2話 ナカマ?

「人間だ。にしても酷い怪我だな」


突然落ちてきた魔法使いの青年を見下ろすのは中級悪魔トリハシル。


「うっげえ、飯が降ってきたと思ったらこいつめちゃくちゃ呪われてるじゃねーか」


トリハシルは寝ている青年に手をかざすと、その身体にまとわりつく呪いを解除した。

呪いを解除した途端、テネシア・バレンタインの衣服に付与されていた加護が作動し始める。ちぎれかかった腕は互いに引き寄せ合い、なくなってしまった左足は断面から再生し始める。


「ぁあぁぁああああああああああああ!」


急速な回復で意識を取り戻したものの、アドレナリンの分泌が間に合わず身体中に激痛が走る。


テネシアの叫び声が、暗がりに反響する。

激痛でのたうち回ろうとするが、再生中の身体がそれを許さず、ぎこちない動きで地面に押しつけられたまま苦しむ。


「おいおい、そんな声出すなよ。こっちが耳痛ぇっての」


トリハシルは耳を押さえつつ、目の前で再生する青年の様子を面白がるように見ている。


「ちょっとやりすぎたか?まあ、生き返っただけありがたく思えって話だ。死んでねえかもだけど」


トリハシルは悪魔らしい皮肉混じりの笑みを浮かべながら肩をすくめた。


やがて再生が終わり、テネシアの動きが収まる。

服の加護のおかげでなんとか命は繋がったものの、体力を使い果たしたのか、彼は荒い呼吸を繰り返している。


「おい、そこの呪われ飯。少しは感謝の言葉とかないわけ?」


トリハシルが軽く蹴りを入れると、テネシアは苦しそうに目を開けた。


「……誰だ……お前は?」


声はかすれているが、その声にはまだ戦意が宿っていた。


「俺か?ただの善良な中級悪魔、トリハシル様だ。何ならさっきまで、お前を食うかどうかで悩んでたくらい善良だぜ」


悪魔らしい毒気を込めた口調でそう言うと、トリハシルは腰を下ろし、テネシアの顔を覗き込んだ。


「……食う……?」


テネシアの眉が寄る。痛みと混乱の中で、彼は悪魔の言葉の意味を反芻していた。


「まあ、今は食わねぇよ。お前、呪いと加護が入り乱れた珍しい存在だろ?そういうの、食っても腹壊しそうだしな」


トリハシルは軽く笑うと、自分の指先を光らせた。青白い光が薄暗い空間を照らし、呪文のような言葉が低く紡がれる。


「何を……するつもりだ……?」


テネシアは弱々しく尋ねた。


「安心しろって。お前、面白そうだからちょっと見てみたいだけだ」


トリハシルの指から放たれた光がテネシアの額に触れる。途端に彼の記憶が断片的に現れ、トリハシルの頭に流れ込んだ。


「ほう……魔法使いのくせに、こんなに呪われるなんて、よっぽど恨みを買ったみたいだな?謎の魔女集団か……ふーん」


トリハシルは目を細め、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「お前、何者なんだ?」


トリハシルの言葉に、テネシアの顔色が変わる。彼は歯を食いしばり、何かを言おうとしたが、力が抜け、目を閉じた。


「おいおい、もうダウンかよ」


トリハシルは寝息を立て始めたテネシアを見下ろしながら、悪魔らしい楽しげな表情を浮かべた。


「おいおい、まあ10分くらい休んでろ」


━━━━━━━━━━━━━━━


しばらくして彼は退屈そうにあくびを漏らす。


「おーい、もう30分はたったぜ……ったく、何も反応がないってのもつまんねえな。お前、俺に興味持たせた罰だぜ。遊んでやるよ、少しな」


そう言うと、トリハシルは再びテネシアの側に腰を下ろし、彼に大気中の魔素を魔力に変換し流し始める。


しばらくした頃、テネシアの目ゆっくりと開く。痛みをこらえながらも、彼は拳を握りしめる。動くには十分な魔力と体力の回復を終えた彼は冷静に自分の置かれている状況を確認する。そして、全てを思い出しトリハシルを睨みつける。


「悪魔め……恩を売ったつもりかもしれないが、私はお前の手助けを頼んだ覚えはない……!」


荒い息の中に怒りが滲む。テネシアの全身から魔力がほとばしり、一気に周囲の空気が張り詰めた。


「おおっと、やる気満々だな。面白ぇ!」


トリハシルはニヤリと笑い、地面を蹴って跳躍すると、両手を掲げた。指先に赤黒い炎が渦を巻く。


「ただの人間に見せるには、ちょっと派手すぎるけどな!」


洞窟内で、魔力の激しい衝突音が響き渡る。テネシア・バレンタインは冷静に周囲を見渡し、すでに消耗している自分の体力を自覚しながらも、トリハシルとの戦闘を始める。彼は魔力を使い果たすわけにはいかない。少ない魔力をどれだけ効果的に使うかが、今の戦いのカギとなる。


