第54話 渡らずの記憶
「……グラインに渡ったのは生まれて間もないやつだろう。この記憶の取り込みがまだ不完全だった。完璧じゃないのに生活を始めるなんて失態でしかないんだよ。ほんの小さなことだって、親しい人たちは気付くんだ。こいつはそれを甘くみた」
グラインに渡った奴は、なぜすべてを自分のものにするまで隠れていなかったのだろうか。リュシェルの言うとおり、生まれて間もないからその知識がなかっただけだろうか。
「グラインはね、私を最初こそ名前で呼んでいたが、今は姉さん、と呼んでくれていたんだよ」
一瞬、涙声になった。誰も彼女の顔を見ようとはしない。
「だが、あの時グラインは仕事用の笑顔でよそよそしく私を名前を呼んだ」
「名前? え、まさか、たったそれだけ? あの陽気な男なら、冗談で言っただけかもしれないですよ」
カーラントはリュシェルが違和感を覚えたのがほんの些細な事柄であったことに驚いた顔をしたが、隊長のグレイは唸るように、ぼそりと呟くように言った。
「やはりシェイプシフターだと見抜く方法は、そういう微妙な態度や話のすれ違いに気付くしかない、ということか?」
リュシェルは自らが斬り落としたグラインの腕に視線をやった。
「グラインは何度も店に来ていたし、中の倉庫に何があるのかも知っていた」
それなのに、売り物しかない店内の倉庫で、あるはずもないただの板を探したという。
「それもある程度親しくないとダメなやつだな。判別方法としてはとても使えない」
グレイの言葉に、リュシェルはゆっくり大きく首を縦に振った。
「ああ、そうだね。不自然さと小さなミスだけじゃあ使えない。なんたって人間には、副隊長が言った
「そうか……」
グレイは見て分かるほど落胆しているようだった。カーラントと共に犠牲者たちの姿に目を落とす。無理もない。今まで判別不可とされてきたヤツら、それを見分ける何かがあるのかと期待したのだろうから。
「でも、私は見分けることができる」
「え?」
空気を押しのける音が聞こえそうな速さで、がばりと顔を上げたグレイとカーラント。ジェインは彼らのそれに、ちょっとだけ目を見張る。
『タダの人間にできる? ……まさか』
冒頭、リュシェルがシェイプシフターに成り代わられそうになったと聞いて、ジェインは薄々分かっていたこと。
カティアが驚くことに呆れながら、リュシェルの口からその方法が詳らかにされるのを待った。
「さっき言ったろう、私はそいつに乗っ取られそうになった、と」
「だが、それは果たされなかったんだろう?」
「シェイプシフターは核も移せぬまま、リュシェルさんの仲間にやられたんですよね」
食い気味に二人がリュシェルに問いかける。
「そうさ。でもね、核はまだだったが、あいつは私に入り込んだんだ」
その
『ちょっと!!』
グレイが息を呑んだ。カーラントに至っては驚きすぎて声も出ない。
「【渡らずの記憶】か。これはまた珍しいね」
ただひとり、ジェインだけが唇の端をつり上げ不敵に笑っていた。
「さすが、放浪の剣士さんだ。この目がどういうものか、知っているのかい?」
「まぁね。その目はシェイプシフターを見分けることができる、決定的な手段だ。さらっと説明すると、ヤツらの渡りから生還した人間のみ、更にその一部だけに発現する。だが通常シェイプシフターが渡りに失敗することは
ジェインはリュシェルに笑いかけた。
「おめでとうでいい? あんたがいる限りこの国は、シェイプシフターには滅ぼされない」
そうして動揺しながらも目配せをし合う守護隊の二人にも顔を向けた。
「ああ、名称くらいは知ってる? で? 彼女のことを報告して保護でも要請する? 確かにこの国では降って湧いたような奇跡だ。手放せはしないだろうね」
『ちょっとジェイン! このまま黙って国の監視下に置かせるつもり? 敵に塩送るの?!』
思わず吹き出しそうになった。
なんでこの奇跡の目を持つ元冒険者やこの平和そうな国が敵なんだ。たかが【渡らずの記憶】のひとつやふたつ。ジェインの狩りにはなんの影響もない。それはカティアがよくよく理解しているはず。
「いやいや、何を言ってんだい。保護なんて要らないよ。こう見えて私も腕に多少の覚えはある。自分の身は自分で守るさ」
テンプレのような言葉に、またもや笑い出しそうになる。
彼女なら多分そう言うんだろうと、配達屋の腕の見事な切り口と、纏う気配で感じていたから。
「恥ずかしながらその目のことは、知らなかったが」
「シェイプシフターに関することはすべて国にあげることになってるんですよ」
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