一瞬の灯火を手に

衣夜砥

*** 1 ***

p1



 力強いドラムとベースが刻む、分厚いリズム。

 それに乗せるようにして激しくギターをかき鳴らし始める、あつし

 短いシュレッドが速弾きへと変わった瞬間、体育館の空気が熱狂の渦へと変わる。周りの生徒が発する熱気にのまれ、俺は喘ぎ喘ぎステージを見た。


 歌にあわせて、ギターがメロディーを刻む。

 一音一音、声の微妙な揺れにまで正確にシンクロしている。

 高校生離れした速弾きテクニックと、普段はけして出さないブルージーな歌声。睦はライブを重ねるごとに確実に巧くなっている。

 部活紹介二日目。お堅いコメントが続きがちな中で、軽音部はこの場を熱狂的なライブ会場に変えてしまった。


「アツシ、かっけーぞぉ!」


 野太い声援は高まるばかりだ。

 一方で俺は、ガラス瓶に閉じ込められてしまった人形のように動けない。

他のときなら、音楽を聴けばそれだけで体が反応してしまうのに。いまは息することすらままならなくて。

 それは、周りが押しあいへしあいして、狭くて動けないからではなかった。

 ステージにいる睦が、俺のよく知っている睦じゃないからだ。

 幼稚園から知っている睦。なのに、いまは別人のようで。昔、彼がアメリカに行ってしまっていた数年間みたいに、俺の手の届かないところにいる、そんな感じ。


 睦たち三人は二曲を披露した。一曲は骨太なハードロック、もう一曲は、メロディアスなラヴソング。どちらも英語の歌詞で、アメリカ仕込みの流麗な発音で睦は歌う。

 スローテンポな二曲目になって、会場はようやく落ち着きを取り戻した。俺はステージをふり仰ぎ、目を閉じて切ない恋のバラードに聴き入った。メローで濃厚な甘さの旋律。まだ高校生のくせに、なんでこんな曲が作れるんだ。あいつは天才か。


 歌が繰り返しのサビにさしかかり、そっと目を開けると、睦とばちっと目があった。かっきりした切れ長の目が、じっと俺を見つめている。

 不意を突かれてまばたきをすると、睦は眉をひょいとあげて微笑んだ。

 それは単に幼馴染みの友達を見つけてそうしてるだけであって。睦なら、さもしそうなことだ。


 ただ、それだけのことなのに。

 さして、特別なことでもないのに。

 まるでサプライズを食らったように舞いあがって、俺の息はたえだえになる。こんなふうに見つめてもらったことに、期待したってどうしようもないことをつい、期待したくなる。

 苦しくて、頭の奥が痺れてきて、なぜだか泣きたくなった。この気持ちが顔に出ないように気を付けながら、心で呟く。


(好きだ、睦)


 お前は思いもよらないだろうけど。想像もしていないだろうけれど。

 届かない思い。

 届けてもかなわない思い。

 いったいいつからこんなに好きになってしまったのだろう。どうして、こんなに苦しい恋を始めてしまったのだろう。

 勇気を出して告ったあげく、雷に打たれたみたいな顔で拒絶されたら最後、この世の終わりまで立ち直れそうにない。それが分かっているから、手の届きそうな距離でおとなしく指をくわえて眺めている。そんな四月の始まり。



   *



 明日は木村の数Ⅱがある。

 理系クラスの数学を担当している木村は、年齢不詳、噂によると定年近い。分厚い眼鏡をかけた茶短髪の女教師だ。このおばさんがなかなかの曲者で、予習をしてこない生徒に体罰まがいのことをする。ついでに死にたくなるくらいの宿題もよこす。


 いまどき体罰なんて。

 あるかよ、んなの。

 と、入学当初はナメてかかっていた。でも実際にそうだった。

 試しにやってこなかった怖いもの知らずの同級生は容赦なく髪を掴まれ、机にガンガンと顔を叩き付けられて、ものすごい勢いで鼻血を吹き出していた。ほとんどの生徒が呆気にとられ、真っ青になった。

 けれどそんな体罰も我が校ではたいして問題にならない。

 男子校ということも理由の一つだろうし、高校入学時点で平均偏差値七十三の学力を落とすことなく、一人でも多くの生徒を東大に合格させることを至上命題としているPTAは、勉強のための多少の締めに寛大なのだ。


