第55話 渡らずの記憶(2)

 地方の守護隊長クラスでは、詳細を知らないのも無理はなかった。この奇跡は、あまりに希少すぎるものだった。

 

 【渡らずの記憶】という呼び名でさえ、世界の名だたる研究者の中でもひと握りしか知らない。知る人ぞ知る者。


 なぜならその事象を知り、いざ調査をと考えても、奇跡の範疇。即ち、最初で最大の障害となるのだ。


 つまり、すべて机上の空論と揶揄されても仕方のない、研究することができない幻の事象ということ。瞳の保持者の存在自体が夢物語レベルでは、それも仕方がないことだった。


 ではその存在が、現実に現れたら?


「シェイプシフターが絡む件は我が国だけじゃなく、どこも最重要案件なんです。だから、何をおいてもどんな小さなことでも、守護隊には国に報告する義務があるんですよ」


「そうだねー、この人のこの目は、国にしてみたら、棚ぼたも棚ぼた、相当な幸運だろうね。でもさ、当の本人にしてみたらどうだろ。おめでとうとは言ったけど、これが知られたら、この人、一生人生を狙われ続けるよ。そんな幸運、絶対に慶事じゃないね」


 真剣な瞳で射貫くようにジェインはリュシェルの銀の目を見ながら言った。  

 先ほどの薔薇も恥ずかしがるほどの微笑みは、そこに一片もなかった。


「人生……?」


 カーラントが復唱なのか疑問か、少しだけ片目を細めた。


「奇跡は畏怖と羨望と恐怖を引き寄せる」


 ジェインの抑揚のない言葉に、カーラントの顔色が変わった。


「為政者に知られれば丁重に軟禁され、シェイプシフター探知機にされるだろうね」


 リュシェルがジェインの言葉を継いだ。


「ああ、そうだ。あんた、やっぱり物分かりがいいね」


 腕を組んで、ふっと笑うジェイン。


「シェイプシフターどもに知られれば、奴らは種の総力をあげて命を狙ってくるし」


 組んだ腕の片方を指でとんとんと叩く。


「犯罪者らに見つかれば、金の生る木と囲われるだろうよ」


 交互に言葉を紡いだジェインとリュシェルの二人は、そこまで話してお互いを見やると、くくっと喉を鳴らした。


 探知機貸し出します、という看板を共に思い浮かべでもしたように。


「ああ……理解した。報告なぞすれば国に囲われ、知らせずにいても過度な警護を受けさせれば各方面から怪しまれ、リュシェルの人生は望まぬ方へ一変するということだな」

 

 守護隊である二人にとって、シェイプシフターが絡む事案は最も重視すべきものだ。大げさではなく、些細なミスひとつで国が滅んでしまうかもしれないのだから。


「まて。リュシェル、ならばなぜ……」


 【渡らずの記憶】を披露すれば、厄介なことになると知っていたのなら何故。


「教えたかって? グラインは弟分だったって言ったろう」


 ピクリと引き攣るリュシェルの目もと。吐き捨てるように言葉を続けた。


「こんな目を持っていたのに、弟分ひとり救えなかった。隊長さん、私はね、姉さんと呼んだあいつの体をこれ以上、魔物なんかに好き勝手させるわけにはいかないんだよ」


 小刻みに震えるリュシェルの体。情けなくてどうにかなりそうだ、と片手で額を覆う様にして小さく呟いた。


 彼女は、自分の先がどうなろうとも仇を討つために動いたのだ。

ほんの少しの間の後、守護隊隊長は大きく一度頷いて、自分に言い聞かせるように言った。


「────カーラント。我らコルテナ守護隊の存在意義は、この街のすべての住人とその生活を護り通すことにある」

「隊長」


 グレイが何を言いたいのか、カーラントにはよく分かった。


「リュシェルさんも、そのお店も、護るべきというのは分かっています」

「厳密には護るという言葉はリュシェルには当てはまらんだろう。自分で言っていたように、自分の身は自分で守れる」


 言いながら銀の台に置かれたグラインの腕に視線を落とす。


「カーラント、この場合、札は多い方がいい。特に切り札はな。……いいか、ここで私たちは何も見ていない」

 

 ピクリ、とカーラントの眉が動く。そうして、ふうううっと聞こえる程に大きな溜息をついた。


「ええ、ええ、分かりました。確かに、そうです。こんなに腕が立つ人、そうそう手放すわけにはいきませんしね」

「我ら守護隊は仲間は売らんということだ」


 グレイの言葉にカーラントはにこりと笑う。


「もちろんです。私も見ていませんよ。なーんにもね」


 カーラントはザイストがよくやるような仕草で、大げさに首を傾げた。


「リュシェル、他に知る者は?」

「この三人以外なら、あとは私の師匠だけだよ」


 ふむ、と顎に手をやり、守護隊隊長は少し考えた。


「ならば目の件はとりあえずはこれまでにしよう。最優先はグラインになったシェイプシフターだ。ここを出たらすぐ捜索を始める。ヤツを街から出さず、確実に仕留めるぞ」


 リュシェルがもつ【渡らずの記憶】に関するコルテナ守護隊の方針が決まったようだ。


「オフ・ザ・レコード」


 ジェインがぼそりと呟いた。

 この事実は四人だけの秘密。


『私は喋っちゃおうかな~』


 その声を聞ける奴が他にいればしたらいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る