閑話 アレシアの不安

 オーグレン辺境伯家嫡男レオールの婚約者、アレシア・モンタルボ。

 モンタルボ伯爵家の次女、16歳だ。

 王都にある王立イェレミース学園を卒業と同時に、レオールと結婚する予定になっている。

 彼女の称号は『占い師』。『預言者』ほどではないけれど、少し先の未来を視たり、予感めいたものを感知することができる。

 しかし彼女自身の魔力が多くないこともあり、能力的には使えないと評価されがちな称号の一つだ。そのせいもあって、アレシアはあまり自分の称号を大っぴらにしていない。

 そんな彼女が、その日は朝からもやもやとした不安感に苛まれていた。

 理由ははっきりとしないのだが、目覚めたときから、何かよくないことが起きそうな気がして、落ち着かなかった。

 アレシアの頭に浮かんだのは、オーグレン辺境伯領に戻っているレオールのこと。

 王都に比較的近いモンタルボ領と違い、魔の森に接している辺境伯領にはアレシアも見たことがないような凶暴な魔物がいるという。

 レオールは、大したことはないと言っているが、レオールの友人でもあるアレシアの兄のゴードンから、とんでもないところだと散々脅されている。

 脅されてはいるものの、レオールと結婚する意志は変わらない。


 ――レオール様に何か起こるのかしら。


 不安に思いながら、鏡に映る自分の顔を見つめる。

 ミントグリーンの髪に乳白色の肌をしたアレシアは、いつもならピンク色の頬をして健康そうに見えるのに、少し血の気が引いていて青ざめて見える。


「お嬢様、どうかされましたか?」


 髪を整えているメイドのマリーが心配そうに声をかけてきた。確かに顔色があまりいいとはいえない。

 鏡越しに見つめ返しているエメラルドグリーンの瞳にも、不安が浮かんでいるのがアレシア自身でもわかる。


「何でもない……と言えればいいんだけど、朝からなんだか不安な気持ちが拭えなくて」

「まぁ……。神殿に行かれてはどうですか?」


 二つ年上のマリーは、信心深いと有名なノックス男爵家の出身だ。何かあると、神殿に詣でることを勧めるのは、いつものことだ。


「……そうね。今日は、なんとなく行った方がいいかもしれない」


 普段であれば軽く流すアレシアだが、今日はそれもできないほど不安感が拭えなかったのだ。

 夏休みということもあり、モンタルボ伯爵領に戻ってきているアレシアは、領都にある神殿に詣でることにした。

 昼過ぎに護衛一人とマリーとともに神殿に向かうと、多くの人々が祈りを捧げにやってきていた。モンタルボ領の夏祭りが近いこともあって、周辺の村や町からも人々がやってきていたのだ。

 三人で神殿の中に入っていくと、年老いた神官が出迎えてくれた。


「モンタルボ様」

「お久しぶりです」


 アレシアの『神の祝福』の際にも世話になった神官に、笑みを浮かべて挨拶をする。そのまま礼拝堂の中を進み、最前の長椅子に座ると、アレシアは両手を握り、目を閉じて祈りを捧げる。

 彼女の一番の不安は、婚約者のレオールのこと。

 アレシアの通う王立イェレミース学園を卒業し、王立イェレミース大学院に進んでしまったレオール。婚約したとはいえ、互いに忙しく、あまり時間がとれないことが、少しだけ不安でもあった。

 この夏休みにしても、モンタルボ領の夏祭りがなければ、レオールのいるオーグレン辺境伯領に行きたかったくらいなのだ。それは兄も同じようで、父親の仕事の手伝いをしながら、ブツブツ文句を言っている。


 ――神よ。この不安な気持ちを消してください。

 ――神よ。モンタルボの領民をお守りください。

 ――神よ。レオール様をお守りください。

 ――神よ……。


 どれくらい祈ったか。

 ふと目を開けると、もやもやとした不安感が消えていたアレシアは、ほっとため息をつき顔をあげる。

 目の前の神の立像に感謝の眼差しを向け、立ち上がった時、彼女の目の前に白い手紙が浮かび上がった。


 ――伝達の魔道具?


 慌てて手紙を受け取るために手を差し出すと、ふわりと手のひらに落ちた。

 白い手紙にはオーグレン辺境伯家の印の封蠟がされていたことに気付いて慌てて封を開けて、手紙を確認する。


「まぁ!」


 アレシアは小さく声をあげる。


「お嬢様。どうされましたか」


 こっそりと声をかけるマリーに、アレシアは深くため息をついた後、声をひそめて答える。


「レオール様が呪いを受けたと連絡がきたの」

「は?」

「なんとか解呪はされたようなのだけど、私も気を付けるようにとのことなのよ」

「解呪されたのはようございましたが……お嬢様の不安はこれでしたか」

「そうかもしれないわ」


 ホッとしたのも束の間、ドンッという音が礼拝堂の中に響き、建物自体も微かに揺れた。

 それが、何回も繰り返され、中にいた人々も驚きの声をあげ、あちこちで子供が泣き出した。外からも人々の叫ぶ声が聞こえてくる。

 厳しい表情の護衛がアレシアを庇うように立ち、マリーに抱きかかえられながら、アレシアは礼拝堂の木の扉のほうへと目を向ける。

 

「何事ですっ」


 アレシアの厳しい声に反応したのは、先ほどの年老いた神官。


「モンタルボ様っ、神殿の外に魔物がっ」

「なんですって」


 王都に近いモンタルボ領に魔物が出るのはまれだ。人の多く住む領都には皆無に近い。

 魔力がさほど多くないアレシアには、魔物を討伐する力はない。


 ――ああ、神よ! どうか、私たちをお守りください!


 GYAOOOO!


 アレシアが強く願っていると、魔物の雄叫びと誰かが戦っている音が聞こえてきた。他にも戦っている者たちの声も聞こえてきて、礼拝堂の中はピリリと緊張した空気になる。


 ドゴンッ


 重たい物が倒れる音が聞こえた。


『おおお!』

『さすが、ご嫡男様!』

『魔物は討伐されたぞ!』


 外からの歓声に、ようやく戦いが終わったのだとわかり、アレシアは身体の力が抜けてしまう。


「お嬢様っ」

「大丈夫よ、マリー」


 ホッとしていると礼拝堂の扉が勢いよく開く。そこには、魔物の返り血をあびた兄のゴードンの姿があった。


「お兄様!」

「アレシア!」


 礼拝堂の中を早足でアレシアの下へと駆け寄るゴードン。


「無事か」

「ええ。それよりも、お兄様はなぜ」

「ああ、レオールの家から連絡がきてな。万が一があってもと思い、迎えに出たとたん、魔物の一報が来たものだから」

「魔物は」

「ふふん、あの程度、オーグレンの魔の森のに比べたら、子供みたいなもんだよ」


 伊達にオーグレン辺境伯領に遊びに行ってはいない、と自慢げに言うゴードンに、くすりと笑うアレシア。


「しかし、また何かあってはいけない。屋敷に戻るぞ」

「はい」


 アレシアは胸元に隠してあるロケットペンダントを、確認するように服の上から触れる。レオールから贈られたペンダントだ。


 ――いったい、何が起きているというの?


 新たな不安とともに、屋敷へと戻るアレシアだった。

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