「もう少し力を引き出したかったが、いかんせん魔力が少ないな…!」


テネシアは内心で呟きつつ、息を整え、再び戦闘態勢を整える。


トリハシルはその動きを見逃さず、戦闘の間隙を突いて魔力を集め始める。テネシアはその動きに瞬時に反応し、わずかな距離を一気に縮めて蹴りを放った。しかし、トリハシルは予測しきれており、素早く後退してその攻撃をかわす。


「やるな、でも、魔力が少ないからって、セーブしててると痛い目を見るぞ」


トリハシルは余裕を見せるが、その目には警戒の色が浮かんでいる。テネシアの攻撃は予想以上に鋭い。彼は再び攻撃の隙間を見計らって、闇の魔法を両手から放つ。空間が歪み、黒いエネルギーの塊がテネシアに迫った。


テネシアはその攻撃を反射的に察知し、空中で回転して回避する。だが、迫る魔力の塊が彼の足元をかすめ、その一撃で地面が激しく震える。


「!!」


テネシアは一瞬息を呑みながらも、冷静に次の動きを考える。体の重さが増していくのを感じるが、彼はまだ自分の足を踏みしめて立ち続ける。


「焦っても無駄だ。冷静になれば、隙なんていくらでも見つけられる」


テネシアは自分に言い聞かせるように呟きながら、再度魔力を練って次の攻撃に備える。その目の前に現れたのは、すでに次の攻撃の準備を整えているトリハシルだった。


「やっぱこの程度かな?なんか大魔法とか撃てないわけ?ドカーン!みたいな?ま、魔力が無いもんな笑」


トリハシルは嘲笑を浮かべながら、再び闇の魔法を手のひらから放った。テネシアはその魔力の塊を見逃さず、すぐさまその軌道を読み取ってかわし、さらに距離を詰める。


その瞬間、テネシアは反射的に魔力を足に集めて、トリハシルへと接近した。トリハシルはその動きに驚くも、すぐに体を捻って回避しようとする。しかし、テネシアの攻撃は予測より早く、彼の左腕をかすめて傷をつける。


「まじか!なかなか、やるじゃねえか」


トリハシルは軽く笑いながらも、明らかに息が乱れ始めている。お互いに魔力を消耗し、体力も限界に近づいていることを感じ取っている。するとテネシアは不敵に笑った。


「お前、私はそう簡単には負けないぞ?」


テネシアは静かに言い放ちながら、次の一手を考える。だが、次に彼が動こうとした瞬間、トリハシルは一気に間合いを詰めてきた。彼の手のひらから放たれる闇の魔力がテネシアを包み込む。


テネシアは一瞬の隙をみてその魔力をかわし、再び反撃に転じるが、トリハシルの素早さに翻弄され、攻撃をかわせずに何度も擦れ違う。

テネシアの手から放たれる魔力弾。しかし、トリハシルはいとも簡単に避けてしまう。


「見えてるんだよなぁ」


トリハシルの言葉に、テネシアは何度も繰り返される攻防の中で、ついに一つの答えを見つけた。彼は冷静に、そして一瞬でその動きを決めると、トリハシルの視界を一瞬で奪う角度から最後の一撃を放った。


「ガッ!!!」


トリハシルはその一撃に狼狽する。素早く間合いを取ると両者の間に一瞬の静寂が訪れた。


2人の読み合いが始まる。数秒の睨み合いはお互いにとって永遠のものに感じられる。トリハシルの顔から汗が滴り落ちた。その瞬間、テネシアは魔力を使わず素手でトリハシルに迫る。その動きはまるで空気を切り裂くかのように、予想を超えて素早かった。


「えっ…!?」


トリハシルは一瞬、驚きの表情を浮かべた。その間に、テネシアの拳が彼の腹部に直撃する。猛烈な衝撃が全身を駆け巡り、息が詰まる。


「くっ…!」


トリハシルは必死に体勢を立て直すが、テネシアはそのまま攻撃を止めることなく、連続した拳を繰り出す。魔力を使わずとも、その打撃には十分な威力がある。まるで素手が鉄の塊であるかのようだ。


トリハシルは今までの戦いでテネシアが魔力を込めるその一瞬を見計らっていた。悪魔は人間よりも目が良い。大気中の魔素や魔力の変化は視覚情報として脳に送り込まれる。そこをテネシアは突いた。魔力を伴わない突然の攻撃にトリハシルは反応ができない。

トリハシルは内心で焦りを感じながらも、必死に自分の魔力を振り絞って防御する。しかし、テネシアの拳が次々に飛んできて、全てを防ぎきることができない。程なくしてテネシアの拳がトリハシルの顔面に突き刺さる。その瞬間にテネシアは拳に魔力を集中させ炸裂させた。あまりにも重い一撃に、トリハシルは痛みに顔をゆがめた。


「このガキ!まさか素手でこんなに強いとは…!」


トリハシルは冷静さを取り戻そうとするが、テネシアはすでに次の攻撃を仕掛けていた。今度は、蹴りが空を切ってトリハシルの胸元を狙う。


「くそっ、避けきれない!」


トリハシルは焦る。テネシアの動きがあまりにも速すぎて、彼の予測を超えてくる。その動きの鋭さと、魔力を使わずとも肉体だけで戦ってくるテネシアに、今や完全にペースを握られていた。


