第44話 襲撃(5)

 ぶつかった男以下、万歳三唱までしようと騒いでいた人々が、カップの割れる音で我に返った。気まずさに大人しくなり、アシュリーへ口々に声をかけてきた。


 送ってきてくれた隊士と、そこにいた数人に助けられ起こしてもらって、今度こそアシュリーはソファに座ることができた。


「んっ」


 座面に手をつこうとして、びりり、と小さな痺れを感じた。手を見てみると割れたカップかポットで切ったらしく、血が滲んでいた。それは見る間にじわりと盛り上がり、ぽたりと流れ落ちた。


「あ~、切っちゃったね」


 向かいに座ろうとした年配の女性が、アシュリーの掌を覗き込んで言った。


「ほら、これを握っているといいわ。ここに救急セットはありますか」


 女性は自分のバッグから綺麗な花柄のハンカチを出すとアシュリーの手に巻き付け、後半の言葉は傍にいた隊士に向けた。


「もちろんです。すぐ取ってきますね」


 隊士は立ち上がって部屋を後にした。


「大丈夫よ、ちょっとした切り傷だと思うから」


 女性はアシュリーの手を自分の手でそっと包むと、心配しないようにと言ってくれた。ますますバツが悪くなったのか、部屋の中は少し静かになった。


「それにしても災難だったわね。昨日といい今日といい、コルテナが魔獣に襲われるなんて。私ここに何十年も住んでいるのに初めてよ」


 ハンカチを巻いてくれた女性の隣に、同じくらいの年代の女性がやってきて、ソファの背もたれに自分の体を預けた。


「本当ですよ。隣の国とは違いますからね。ここじゃあ、いつぶりでしたか」


 二人で頷きあい、その会話に周りの人たちが絡みだす。

 そうしてここにいる十数人、年代の開きもある彼らは、自分たちのうち誰も遭遇したことがないと口を揃えた魔獣が、どうやって入ってきたのかと、話は段々とそちらへ移行していった。


「またゲートが破られたってことでしょ」

「こんなに強い守護隊が守っているはずなのにかい? どうやって入られたんだ?」

「そういや、街中にはまだあいつらいるんだよな。嫁さん大丈夫かな」


 自分たちが助かったことで余裕が出たのか、漸く街も襲われていることを思い出す。そこからは、皆がそわそわし始めた。


「持ってきましたよ」


 小さな手提げ金庫のような箱を、隊士が持って入ってきた。人々が彼を一斉に見る。


「ど、どうしました?」


 隊士は一瞬怯んだ。


「外は、今外はどうなってるんだ?」

「みんな外に家族がいるんですよ。まだ家に帰っちゃダメですかね」


 隊士は真剣な顔で首を振った。


「まだ許可はできません。制圧したのが確認できているのはこの敷地内だけなんです。街はゲートに常駐している隊のみで対応していますから、恐らくまだ討伐の最中かと。今から急ぎ救援に向かう予定です。ですから申し訳ないですが、皆さんには暫くこの部屋にいてもらうことになります」

 

 誰かが開けた窓の外では、確かにどこからかの叫び声が幾つも聞こえていた。結局、自分たちが騒いで、目の前のことしか見ていなかっただけで、まだ街は危機を脱していなかったのだ。


 隊士の説明に、急に皆が黙り込んだ。


「とりあえず、ここは安全ですから。皆さん落ち着いていらしてください」

「まだ来てるぞ!!」


 窓の外を見ていた中年の男が、突然大きな声でそう叫んだ。外へ向け指を指し、顔を真っ青にして、目を力いっぱいに広げて。


 慌てて隊士も街の人たちも窓に向かい、彼ら全ての瞳にそれは映った。


「なんてことだ……」


 土煙が徐々に近づいてくるのが嫌でも目に入る。その原因さえはっきりとだ。


 青い青い、大きな狼の群れが、各ゲートのある方角から、明らかに守護隊本部目掛けて押し寄せてきていた。


「おい! 魔獣が接近中だ! 戦闘態勢を取れ! 真っすぐここに向かっている!」


 窓枠を乗り越えるかのように乗り出して、下にいた仲間に大声で報せた。言い終えるや否や弾かれるようにそこから離れると、そこにいた人々に指示を出した。


「すぐに窓を閉めて! カーテンもです!」


 言いながら隊士は廊下へ飛び出し、渾身の力を振り絞って叫んだ。


「敵接近中! 敵接近中! 総員襲撃に備えろ!!」


 部屋の中も外も、更に慌ただしさを増した。

 隊士はアシュリーたちのいる部屋に戻るとそこにいる皆にまずは落ち着くようにと言い、注意することを話し始めた。


「ここは二階なので、青狼のジャンプ力では足りないはずです。ですが念のために窓へは近づかないでください」


 いつの間にか街の人の中心で、隊士は続けた。


「もし襲ってくるとすれば、あちらの扉からでしょうが……この本部の中にはゲートと現場検証に出ている以外の隊士がいます。皆さん、本当についてますよ」

「ついてるもんかい。こんな目に遭ってるんだから」


 両の眉を寄せて心底嫌そうな顔で商人風の男が言った。


「いえ、ついてますよ。だって今日は非番もすべて出勤してますからね。分かりますか? このコルテナの全隊士が、ロスタイムなくこの襲撃を防ぐってことです」

「あ、なるほど」

 

 話が理解できたのか数人がうんうんと首を縦に数回動かした。

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