好奇心の檻

蓮空 形人

第1話かごめかごめ

重い瞼を開けた。鬱陶しいほど眩しく目の奥を突き刺す朝日にくらみながら起き上がる。

この4月から新しい高校生活が始まり、今までとは段違いに忙しくなった。学習のペースや難易度、そもそもの生活習慣の大きすぎる変化。中学生気分が抜けない櫛木 裕翔(くしき ゆうと)はこの新しい環境に慣れておらず、ゆっくりとした時間が欲しいと思っていた。

だが、時間は待ってくれない。すでに部活動も本格的に活動が始まり、5月末にある体育祭の団ダンス練習もあって櫛木は心身ともに疲れ切っていた。

さらに、勉強時間の確保のために夜遅くまで起きていたり、起床時間が早くなったことも重なって深刻な睡眠不足に陥った。鏡に映った櫛木のめもとには大きく深い隈ができている。

酷く重く感じられる体を動かし、学校の支度を整える。今日はまだ学校生活が始まったばかりなのに土曜授業がある日。まさか、高校生活がこんなにも忙しく疲れるものだとは思っていなかった。せっかくの土曜日の朝くらい、ゆっくり過ごさせてくれ、と心の中で毒ずく。

憂鬱な感情を抱えながら玄関ドアを開いた。

自転車に乗って、笑顔を浮かべながら歩いていく人の波を泳いでいく。

まったく、世間はゴールデンウィークというビックウェーブに乗っているのに。幸せそうな顔が一つ一つ櫛木の網膜に刻まえていく。その姿が羨ましく、眩しく、妬ましかった。

なんで僕ばっかり-

ギアを一段入れて櫛木は自転車のペダルに力を込めた。


登下校はいつもひとりと決めている。他者との関わりが多くなると予想されるこの先、一人の時間が減るのは嫌だった。だから今のうちに残り少ない一人の時間を大切に満喫する。

と言っても、特別なにかをするということでもない。正直なところ、人とコミュニケーションをとることが櫛木にとって、とても疲れることだった。相手の表情、態度、声。

全てから微かにこぼれる秘された感情を汲み取り、それに応じて相手の求める姿を演じなければならない。そうすること以外櫛木は人との付き合い方を知らない。

こうなってしまったのはいつからだっただろう。記憶を探るが、濃い霧が立ち込めているようでそれを捉えることができない。

別に、ただありのままに生きればいいと自分でも思う。わざわざ演じる必要なんかないのに。

櫛木はなぜか演じることをやめることができなかった。


学校に着くと指定の駐車場に自転車を止め、教室へと向かう。春休み運動しなかったつけがまわり、四階まで上がるのがなかなかにきつい。

教室に着く頃には息が切れていて、学ランを脱がないと暑くてしょうがなかった。

土曜日も朝の団ダンス練習があるのだが、今日は参加しない。といのも、担任の先生の都合により櫛木と、同じ部活で仲良くなった冨沢 弘樹(とみさわ ひろき)の二者面談の日程が今日にずれ込んだからだ。

ダンス練習の時間が近づくと、みんな一斉に教室から出ていった。櫛木たちはそれをいってらっしゃい、と見送り教室には二人だけが残った。

二者面談の予定時刻まではあと二十分ほどあるので、櫛木は先日図書館で借りた前々から気になっていたミステリーの本を読んで時間を潰そうと考えた。

五分ほどたったときのこと。しんと静まり返った教室に、突然微かにゆるやかな電子音が鳴った。

「え?」

「電話?」

櫛木と富澤は目を見合せた。まだ電子音はなり続けている。櫛木は席を立って音のもとを探った。

すると、どうやら櫛木の二つ前、一つ左の席、瀬羅 早苗(せら さなえ)の上着ポケットから鳴っているらしい。

瀬羅 早苗といえば、クラスはおろか学年、学校内でも容姿端麗で綺麗と有名な人物。性格も控えめで、いわゆる清楚系の頂点に立つような人だ。彼女のどこか影があることもまた、人気を博す1つの要因となっている。

しかし、どうにも電話にしては鳴っている時間が長すぎる気がする。櫛木は、おそらくアラームの解除だろう、と考えた。もしくはなにか重要な、例えば、考えたくは無いが親族に不幸があって、その電話の可能性もある。その場合、出た方がいいのだろうか。

「確認した方がいいかな?」

いずれにしても、確認しなければどうしようもない。しかし、女子のものに触れるのはなんだか、‪“‬禁忌‪”‬を犯すようで気が引けた。それに、他のクラスには一部遅れて登校してきた人もいる。

