翡翠の玉

鯰川 由良

翡翠と玉 上

「野鳥同好会、ですか?」


 教室から廊下へと呼び出された僕がそう尋ねると、その教員は申し訳なさそうに頷いた。昼休みの廊下は、各教室からもれてくる弾んだ声が混じり合って、想像以上に賑やかだ。菓子パンや弁当を持った通行人のうちの何人かが、教員と話す僕のことを横目で窺っているのがわかる。

「文化祭の出し物の、教室の割り当てが決まったのは知っているね?」

 その質問に僕は頷く。僕の在籍する高校では、文化祭で各クラスや各部活動が出し物を行うのだが、その出し物を行う場所(つまり教室)は毎年ランダムで、くじ引きで決定されることになっていた。教室の場所によって当日の集客数が大きく異なるため、公平を期すためにそのような方法がとられているのだそうだ。そのくじ引きが先日の昼休みだかに行われたということは、僕も小耳に挟んでいたことではある。

「それで、そのくじ引きの結果がこれなんだが……」

 そう言って、教員はワイシャツの胸ポケットから、小さく折りたたまれた紙を取り出した。

 幾分にも折り目がついた紙には、校舎の平面図がプリントされており、一階から三階までの各教室を表す四角形の中に、くじ引きで割り当てられたクラスや部活動の名前が記入されていた。校舎の最上階となる四階は、当日は使用されないのか、斜線が引いてある。

「ここを見て欲しい」

 教員はそう言って、人差し指で僕の視線を紙面のある一点へと誘導した。

 教員が指さしたのは、三階と書かれた文字の横に並ぶ、いくつもの四角形のうちの一番端。実際の校舎に当てはめると、三階の一番角の教室にあたる場所であった。そして、その四角形は奇妙なことに、一本の線で二つの空間に分けられており、その片方に僕の所属する将棋同好会の名。もう一方には、野鳥同好会という文字が書かれていた。

「それで、ええと」

 続きを促すと、教員はさらに説明を続けた。

「今年度から新たに設立された同好会が幾つか存在することもあって、今年の文化祭は例年に比べて参加団体が非常に多かったんだ。それで、当初は想定していなかったのだが、貸し出すことのできる教室の数が足りないという事態に陥ってしまった。そのため、そのくじを引いてしまった団体には大変申し訳ないことは重々承知なのだが──、応急的な処置として教室を二分して使用するという案が採用されたんだ」

 そして、僕の所属する将棋同好会が、あろうことかそのくじを引き当ててしまったというわけだ。

 しかし、幸か不幸か、弊会は文化祭での活動に積極的な部類の団体ではない。僕らの学校では、原則として文化部は何かしらの出し物をする規則となっているため(これは、主だった大会などを持たない文化系の部活の、日頃の成果を発揮する場としても設けられているのだそうだ)、毎年何か適当な出し物は行っていたのだが、メンバーの誰もが決して意欲的とはいえない僕らの会が行うのは、毎年せいぜい、教室に将棋盤をいくつか並べて自由に将棋をさせるスペースを開く、という程度のものだった。


「容認してもらえるだろうか」という問いに、僕は了承の旨を伝えた。それを聞くと、教師は胸をなで下ろした様子で、感謝の一言と、改めて謝罪の意を伝えた。

 しかし、僕が気になっているのはもう少し、別のことだった。

「それで、ええと、野鳥同好会さんの方は、この決定に納得されているんですか?」

 僕が問うと、教員は少し渋い顔をした。

「いやぁ、彼女らはかなり文化祭に対してやる気を持っていたみたいで、何とも言えない反応をされたよ」

 そう言った教員の顔からは、あまり芳しくない状況が窺えた。

 「彼女たち」ということはメンバーは女性が多いのだろうか。そもそも、僕は今の今まで野鳥同好会という存在すらも知らなかった。それは彼女たちから見た僕らも、同じようなものなのかもしれないが。

「とにかく──」

 教員が続ける。

「近いうちに二つの団体での話し合いの場を設けるから、出し物の規模とか、そういったことに折り合いをつけてもらえると助かる」

 そう言うと、教員は職員室の方へと足早に去って行った。

 廊下にひとり取り残された僕は、取りあえずスマートフォンを起動し、数少ない同好会員に今あったことの概略を連絡した。


 僕が連絡をいれてからしばらくすると、将棋同好会のメンバーのすべてのメンバーから、了解とのメッセージが返ってきた。特に心配もなかったのだが、僕は小さく安堵する。


 さて、しかし一番の問題は、野鳥同好会とどのように折り合いをつけるかということである。僕はほとんど見かけ上であるとはいえ、将棋同好会の会長という役職を受け持っている。そのため、おそらく僕が話合いの場に顔を出すことになるだろう。

 個人的には、正直なところ、教室の四隅の一角を使わせてもらう程度でも良いと考えているのだが、かといって当日にあまりに肩身の狭い思いをするのもまた気が引けるところであった。


 しかし、こうした類の、他者との対話によって解決され得る問題というのは、事前にどうのこうのと思弁的な考えを巡らせても仕方のないことである。じっと対話の機会を待つほかないのだ。

 僕は胸に小さなつっかえを抱えたまま、四限以降の授業を受けることとなった。



 話し合いの場というのは、案外早く設けられた。それは、最初に話を持ちかけられてから二日後のことであった。昼食中に教員に伝えられた案内に従って、放課後に職員室横の空き教室へと足を運ぶと、既に教員とひとりの女子生徒が椅子に腰を下ろしていた。教員は僕に気付くと手招きをして、その女子生徒と向き合うかたちで設置された椅子に座るよう指示した。

 正面の女子生徒に一礼をして、着席する。


 実際に正面に座ると、女子生徒の表情や背格好、姿勢なんかがよく臨めた。女性としては、比較的背の高い部類に含まれるであろうか。背筋はピンと伸び、少しつり目がちな目はすっと遠くを見据えている印象を与える。肩の上で短くカットされた髪は、あそんだ毛先の部分が日に当たって少し茶色がかって見えた。


 軽い自己紹介をしてから、僕らはそれぞれの当日に予定している活動内容などを提示し合い、結局教室は両会で等分することに決まった。野鳥同好会のメンバー内で話し合った結果、案外スペースを取らないことが判明したのだそうだ。話合いは少なくとも僕が当初想定していたよりずっと穏やかに進んだ。


 野鳥同好会の代表として座っていた女子生徒は、僕よりも一つ上の学年の高校三年生で、他の部活動でおおかたの三年生が引退した今でも、同好会の会長を務めているのだそうだ。野鳥同好会を来年以降も存続させることができるかは先行き不透明なのだと、先輩は肩を落としながらそう語った。現在のメンバーの殆どは、彼女が同好会を設立させるときに勧誘した彼女の友人なのであり、活動に意欲的な後継者がなかなか見つからないのだそうだ。だからこそ、来期のメンバー集めのためにも文化祭で何かしらの成果を発表したかったのだと、先輩はそう言った。

「文化祭までの短い期間だけど、よろしくね」

 そういって差し出された手を、僕はおぼつかない手つきで握り返した。

 


 それから、いくつかの事項を話し合って、その日僕らは解散した。僕は今日取り決めたことを箇条書きにまとめ、将棋同好会のメンバーに送信し、帰路についた。


 帰り道、電車に揺られながら、僕は今年の出し物について、ぼんやりとあらためて思案した。

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