第3話 キモチ

「あいつが僕とおじいちゃんになるまで一緒にいたいから、僕は元気になれた……」


 僕は、光る部屋の中で一生懸命テープを書いてくれている、小さな頃のあいつを見た。


 ふわふわの髪の毛を揺らして、瞼をしぱしぱと瞬かせている姿を見ていたら、胸の奥がじわっとあったかくなるのを感じた。


「僕が心配だからとか可哀想だからとかじゃ無いんだな。自分のために、僕の健康を願ったのか……」


 白い彼は薄く微笑んだまま、僕のその言葉を噛み締めていた。

 そして、そっと僕の手を握るとそのまま膝をつき、優しいキスをしてくれた。


「それが嬉しいんだよね? 同情じゃなくて、君といることを自分の喜びだと思ってくれていることが望みなんだものね、君は」


 僕は、それを聞いてボロボロと涙を流した。たくさん、涙が落ちてきた。


——そう、同情なら欲しくない。僕と一緒にいたいと思ってくれてることが嬉しい。


 何度も「可哀想だね」って言われた。「寂しいんだね」「ここにいてもいいよ」って、たくさん言われてきた。でも、誰も言ってくれなかったんだ。


「ここにいて欲しいんだ」


 僕は、そう言われたかった。


「可哀想だから一緒にいてあげてもいいよ」じゃなくて、「君と一緒にいたいから、ここにいて」って言われるような相手が欲しかった。


 誰かに必要とされたかった。


 すぐに熱を出してしまう面倒臭い僕を、それでも一緒にいたいって思って欲しかったんだ。


 家族がいたら、そんな願いは持たなかったのかもしれない。


 でも、僕にはいなかったから。


「迷信、嫌い?」


 白い彼は、微笑みながら僕に問いかけた。僕は、体の裏側から前の方へ突き出しそうなくらいの衝動に駆られた。


 それは、一気に涙になって溢れ出した。さっきからずっと止まらない涙は、さらに勢いを増してどんどん体を飛び出していく。


 口からは、それが叫びになって、次々と飛び出していった。


「嫌いじゃない! そんなこと……もう言えない。僕のために、あんなになるまで頑張ってくれてたなんて……」


 ずっと、嫌いだった。


 誰かに会いたくて、銀色のテープを結びまくるあいつの嬉しそうな顔が、嫌いだった。


 どうして、その相手は今一緒にいる俺じゃないのかといつも妬んでいた。

 いつかその相手にあいつを盗られる日が来るのかと思うと、寂しくて仕方がなかった。


「なんで言わないんだよ! あいつが会いたいのが未来の俺だなんて、思わないだろ!」


 僕は、窓の外側にへたり込んだ。古い窓に拳を叩きつけながら、これまであいつに言ってきた酷い言葉を思い出していた。


『迷信なんて信じる奴は馬鹿だ。そんな暇があったら、少しでも働いて、欲しいものを自分で手に入れればいいんだよ』


『テープを結ぶだけで願いが叶うなら、不幸な奴なんているわけないだろ?』


『捨ててこいよ! そんなもの見たくも無いんだよ!』


 自分は、こんなに小さな子に命を救ってもらったくせに、それを知りもしないで何もかもわかった気でいた。何もかも、自分で出来る気でいた。


「一番馬鹿なのは、僕じゃないか!」


 そう言って、打ちつけた拳が、窓ガラスを派手にバリンっと砕いてしまった。


「あっ!」


 窓ガラスが割れた途端、クリーム色の球体は光を失ってしまった。ガラスの破片となって、球体そのものが崩れ落ちていった。中にいるあいつも、一緒にバラバラになっていった。


「待って! まっ……」


 僕が手を伸ばした瞬間、中のあいつと目が合った。あいつは、僕の顔を見ると零れ落ちそうな大きな目を、さらに見開いて驚いていた。


 そして、暗闇の中で一瞬だけ、笑顔をぱあっと咲かせる様にして、消えていった。


「ねえ、あいつはどこに行ったの!? ちゃんと生きてるの!?」


 僕は、白い彼の襟を掴んで揺さぶりながら聞いた。割れたガラスと一緒に消えてしまったあいつが、現実のあいつと同じだったら嫌だ。


 それを否定するかのように、彼の服を力一杯握りしめて、ぶんぶんと揺さぶった。


「あの時のあいつの願いに、『病気が治って大人になった僕に一目会いたい』というのがあったんだ。今日は、それを叶えてあげたんだよ。そして、タイムリミットが来ただけだ。あの子は、あの子の時間にきちんと生きているよ」


「じゃあ、さっきちょっと笑ってくれたのって……」


「君が大人になった『僕』だとわかったんだろうね」


 白い彼は、そう言うと今まで辿ってきたテープをくるくると手に取り、それをまとめた塊にキスをした。


 すると、その手の中にあったテープは、真っ赤な光に包まれてぼうっと燃え上がってなくなってしまった。


「これでこのテープの役目は終わったよ。さ、次はあれを辿って」


 ふと気がつくと、周囲は青々とした麦が風に靡く畑になっていた。真っ暗闇にいたはずなのに、真夏の日中のような濃い青空が広がっている。


 目は、明順応の限界を越えそうなほどの光の変化に、難なく対応していた。しかも、その濃い青空の中に、キラキラと一筋の光を見つける事も出来た。


 それはだんだん僕の目の前まで降りてきて、一本のテープになった。


 白い彼がそれを掴み取ると、僕に向かって「はい」とそのテープを渡してくれた。


「子供のあいつが叶えたかった夢を繋ぐために、このテープを辿っておかえり」


 僕は、そのテープをじっと眺めた。そうだ、あいつは『おじいちゃんになって、一緒にお墓に入る』と願っていた。


 つまり、僕はおじいちゃんになるまで、あいつと一緒にいられると言うことだ。


 ここから無事に元の世界に戻って、おじいちゃんになるまで健康に生きて行かなくてはならない。


——あいつの願いを叶えるのは、僕の行いなんだ。


「迷信はね、人の心が起こす奇跡だよ」


 白い彼はそういうと、僕の額にキスをした。そして、にっこりと微笑むと、「メリークリスマス、僕」と言いながら、すうっと目の前から消えていなくなった。

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