√K Chapter:2
─1─ Enter
わたしの目の前には今、全面ガラス張りの大きな扉が立ちはだかっている……。
「……うーん…………」
扉の大きさに反して、建物自体は奥に広い造りの、細長い形状をしている。中に入る前からそうだと分かるのは、この『金烏亭』という建物は地図を見る限りでは『貸し画廊』で、大通りから逸れた小道に挟まれるようにして建てられているからだ。画廊なのに、こんな分かりづらい場所にあるなんて変なの。まるでお客さんに見つかりたくないような……、お客さんを画廊が選んでいるような。
それで扉に掛かった札には『準備中』と書かれているし。中を覗き込んでも、確かに絵の一枚どころか、カラの額縁ひとつさえ置かれていない。今は本当にシーズンじゃないみたいだ。
───で、二階の『冒険者の宿』の方は?
わたしはもう一度ドアノブに手を掛ける。さっきも何度か押したり引いたりしてみたけど、五分経ってもやっぱり開かない。そりゃそうだよね……。
リン兄はここに来てるって聞いたけど、何処から入ったんだろう? 誰かと待ち合わせをして中に招かれたのかな? もしそうなら、わざわざここまで来た意味は無くなってしまう。わたしはがっくりと肩を落とした。
金烏亭を訪ねるだけなら一人でも十分だと思って、エリシャには先に廃病院について調査を始めてもらっている。もう少し待って誰も来なかったら、諦めて宿に帰ろう。それでエリシャの調査に同行して、リン兄の話は彼の帰宿を待って聞けばいい。
でも……
「はーぁ……」
───ちょっと気になってたんだよなあ。金烏亭の、黒点会のこと。
あわよくばリン兄とスメラギが話しているところに入り込んで、わたしもスメラギと交流できるチャンスだったのに。
そうしたらきっと、今この国にいる中で一番遺跡に詳しいかもしれない人の話を直接聞けることにもなったんだ。
わたしが一刻も早くリン兄の話を聞かなくちゃ……なんて慌てて出て来たのは、ぶっちゃけリン兄を餌にしてスメラギを釣り上げたいからだった。これじゃロロの命を餌にしてユウジンを脅してるリン兄と同じだなあ。
画廊には立派な古時計が立っているのが見える。文字盤が大きくて、ここからでも針の動きがよく見えた。
左右に揺れる振り子の輝きをぼうっと眺めながら、わたしは心の中で、あの時計が十時を示したら諦めて引き返そうと決めた。
「ふぅ……」
「…………」
「…………」
「……………………えっ、と」
だ、…………誰?!
なになになになになに、何者?!
な、なんかいきなり「ふぅ」とか溜息つきながらわたしの隣に立ってドアの前にさもお連れ様かのように並んでる知らない人来た!
ちらっ……と横目でどんな人物か、確認だけしておこう……。
───シワシワのシャツによれよれのネクタイ。……いや、わたしが意地悪で言ってるんじゃなくて本当にそうなんだもん! それに加えて、ちゃんと見えてるのってくらいに曇った眼鏡を掛けていて、何故か白衣だけは皺一つ無くぴんとしている。オリーブの実の色みたいなくすんだ緑の髪の毛は、オイルでちょっとベタついているのか、おでこの真ん中でぱっくり分けられている。
う……うぅん…………。……全然知らない人なんだけど、『ここもっとこうした方がカッコイイのに!』とか、『お医者さんならもっと清潔にしないと!』とか思っちゃう! いけない、いけない……急に話しかけたら失礼だよね。多分この人も金烏亭が開くのを待ってるお客さんなんだろうな。そっとしておこう……。
───と、そうこうしているうちに長い針がぱちんっとてっぺんを向いた。十時になったんだ。
ああ、わたしの賭けは失敗に終わったみたい。踵を返して離れようとした、その時だった。
「君、うちに用だろう」
「へ」
突然白衣の人が話しかけてきた。
うそ、さっきまでわたしのことなんて全然見えてもいないふうだったのに? 何故かだんまりで隣に立って、ただずっとドアを見つめてただけなのに??
「え、いや、あの……そうですけど……えっと、あなたは?」
「ん?」
真正面から見上げると、その人はわたしを見下ろしたまま目をぱちくりやった。曇ったレンズでも角度によってはきちんと表情が窺える。彼はそうして垂れ目をかっと見開いて、「君は……」とわたしに顔を近付けた。
「コヒナちゃん? コヒナちゃんじゃないか?」
「えっ? な、なんでわたしのこと……?」
「俺だよ、俺! 覚えてない? シュウエイお兄さんだよ!」
「シュウエイ……おにい、さん?」
つい聞き返してしまってから、わたしはハッとした。
そうだ、わたし記憶喪失だった……! ここ三年は確実に会ってない人だから、久し振りで忘れちゃってました〜っていう言い訳も通用するけど、わたしの顔を見てすぐに気付くってことは結構ちゃんとした知り合いじゃないの?! ど、どど、どうしよう……。なんか見る見るうちにシュウエイの顔が怪訝そうに歪んでいく……!