 そしていまは夜の十時少し前。

 クラスラインのチャットには、数名の「死んだ」発言が出てきている。


『キムラプリント十四ページ問2と3解答不能。死んだ』

『そこまで進んでない。誰か助けろ』


 発言は七、八人だけれど、既読はほぼクラス全員の数。こんな愚痴がもはや日課のように綴られていく。


『予習は長期休みの間にまとめてやっておくべし』


 こう書き込んだのは、真面目な桂木だ。


『十六ページ類3と4教えろ』

『ついでに全問』


 時間と共にこんな書き込みばかりになってくる。

 今夜は新しい連絡もないようだから、もういっかな。と、ラインを閉じようとした、そのときだった。


『今日の富谷かっこよかった』


 こう書き込みがあって、瞬時、俺の手が止まる。

 ――富谷。富谷睦とみやあつし

 その名の登場にラインを閉じられなくなった。

 数学の予習に厭き始めた何人かが話題にのってきた。


『5組の奴な。ギターすげえ巧い』

『作詞作曲もできる。今日発表してた曲も完全オリジナル』


 安田だ。中学からずっと睦と同じ軽音部だから、こういうことをよく知っている。


『神』

『トミヤアツシノカミ』

『三人で演奏してるようには聴こえなかった。もう一人いるみたいだった』

『だから神』


 …べた褒めされてるな。よかったな、睦。


『英語巧すぎ』

『声がセクシー』


 ハート付。


『帰国子女』

『戻ってきたのいつ?』

『中一』

『いつアメリカに?』

『小3の終わり』

『お前詳しすぎる』

『俺とあいつは幼稚園から同じ。部活もいっしょ』


 確かに安田は、睦の親友のような存在だ。俺など妬けてしまうほど仲がいい。


『学年末試験、学年三十位』


 終わらない睦ネタに、俺はチャットから目が離せなくなる。


『ギターのネック、太い』

『手がでかい』

『身長もある』

『歌巧い』

『モーホーのケないけど、ちょっと抱いてもらいたくなった』

『体もデカいしナニもデカい』

『なにぃ? 頭良し、顔良し、ギター良し、声良し、それでブツもデカいだ~~~????』

『興奮すんな』

『デカいナニしごいて、手デカくなったのかも』

『いい加減にしろ』


 エスカレートする悪乗りを安田が賢く制止する。

 まったく。よくここまでくだらないことを連想できる。

 俺は机に頬杖をつきながら、小さく溜め息を漏らした。


『奴のブツがでかいのは事実』

『どうしてご存じ?』

『中学で部活が一緒だった。合宿で風呂に入った』

『個人情報だ。それくらいでやめとけ』

『ナニのデカさも個人情報』

『でも、アレの時はもっとデカかったよ』


 卑猥なその書き込みがあった瞬間、スマホを繰っていた俺の手が完全に止まった。


(――え…?)


 突然、チャットに割り込んできた違和感。

 それまで滞りなく進んでいたチャットが、しんと静まり返る。発言のキワドイさからじゃない。俺は成り行きを見守った。


『おまえ、誰』


 それでまた書き込みが途切れる。

 今のクラスのメンバーしかいないはずのクラスラインのチャットに、見知らぬ「Q」の名前。

 一分くらい経ったとき、しびれをきらしたように園田が書き込む。


『アレってSEX?』

『そう。したことあるから。富谷と』


 Qが即答する。

 場が凍りついたのが伝わってきた。


「…うわ」


 思わず声が出る。

 誰だ? 

 こいつ。

 鼓動が早くなって、スマホを繰る手が冷たくなった。

 分かっている。こんな書き込みに反応するの、ホントばかばかしい。どうせみんな遊び半分でふざけているだけなんだから。

それは、分かってるんだけど。


『安田、このチャット立ち上げたのお前だろ。誰か分からないのか、こいつ』

『俺が預かったスマホ番号、3組のクラスメートの分だけ』

『でも全人数が四十三になってる。一人多いw』


 つまり、Qはクラスメートじゃない可能性があった。


『3組だよ、おれ』と、Q。

『なら名乗れ』


 その質問には答えない。

 クラスラインはもとはといえば、クラス対抗イベントの情報とかを共有するためのチャットだから、他クラスの生徒が入るのはマナー違反だった。だから寺戸たちもこんなに過敏になっているのだ。


『面白い。当ててやろう、Qが誰か』


 呼び掛けに何人かが賛同する。


『お前ら暇人だな』

『数学は終わったのか』

『数学より大事だ』

『風呂入って一発ヌイてたから遅れました。今から参加します』

『何発でもぬいてろw』

『開始。Qは誰か』


 わらわらと書き込みがあった後で、しばらく間が空く。


桜井拓さくらいたく


 次の書き込みに体が跳ねて、固まる。

 いきなり俺か。なんでだ。


『理由を』

『富谷とやってそう』


 ――ああ? なんだと?


『夜のおかず』

『美女だから』

『顔写真でマスかける』


 うううう。

 身悶える。もちろん怒りでだ。

 なんでこういう展開になるんだよ。


『ダンスが巧い』

『中学の頃にはすでに巧かった』

『タクちゃんのダンスしてる顔すごくセクシー(ハート)。しゃぶりつきてえ(ハートハートハート…)』


 …寺戸。いい加減にしろ。


『実際、あいつの写真はたくさんネットに出回っている』

『美形だから』

『締め付けよさそう』

『ふざけるな。本人が見てるぞ。いじめになる』


 ああ。見てる。

 もちろん見てるよっ。

 スマホを持つ手がプルプルと震えてくる。


『あの二人は家が近い』

『桜井は頭もいい』

『学年トップだ。こうべを垂れろ、蹲え』

『後塵を拝せ。神だぞ』

『桜井様、十六ページの類題7問、解答全部、お願いします!』


 途端に、よろしく、のスタンプの羅列。


『予習ノートの写真をアップしてくれればいい』


 今度は、いいね、のスタンプが並んだ。


『そうしたら成りすましを許してやる』


 ここにいたって俺は、憤懣やるかたなく、がたがたと震える手で書き込みをした。頭に血がのぼっているから、短いのに何度も打ち間違いをしてしまう。


『俺はQじゃない』


 そのあとは。

 もう。

 エー嘘~、とか、失礼をばお許しを~!とか、答えだけは教えて~!とか、そんな書き込みばかりだったので、俺はラインを閉じた。知ったことか。

 書き込みは続いているようで、スマホのバイブがやかましいから電源も切った。

 それでも、黙ったままのスマホから目が離せない。

 …Qが、気になって。

 Qって――男? …だよな。「おれ」って書いてたもん。

 睦とセックスしたって?

 そんなバカな。



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