(やっぱり、ただの魔法使いじゃない…)


トリハシルは心の中でつぶやきながらも、必死に魔力をかき集め、テネシアの攻撃を防ぐために盾を展開する。しかし、その直後テネシアは再び素早く間合いを詰め、左腕でトリハシルの腕を払いながら、右足で蹴りを放った。


「ぐっ…!」


トリハシルは足元を崩され、地面に膝をついてしまう。その瞬間、テネシアは強烈な魔力弾をお見舞いした。


「くそっ、もう…ガキの魔法使いの癖にっっ!」


トリハシルは焦りを募らせていた。彼の攻撃は次第に雑になり、魔法の制御も乱れ始めている。


「なかなか強かったよ、君。もう降参するか?」


「は!?てめぇ!ふざけんな!この俺様が!こんな人間に」


トリハシルの言葉には怒りが孕んでいた。こんな人間に、悪魔の方が人間より優れているのに。下に見ていたのに、気がついたら地面で這いつくばっていたのは自分であった。


「私はこの戦いの中で一度も魔法を使用していない」


テネシアから突如発せられた言葉にトリハシルは理解が追いつかない。


「な!?じゃあ、あの光魔法はどうやって!」


「あれはただ魔力をそのまま発射しただけだ。術式を介したものは何一つ使用していない」


淡々と発せられるテネシアの言葉にトリハシルのプライドはズタズタに折られてしまった。


「降参だ……初めてだよ、人間に負けたの」


「そうか……なら私の魔法を見せてやろう」


テネシアの言葉に、トリハシルは僅かな恐怖を覚えた。彼が魔法を使っていなかった事実だけでも衝撃的だったのに、その真の力をこれから目にすることになるとは。


テネシアは静かに手をかざし、淡く青白い光が掌から溢れ出す。その光が次第に強まり、まるで空間そのものが引き寄せられるようにトリハシルの体へと向かう。


「待て、やめろ!」


トリハシルは地面を這いずりながら後退しようとするが、全身を押さえつけられるような圧力に抗えない。彼の目に映るのは、冷徹なテネシアの瞳と、その周囲を漂う魔力の光だけだった。


「これは贖罪だ。私を殺そうとした罰として、少し役に立ってもらう」


テネシアの声が響く中、彼の魔力がトリハシルを包み込む。トリハシルは自らの体が変質していくのを感じた。


「う、うわぁあああああ!」


トリハシルの叫びが洞窟内に反響する。彼の四肢が細長く引き伸ばされ、その形状が布地へと変わっていく。皮膚は滑らかな質感を帯び、黒を基調とした布地に爬虫類の模様が浮かび上がる。次第に腕や脚は消え去り、身体全体がひとまとまりの衣服へと変わっていった。


「な、なんだこれ……!? 俺の体が!」


トリハシルはまだ思考を保っていたが、声を発することができなくなった。彼の意識は帽子となった部分に集中し、ただの服となった自分を観察するしかできない状態になった。


テネシアは静かにその布を拾い上げ、まじまじと観察する。


「悪くないな。少なくとも見た目は気に入った」


そう言いながら、彼は出来上がった服を着る。瞬間、布は自然とテネシアの身体にフィットした。その上には、トリハシルの意識が宿る帽子が軽やかに浮かんだ。


「おい……俺様をこんなモンにするなんて、ふざけんな!」


帽子が突然喋り出し、テネシアは微笑を浮かべた。


「どうやらまだ意識は残っているようだな。これからは私のために働いてもらう」


トリハシルの怒りは続いた。


「お前、俺様を侮辱してるつもりか!? 悪魔をこんなにしやがって!」


「侮辱? 違うな。これは利用価値のある存在への再利用だ。お前の体はなくなったが、代わりに力は残った。私を守る衣服としてな」


その言葉の通り、トリハシルの布地には様々な効果が付与されていた。魔法、物理攻撃を軽減する防護機能、彼の魔力を効率的に循環させるサポート機能、さらには彼の意識を研ぎ澄ませる集中力向上の効果までもが備わっていた。特筆すべきは『呪い無効』。


「なぜこんなことを……!」


トリハシルの問いに、テネシアは振り返ることなく歩き出した。


「それがお前にできる唯一の償いだ。感謝しろ、死なずに済んだんだから」


トリハシルは帽子越しに歯ぎしりする感覚を覚えた。(尚、歯は無い。)だが、彼にはもう抗う術はなかった。彼の意識は衣服と一体化し、完全にテネシアのものとなっていた。


「俺様は絶対に諦めないからな……!」


その言葉に、テネシアは薄く笑みを浮かべた。


「その意気だ。どうせなら楽しませてくれよ、トリハシル」


洞窟を後にするテネシアの背には、まるで彼を主と認めたかのように、黒と深紫のマントが静かに揺れていた。


こうしてトリハシルは、魔法使いテネシア・バレンタインの忠実な衣服となった。

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