「俺の事忘れちゃったの? ……というか、ユウジンは? 一緒じゃないの? ここへ来る時はいつも『おとうさ───」
「シュウエイ! 何をしているのです!」
彼の言葉を遮ったのは、何処からか響いた大きな声。思わず背筋が伸びるくらい、それは真っ直ぐな弾丸のように降り注ぐ。
この声……! 二階の窓が開け放たれて、そこにはわたしの想像通りの赤色が見えた。
「ラズロ!」
「え、……コヒナ?! 何故あなたがここに……ッ、いえ、そこで待っていてください。お通しします」
「うん、ありがとうー!」
ラズロは小さく微笑んで、窓を閉めた。きっとすぐにでもこっちへ降りてきて、玄関を開けてくれるだろう。
良かったぁ……! 知り合いがいて本当に助かった。ラズロには偶然助けてもらうことがいっぱいある。もし彼女が黒点会の所属じゃなかったら、運命的な彼女のことを、わたしは真っ先にパーティーに誘ったかもしれない。
……うん? パーティー? そういえば、ラズロは
「お待たせいたしました。ようこそ、金烏亭へ」
ガチャリと重たい扉を開けて、ラズロが深く一礼をする。わたしもつられて頭を下げたけど、シュウエイはその場でへらへら笑っているだけだ。
思った通り。シュウエイは金烏亭、黒点会のメンバーだ───!
「シュウエイ!」
「おはようラズロちゃん。今日も美人さんだね」
「以前も言いましたが『十時出勤』とは『十時に業務開始状態にあること』を言うのです! 十時に職場へ来ることではありません! あなただけですよ、十時出勤一時間休憩十九時退勤計八時間勤務などという馬鹿げた勤務形態を特別に許可されている冒険者は!」
「アッハ、それで今日は何かしら依頼を受けているのかな?」
「……いえ、今日はボスのご意向で何も。朝方からお客様がお見えでしたので」
「そうなの? じゃあ俺はこのまま帰ろうかな。タイムカードも切ってないし……」
「あ、あの!」
完全に内輪トークになっているところを申し訳ないなと思いつつ、わたしは両手をブンブン振りながらついつい会話にストップをかけてしまった。
だって、さっきラズロが言った『お客様』って単語! ここで話を止めなくちゃわたしの目的は果たされないから!
「ねえ、そのお客様ってうちのリン兄だったりしない……?! 背が高くて、金髪の!」
「ええ、そうですが。……もしや彼に用事でしたか?」
「そんな感じなの! 会わせてもらえないかな? も、もしその……『ボス』と話し中で手が離せないようなら、わたしも同席したいんだけど……」
今のはちょっと不自然な申し出だったかな……?
普通は「手が離せないなら出直します!」とか「伝言をお願いします!」とかなのに、「同席したいです!」って……ちょっと怪しいよね?
言っちゃってから自分の発言の『不審者感』にソワソワしてきた。うう……やっぱり今のナシです! とか言っても良い空気かな。ラズロ、シュウエイと顔を見合せてるし……なんだか仲間内でこっそり『相談』してる目だよね? これ。き、気まず……っ!
「あ、あの……ラズロ?」
「…………構いません。ご案内しましょう」
「えっ? 良いの?!」
「ええ。リン殿は暫くボスのお相手をなさる必要があるでしょう。彼は金髪ですからね」
「……なにそれ? どういうこと?」
首を傾げるわたしの肩を、ポンポンとシュウエイが叩いてくる。
「気にしない、気にしない! ま、上がっちゃってどうぞ。コヒナちゃんが来てくれたら坊っちゃんも喜ぶだろう」
「へ? えっ?」
「付いて来てください。ボス・スメラギのアトリエは地下にあります。本来はどなたもお通しできない約束なのですが、あなたは特別です」
「わたしも『金髪』だから……?!」
「坊っちゃーん! 金髪かわいこちゃん一名様入りまーす!」
「シュウエイ、うるさいですよ!」
「ちょっと待って! 待ってぇ?! やっぱり怪しい! 帰りたいです! 帰りまーーーす!!」
…………というわたしの虚しい叫び声は、地下室へ続く扉の閉まる音と共に消えていきましたとさ。
黒点会のボス、本当の本当に何者なの……?
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