僕のクラスにもまだ来ていない人がいるし、もし僕が女子のポケットをあさっているところを、事情を‪知らない人が見たら-‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬

そう思うと迂闊に動けなかった。

そうこう悩んでいるうちに二者面談の時間が近づいてきた。

櫛木たちは仕方なく、何もせずにただなり続ける電子音を背中に感じながら教室を後にした。


その一日はあの電子音のことで頭がいっぱいだった。気にすることでもない些細な出来事なのに、なぜだかどうしても忘れることが出来なかった。

まるで何かに取り憑かれたように。

授業中も帰ってきてからも電子音のことが頭から離れず、何事にも集中できなかった。櫛木はあの正体について考えを巡らせる。

まず、電話である線は薄くなった。瀬羅があの後早退しなかったことや、何事もないように過ごしていたことから考えると、緊急かつ重要な事態が起きたゆえの連絡ではないと思われる。

電話ではないとすると、やはりあれはアラームだろう。では、なんのためのアラームか。

「8時から何か始まるんじゃないか?テレビとか、youtubeとか」

弘樹に学校で聞いたとき、彼はそう答えた。他にも、目覚ましの可能性や、あまり考えられないが宗教的な理由の可能性もある。

実際、天理教という宗教では朝のおつとめは午前8時となっているらしいが、それは日曜日の話で土曜日ではなかった。といっても、8という数字には末広がりの意味が古来から存在しているので、宗教の線もありえない話ではない。

目覚ましにしても、あくまでこれは主観だが、7時50分というのは遅いし、なんだか微妙な気がした。いや、十分にありえることではあるのだけれども。なんならその可能性が一番高いし、ほとんど間違いないのだけれども。

だが、それでもどこか腑に落ちない櫛木はその後も思案を巡らせた。一つ一つ、しっかりとくまなく吟味した。しかし、納得のいく答えに櫛木は辿り着けなかった。そこで、櫛木は信じられないとある計画を立てる。

来週の土曜日、彼女を尾行してみよう。


一週間後の土曜日、地平線が紅に染まり始め太陽が昇ってくる頃。

櫛木は久喜駅にいた。この一週間で瀬羅が櫛木と同じ最寄り駅を利用していることは突き止めている。

櫛木は自嘲気味に笑った。冨沢にもこの計画を話したのだが、それってただのストーカーじゃね?と言われたことを思い出す。

確かに、ストーカーと言われればまさしくこの行為はそれに該当する。

だが、櫛木はどうしても諦められなかった。どうしようもなく頭にまとわりついてくる疑問符の連続を振り払うには、事実を確認することしか方法はない。

櫛木が久喜駅で瀬羅を待ち伏せしているのには理由があった。それは、あのアラームの正体が誰かとの待ち合わせの時間を告げるアラームなのではないかと考えたからだ。

それが櫛木が考え抜いた末の答えだった。朝早くから待ち伏せしているのも、もし彼女が電車を使って別の場所へ移動する場合、いつの電車を使うのか読めないため。

もし、彼女がここへ来なければ、あのアラームはただの目覚ましかなにかだとわかるし、つきまとうこの得体の知れない好奇心のようななにかから開放される。

いずれにしても、あのアラームに囚われることはなくなる。そう櫛木は浅はかな考えで動いていた。

櫛木は小さく身震いする。今日は前日の大雨の影響で朝は寒く冷え込み、櫛木はこの格好で来たことを少し後悔した。不審に思われないように、最初は半袖半ズボン。午後になったら、バックに詰めてきた着替えの長袖長ズボンに着替えて帽子もつける予定でいたのだが、逆にした方がよかった。

時刻は6時45分になろうとしている。櫛木は段々とうとうとし始めた。睡眠不足を抱えながら、かつ部活を強行欠席してまで出てきたのだが、体力と眠気の限界が少しづつ近づいてくる。

微睡みかけたそのとき、櫛木の目にある人物の姿が目に飛び込んできた。その顔はぼやけた視界の中でもはっきりと映った。その瞬間、限界点に到達していたはずの眠気が一気に吹き飛んだ。

(よし、来た!)

