─9─ 遺書

「キャンキャンキャン!」───と、諦め悪くユウジンの背中に縋って階段を駆け下りていくロロ。何度も何度も蹴躓いて、それがあまりに可哀想だから抱き上げてやるべきなんだろうけど、あいにく今の僕には


「なあ落ち着けよゆーちゃん。ユウジン! おい! ただの調査だって。何も悪いことは起きない」

調!! その筈だった!!」

「キャウッ!」


 ロロがたたらを踏む。ユウジンは足元で狼狽えるロロを踏んづけないように、少しだけ歩く速度を下げた。そんな優しさを見せたのも束の間、壁に映る等身大ホログラムの僕の姿を見て目を細めると、「また貴様の差し金か」とやるせない拳を壁に打ち付けた。

 そんなこと言われるなんて心外だ。僕だっていつもいつもコヒナの様子を見ているわけじゃないし、たしかにオーガの件は悪かったなと思ってるけど、───それでもあいつの『真相を追いたい』という願いはもう、誰にも止められない。だからこそ僕はあいつを利用しているのだけれども。


「なあ、ゆーちゃんは勘違いしてないか。コヒナは別に、言われたことしかしないわけじゃないぜ。僕が言わなくてもあいつはこれから勝手に仕事をするようになるし、あいつにだって自分の考えがある。特にはいつもより自我を持つのが早くて……」

「親父は何処だ。伝書鳩エルメスを借りてコヒナに帰ってくるよう手紙を」

「手紙なんかであいつが戻るかって!」

「ならばお前のポートストーンでも寄越せ! 私が行く!」

「お前が行ったらそれこそ平均値が狂うだろうが! ちょっとゆーちゃん?!」


 ああもうダメだこいつ!

 厨房に凸っても見当たらないガンダルヴァに痺れを切らして、伝書鳩エルメスの餌場を覗きに中庭を一周する。あの鳩はガンダルヴァが現役冒険者だった頃の相棒で、人の言葉を理解できる上『最速の鳩』だなんて言われてるけど、何よりメチャクチャ気分屋なんだ。ガンダルヴァの口笛でなきゃ散歩から帰って来ることは無い。


「もう諦めろって! 少ししたらコヒナも戻る。本人と話せば良いだろ」

「奴がネズニア精神病院に行ったことが問題なんだ! あの子がもしあれを見つけたりしたら───」


 中庭の空気がざらり、と変わる。

 何かが干渉する気配だ。これは恐らく、ポートストーンによるテレポートの『目的地』に指定された気配。空気中の僅かなエーテルの変化を、この僕と同じ速さで察したユウジンはやはり、未だ『最強』の名に相応しい冒険者だ。

 いつも通りの中庭。何枚かのシーツとタオルが干されているそこに、ぼんやりとした空間の歪みが発生する。

 そこへすらりと伸びてきた足は、金のヒールを纏っていた。純白の服と、翻る青い髪。姿がはっきりするより前に、現れた人物は口を開いた。


「やはり、やはり見つけたぞ。ああ、初めからこうすれば良かったんじゃないか。なかなかオレの方も行動力バイタリティが無くていけないね。ああいうのはどうしても若者に負ける。初めからテレポート先をお前に指定すれば良かっただけのこと。お前の持つエーテルなんてほとんど忘れていたから、半ば手こずりはしたがな」

「……? 誰?」


 困惑する僕の前で、ユウジンが腰の刀に手を掛けた。───え、そんなに? そんなに警戒する人物?


「ゆーちゃん、この人」

「スメラギだ」

「え、……は?! 黒点会の……?!」


 ウェーブがかった前髪の下で、コヒナと同じ色の赤い目がばちりと弾くような瞬きをした。もう一方の目は眼帯に塞がれている。

 黒点会のボス・スメラギ。会うのは初めてだがまさかこんな、幼い容姿だったとは。


「……お前こそ誰だ? いや、待てよ? そのエーテルどこかで……」

「初対面だよ! 英知! 僕は英知だ! ほら、知らないだろ?!」


 僕に近付き手を翳したスメラギは、「ああ」と合点がいったように頷いた。


「さては遺跡に度々現れては何かを持ち去ってるっていう不審者だな? うちのシュウエイがお前のエーテル残滓を回収してきたことがある」

「残滓を? ハハ、流石だな。お前ほどにもなると死霊術師の仲間がいるんだ」

「スメラギ、お喋りは良い。目的は私だろう。何の用だ」

「おっと、すまない。オレとしたことが失敬な真似を。……尤も、目覚めたのにお前の方から挨拶も無しとは、失敬勝負も良いところだがな」


 とうとうユウジンが刀を抜いた。───が、次の瞬間にはもう、傍にあった物干し竿が真っ二つになって地に落ちている。ユウジンとスメラギの間を隔てていた物が無くなって、彼はスメラギの方へ歩き出した。


