見た。

夜中にトイレに立った時、あちこちのブロックで肘掛けをあげて横になり、ブランケットをかけて寝ている乗客が散見されて、エコノミークラスとは思えない光景に笑ってしまった。ガラガラの便になってしまったのはカタール航空に申し訳ないが、エコノミーの乗客がこれを機にセルフファーストクラスをDIYしていて、多分誰かがやり始めたのを次々に真似していたからだろうが、CAさん公認なのも面白かった。もちろんトイレも行き放題だ。

揺れや音もあるのでさすがにベッドほど熟睡はできなかったが、体を横たえて眠ることがどれだけ快適か思い知った。ドーハロンドン間の飛行機は大満席で、いつものエコノミー睡眠で細切れにしか寝れない・体のどっかしらが痛い・トイレに行くにも気を使う、の三拍子だったから、あれぐらいのガラガラさはたまに欲しいな、と申し訳ないことを思った。


そういえばハマド空港は、顔面を電灯にめり込ませたクマのぬいぐるみが有名である。

画像検索して見てほしい。本当に高さ数メートルはある巨大なテディベアみたいなぬいぐるみの顔がランプに半分食いこんでいる。今貴方がイメージしているとおりの光景だ。YouTubeで見たことはあったが本物を見たときは笑ってしまった。記念撮影してる人のなんと多いこと。

建物内に滝があったエミレーツ航空のドバイ空港ほどではないが、でかくて綺麗で豪華なハマド空港でトランジット2時間を過ごし、中東系の航空会社が人気を博している理由を思い知った。安価なのにえげつないほどラグジュアリーなのだ。日本だったら嫌味に思うが石油大国なら納得出来るギラギラ加減。あのわけわからんキラキラした装飾だけで1億円とかするんだろうなぁ、とか思いながら円安がとんでもなかったことを思い出し、ミネラルウォーターを買うのをやめて給水器で水をめちゃめちゃに飲んだ。


そう、地獄のような円安が地球を支配している。

これを書いている時点で1ユーロが約173円。イギリスのポンドにいたっては200円を超えている。

分かってはいたが眼前に迫り来る直前になって尻込みしかけている僕は、それでもコロナ前から夢見ていたヨーロッパ半周(一周まではギリやらない、多分)のためにガラガラの飛行機に乗り込んだので、暇な時にでも読んでいただけると嬉しいです。多分何も面白くないけれど。

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