櫛木は心の中でガッツポーズをし、顔に微かな笑みを浮かべ、瀬羅と少し距離を開けて後をつけ始める。

彼女が向かった先は東京方面へ向かう宇都宮線のホームだった。土曜の朝ということもあり、ホームはそれなりに混んでいる。電光掲示板を見ると、どうやら6時57分発の電車に乗るつもりらしい。

「まもなく、三番線に、湘南新宿ライン、東海道線直通、普通、熱海行きが、まいります。危ないですから、黄色い線の内側でお待ちください。グリーン車は、四号車と、五号車です」

そうアナウンスが流れ、ホームに甲高いブレーキの音を鳴り響かせながら電車が入ってくる。櫛木は彼女と同じ車両で、かつ一番距離が取れるところに乗車した。

櫛木は瀬羅を見失わないように、一瞬でも目を閉じれば夢の世界へと誘われそうになりながらその目を彼女から離さなかった。

傍から見れば非常に気持ち悪いが、そうしないと眠ってしまいそうで、スマホをいじるにしてもそっちに目がいってしまって、その間に彼女を見失う事態になるわけにはいかない。

電車はついに東京に入った。大宮を過ぎたあたりから段々と都会の色あいが強まってきていて、地元じゃ見られないビルの数々に感動している。

まさか、初の東京がこんな形になるとは思わなかったが、櫛木は心を踊らせていた。

満員電車の中揺られ始めて一時間弱後、ついに彼女が動いた。櫛木も浮ついた心を鎮て後を追う。

彼女が下車したのは渋谷駅だった。櫛木は駅からでた瞬間、双眸に飛び込んできた景色に慄いた。初めて見るその大都会の景観に圧倒される。

天を貫くように聳え立つ高層ビルの数々、何度もテレビで見た109、人の集まるハチ公像、大人数が一斉に交差するスクランブル交差点。東京に来る機会のなかった櫛木にとって、目の前の光景がとても現実のものとは思えなかった。

櫛木は辺りを見渡す。瀬羅はハチ公像の前にいた。手元のスマホに目を落としていることから、どうやら誰かと待ち合わせしているらしいことが分かる。櫛木は彼女を見れるところへ移動し、スマホのLINEを開く。

【状況が判明次第連絡しろよ】

そう富沢から連絡が入っていた。もちろん、冨沢には伝えるつもりだ。

【今ハチ公のところにいる】

送信した瞬間に既読がつき、返信が送られてきた。

【東京まで行ってんの草wwwそんなに気になんのかw】

【確認するだけだって】

【wwwどうだか。案外、迂闊に首突っ込んだこと後悔するかもよ?】

【大丈夫。やばそうだったら大人しく引き返すから】

【やばそうってwwwやべぇ、腹痛てぇ】

【なんで】

【櫛木の状況が面白すぎるwww続報待ってるわw】

【おっけー】

【www】

既読早くついたってことは、ずっと待ってたのか。富澤もどうやら興味津々らしい。

スマホから顔を上げ、彼女の方を見る。時刻は8時前。ここから渋谷で遊ぶには早すぎるし、これからまた移動の可能性も考えられる。そうしたら、いったいどこまで彼女は行ってしまうのだろうか。

そうぼんやりと考えていると、ゆるやかな電子音が耳にとどいた。

ふと瀬羅の方を見ると、彼女はどこかへと目を向けていた。櫛木もその方向へ目を滑らす。

しかし、そこにはただの人々の塊があるだけで、どれが彼女の求める人物なのか分からなかった。そんな中、人混みの中から一人彼女の方へと足を向けている人がいた。櫛木は、まさかと思い気にもとめなかったが、段々とその人と彼女との距離が近ずくと目の前の現象を認めざるを得なかった。

近ずいてきた相手は、高身長なイケメンでも、友達の女の子でもなく、どう見てもただおっさんだったから。


櫛木の心臓は胸が痛くなるほどに脈打っていた。そんなはずはない、なにかの間違いだ。そう、例えば、お父さんであるとかー

どんな仮説を浮かびあげようとも、どれだけ自分を納得させようとも、それを拒む何かが櫛木を困惑させる。

櫛木には、わかっている。目の前の二人の関係が、何であるかを。

それを受け止められずに居る。受け止められるはずがない。クラスの、容姿端麗な一人の少女が、まさか。

事実を知らなければならない。誰にも命令されていないのに、その強迫観念が櫛木を支配した。

櫛木は事前に組んできた計画も何もかも忘れて、一つ一つ確かめるように二人の行動を深く観察した。通りすぎていく人には冷たい目で見られていることは感じていたが、周りにどんなめで見られようが、なんと思われようが、今の櫛木にはもはやどうでもいいことだった。

気づけばいつの間にか、腕時計の短針はすでに一周を終えていた。時刻は午後19時30分。スマホを見ると冨沢から続報を求める連絡が入っていたが、それには目もくれずに櫛木の目は二人を追っていた。

日中は熱いデートを繰り広げていた二人は、渋谷から新宿方面へと向かっている。新宿と言えば、そう。

歌舞伎町ー

櫛木はもう、認めるしかなかった。

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