魔法使いは転ばない!

@haiburando

新1話 ハジマリ

「テネ...くん……ごめんね私...また1人で勝手に...」

「いいんだ、それ以上喋るな」


テネシア・バレンタインの腕の中で浅く呼吸する少女はアイリス・セラフィム・ルクス。彼女の小さな身体からはとめどなく血が流れている。テネシアの全霊の回復魔法も、まるで虚空に消えるように、その傷を塞ぐ力となることはない。テネシアはだんだんと冷たくなっていく幼なじみを受け入れられずにいた。


「私...ね...」


「大丈夫だ、絶対に死なせない。だから、今は喋らなくていい。私が、お前を治すんだ。治してみせる。そしたら――そしたら、あいつを追い詰めて、全部終わらせる。だから……だからっ……頼むから、目を閉じないでくれ……!」


「ずっ......と」


アイリスは震えるようにテネシアの頬に触れていた。その小さな手が次第に力を失い、だらりと垂れ下がる。彼の頬を離れたその手は、まるで命が抜けた人形のように重力に従い、動かなくなった。


「ア...イリス」


テネシアの胸に冷たいものが広がる。アイリスのその重さがまるで彼自身の命をも奪い去ったかのように感じられた。『間に合わなかった』という言葉が脳裏にこびりつき、何度も繰り返される。彼女を救えなかった――その事実が、喉の奥に鋭い棘のように突き刺さり、呼吸さえ困難にした。温もりを失った彼女の身体を抱きしめながら、彼の視界はかすみ、心の底から湧き上がる怒りと絶望が混ざり合っていく。


「あら、終わり?」


「あぁ、そうか」


どこまで行ってもこいつらは━━━


漆黒の森に轟音が響き渡った。テネシアの拳が地面を抉ると、魔力の余波が波紋のように広がり、辺り一帯の木々が軋みを上げる。目の前に立つ魔女は、その暴力的な力を前に微笑みを浮かべたままだ。


「それが怒りの力かしら?でも、その程度では…ね」



魔女は柔らかく囁き、指先を宙に踊らせる。次の瞬間、無数の漆黒の槍が空間から出現し、テネシアに向かって降り注いだ。

テネシアは身を翻し、槍を魔力で覆った腕で弾き返す。しかし、次第に槍の速度が増し、一本が脇腹を深く貫いた。彼の口元から血が滴り落ち、膝が崩れそうになる。


「ガッ!!!」



テネシアは震える身体に鞭を打ち、体中の魔力を一点に集中させる。肉体が光を帯び、その輝きが彼の怒りを具現化するかのように増していく。


《フル・エンハンス》


魔法の発動と共に、テネシアの肉体が限界を超える強化を受ける。周囲の空気が震え、地面が崩れ落ちる。彼の足が地を蹴ると、雷鳴のような音が鳴り響き、瞬く間に魔女との距離を詰めた。

魔女は冷静に、手のひらを差し出して巨大な魔法陣を展開する。その中心から、炎の竜が現れ、テネシアに向かって唸りを上げて襲いかかった。

テネシアは拳を振り抜き、竜を粉々に打ち砕く。しかし、竜の残骸から飛び散った炎が彼の身体を焼き、皮膚が焦げる臭いが立ち上る。痛みに顔を歪めながらも、テネシアは魔女に渾身の拳を叩き込んだ。

しかし、次の瞬間、彼の拳は虚空を切った。背後から魔女の冷たい声が響く。



「少しは冷静になったらどう?」


テネシアの背後に伸びた無数の黒い薔薇のツタが一瞬で彼を絡め取る。拘束された彼の身体は徐々に締め上げられ、骨が軋む音が響いた。恐ろしく鋭い棘が、テネシアの体を切り裂いていく


「…!」



テネシアは魔力を解放しツタを千切ろうとするが、その力は消耗しきっていた。魔女は勝ち誇ったように笑い声を響かせる。


「ごめんなさいね。本当はこんなことしたくないのよ。でもあの娘は私たちの作ろうとする世界を邪魔した。死んで当然よね?」



魔女の指先が軽く動くと、足元の大地が崩れ落ちた。

テネシアは渓谷の縁に追い詰められ、必死に足を踏ん張る。だが、体力は尽き、傷ついた身体は言うことを聞かない。



「お前たちだけは……絶対に……」


言葉を絞り出したその瞬間、地面が崩壊し、テネシアの身体が重力に引かれて深い渓谷へと落ちていく。風が彼の耳元を切り裂き、冷たい闇が迫りくる。

遠ざかる空を見上げながら、テネシアは朦朧とする意識の中で呟いた。



「アイリス……すまない……」


暗闇に飲み込まれる寸前、魔女の嘲笑が彼の耳に最後の音として響き渡った。

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