「スメラギ……」

「『失敬』と言えばお前の娘よ。親が親なら子も子、全く……で仲の良いことだ。妬けてしまうな」

「何が言いたい」


 緊迫した空気だ。長閑な昼下がりの光景には到底似合わない。

 スメラギが一歩距離を詰め、ユウジンの胸に拳をぶつける。ユウジンは表情ひとつ変えないで、ただスメラギを見下ろしている。───その顔は、次に何を言われるかが分かっている顔だ。


「お前が一番わかっているだろう? なあ、親不孝の『キャラクター』よ」




 ◆




「あのね、知ってる? キャラクターはライターズを殺せないんだよ」

「うん……?」


 藪から棒に、ネモがそんなことを言い出した。彼女はわたしに背を向けて廊下を歩いていく。

 ここは女性専用の病室が入っているフロアだ。心做しか、壁に飾られている絵や編み物も、女の人が作ったんだろうなと感じられる雰囲気のものが多い。患者さんたちがオリエンテーションとかで作ったものなのかも。こういったものはそのまま残されているんだなって、なんだか不思議な気持ちになった。

 作者はもういないのに、作品だけがこうして飾られて、そのまんま……。


「もっと言うと、『自分を作ったライターズを殺すと、キャラクター自分自身も死ぬ』。相討ちってことね」

「そうなんだ……」

「そうだよ。だからキャラクターはライターズに優しいことが多いの。もしかしたら自分の生みの親かもしれないから、その人に何かあったら自分が消えちゃうの。ね、大変でしょ?」

「自分を作ったライターズが誰か、皆わからないの?」

「……わかる子もいるんじゃない?」

「そっか。だからネモは、ヨウ先生のことを『ダザイオサム』だって言い当てたんだね」


 ◇


「確信は持てない。だがネモあの子はもしかしたら、ヨシ子かもしれない」

「ヨシ子……?」

「俺が書いた作った子だ。あの雰囲気───人を疑わないところも、人の悪意に疎いところも、人の中にある善性を信じきっているところも、どうにも俺のヨシ子にそっくりでね。きっとネモも俺の正体に気付いている」

「それが、『文豪』の……『太宰治』。あなたの名前」

「ああ」

「では、……どうする? 黒点会は文豪をねらっている。あなたも、じじつじょう、ネモとは対立しているといっていい。お嬢が別行動をていあんしてきたのは、お嬢もうすうす気づきはじめていたからだろうか」

「さてね、それは分からんが…………ッおいエリシャくん! これって……?」

「……?」


 ◇


 ネモはある病室の中に入った途端、壁に掛かったタペストリーを見て立ち止まってしまった。

 なにか……外国の言葉が書かれている? 見覚えの無い文字だ。筆みたいな、太くて柔らかいもので書かれた文字は、所々に力強いインク溜りがある。


「ネモは黒点会から来たけど、自分を作った『ダザイオサム』は殺せない。だからヨウ先生とは対立しないって、そういうことだよね?」

「…………」

「ネモ? どうかした? ……そのタペストリー、何か変なことでも書いてあるの?」

「……コヒナ」

「なに?」

「わたしは……たまに怖いなって思うことがあるんだよね。作家ライターズのこと」

「?」


 ネモがぐるり、部屋の中を見渡す。

 この部屋、至る所にタペストリーと同じ文字が書かれたアイテムがあるなあ。ちょっと気になって持ち上げた植木鉢の裏にも、同じものが書かれてる。でも筆跡はタペストリーのと違う。……あれ? こっちの本の栞に書かれたものもだ。同じ文章が、違う人によって書かれまくってる……。


「コヒナはさ、ライターズとして、自分の力について考えたことがある?」

「力? わたしの力はなんか、炎をぶわっとやって、体が熱くなって……それで限界突破みたいなことができるんだけど……」

「あは! 違う違う、そういうのじゃなくって! ほら……自分が書いたもの、自分の作ったもの、自分が言い出したことが人に与える影響っていうの? なんかそういうこと! わたしはね、それをたまに怖いなって思うんだ。例えば、とあるライターズがこんな言葉を残したとするじゃない?」


 ネモの細い指が、タペストリーを掬い上げる───。


「『誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?』」

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